刺青は星座のように

 もしかしたら今まで住んだ中で一番狭いかもしれない。しかもガスコンロ不可で床はクッションマット。自分の部屋が本当に倉庫かよと思うような有様で、しかしそんなに狭いし設備がショボイのに、なぜか家はオートロック。外観もかなりきれいなマンション。意味が分からない。

 まあ、本当に家賃だけで決めたので今更文句を言うのも阿呆なのだけれど。

 知らなかったのだが、雑務で渋谷に向かったのだが、今住んでいる場所は渋谷へも百円台で行けるほど近場にあることに気づき「わっしょい」な気分になる。こういうのって、最初に調べるべきなんじゃないだろうか?何でしないんだろうおれ(バカだから)


 平日の中途半端な時間だというのに、電車内はそこそこ込んでいて、ふと、目の前の人から知っている香りがした。黒いタンクトップで、むき出しの、しかし細い小麦色の腕には黒いトライバル。

 服や美術系の趣味は派手なのが好きなくせに、香水の匂いについては万人に好かれるようなものばかりが好きで、ブルガリとかドルガバ(のライトブルー)とかサムライとかディオールとかを少量だけ手の甲にかけて首筋にこすりつけてみると、一瞬だけ自分が爽やかな人間になったような錯覚も出来て、何だか楽しくなる。他人になれるような、そう傭兵、というよりも多分ソルジャー、新兵みたいな感じで俺も彼らと同じだって。

 
 俺は非喫煙者なのだが、煙草を吸う人と店に入って、それから別れて帰宅した際に、ふと香るあのヤニ臭い匂いはなんだか好きだ。それは数時間前の人のことを考える時間。

 彫刻をしている友人が以前モデリング(可塑性素材で、立体物を作ること)よりもカーヴィング(木や石などを削って立体物を作ること)のほうが好きだと話していて、修復に関してならやはりモデリングの方が楽であっても、彫刻をしていない俺もカーヴィングの方が魅力的だなと思った。

 その友人は続けてこう言った。

「石を彫った時に、ダイレクトにその感覚が伝わるのが気持ちいいんだ」

 それはきっと、本当に、気持ちがいいものだなあと、少しだけ羨ましくなった。指先と呼応する恍惚、そしてそれらが生み出すオブジェクト。

 今は石を彫るアーティストの人はあまりいないように思うのだが(コスト面でかなり負担がある)、少し残念だなあと思う。見知らぬ作家たちの、ベルニーニのような恍惚を夢想する。とろける白い石の肌を。

 渋谷ヒカリエがある場所に、昔はプラネタリウムがあった。三回くらいいった記憶がある。多分一番最初の頃は小学生ので、小学生だったら大抵の場所は初めての体験で、楽しめる。椅子に身体を任せて、大きな部屋の中が暗くなっていく、それだけでも楽しめた。

 数年ぶりにプラネタリウムに行きたいなと、ここ数年一年のうちに何度か思い出したようにそう感じて、しかし一度も行っていない。

 俺は星座というものを覚える気が全く無い。地図を見ても迷うような方向音痴の俺は空間把握能力が無いというか、放棄しているような気がする。だから星を知っている人は、なんとなく、すごいなあと思ってしまう。

 でも飽き性の俺にとってプラネタリウムで一番好きなのは、映画館のように館内が暗くなり、しかしあう一面だけ光を取り戻して、そしてもう一度普通の生活に放り出されるあの感覚かもしれない。

 似たような理由でメダルゲームをプレイするのではなくぼんやり見るのが好きだ。あの無駄の極み、としか俺には思えない感じ。どんなにお金をつぎ込んでも、ジャックポットになっても、失うための、換金出来ない、店でしか使えない硬貨。

 だから俺はパチンコやパチスロはあまり好きではない。パチンコをしていた友人が自嘲気味に「パチンコとかやっている奴と集まると、ほとんどパチンコと金の話ばっかになる」と言っていて、やっぱり「金を儲けてしまうこと」はあんまり魅力的じゃあないなあと思う。

 特に刺激的で、その上で理解できないのが株取引で、だってあんなの本気でやったら社会で起きたことが株価に直結するんだから、株価ばかり気にする生活になりそうで怖い。マネーゲームの虜。

 もちろん虜、というのを悪い意味でとらえてはいない。というか、何かの虜になっていない人というのが、ぴんとこない。何が楽しいのだろうか、と余計な思いさえ浮かんでしまう。

 お金があれば新しいタトゥーを入れられるのに、と思うと少しだけ勤労意欲やらなんやらもわかないこともないかもしれない、というか、あの、ニードルで肌を彫られて、墨を入れられた時の痛みは、そして自分の肌に色がついていくという体験はとても気分がいいものだった。

 肉の量が少ない、肌が薄い部分が特に薄いらしく、痛くない部分はそうでもないのだが、骨に近い、痛いところはかなり痛く、しかし声を出すのがはずかしくってしかめっ面をしていたら、彫り師の人が「そんな顔されて大丈夫ですか?」とたずねられて、少しだけ恥ずかしかった。


 エステティックって、風俗って、こういう体験なのだろうか? どちらも体験したいとは思わないのだけれど。

「石を彫った時に、ダイレクトにその感覚が伝わるのが気持ちいいんだ」



 彫られてしまった方も、身体を失ってしまった方も、多分気持ちいいんだろうなと夢想する。いや、俺には気持ちがいい。体中に色がつくなんて、すばらしいじゃないか。

 自分の身体が未完成のカンバスのような気分、或いは陵辱されるアルテ・ポーヴェラ。って、同じイタリア美術(立体)ならヴァンジを挙げるほうがいいというか、少しだけ好きな静岡で展示されているヴァンジ、見に行きたいな、と一年に一度くらい思う(もちろん行っていない)

 でも、俺は別に目立ちたくてやっているわけでもないし、というかただでさえ悪目立ちしていることがあるので「ゾンビボーイ君」みたいなことはできない、というか全身に刺青だなんて、いったい幾らかかるのだろう? 数百万もかかる。でも、一番高い所有物が刺青だなんて、少しだけかっこよくないろうか?

 というか、現在俺がマジでその状況で、改めて考えると全然かっこよくない。他人事ならね。金くれよ、金、俺、すぐ使ってやるから(クズ)。

 それを考えると(昔の一部の)ヤクザな人たちは偉いなあ! 体中に墨を入れるくらいは、ちゃんと働いていたんだもんなあ!(は?)

 pspで星空が見られるゲームを買った。こういう見るからにつまらないゲームを買うのが、俺はめちゃくちゃ好きだ。集団で何かを作れないからこそ、損益分岐点はどのくらいだろうとか、誰が企画してどんな思いで(特に新人たちが)この作品を作っているのだろうとかゲスなことを考えるのもそこそこ楽しいし、普通に流通している(一定の評価を受けている)ゲームがいかに手間とユーザーフレンドリーにサービスされているかを考えることも出来るし、なにより、pspではあるが、幼児向けの知育玩具をたわむれに弄ぶような惰性の喜びがある、

 予想通りの、とてもつまらない退屈なゲームにすぐ飽きてしまったのだが、自分の住んでいる街の星空を見られるモードというものをプレイすると、そこには何故か新しい住所の区が表示され、いかにも人工的な明るすぎる星々が街の上で輝いていて、一瞬だけ心を奪われてしまった。 

 今年はプラネタリウムに行きたいなと思った。

 今の気分にあった、人工の星々のようなキュートな曲を。中谷美紀、坂本教授作曲の『天国より野蛮』のリミックス。


https://www.youtube.com/watch?v=D05cCszbiSM

 君を土足で辱める 
 悪夢から君を救いたい

 天国よりも野蛮なのに
 時々世界は美しくて