白昼夢パレード

日々感情が固まっていた。そんな時に、ドコモでひと月映画アニメ見放題でだらだら昔のアニメや映画を流しっぱなしにしていた。どこを見逃しても困らない、金太郎あめのような、初めを見たらオチまでわかってしまうような作品を。安心感のある、生ぬるい沼に浸るようにして。

 でも、たまたまあった『ロシュフォールの恋人たち』を数年ぶりに見たら、やはりその映画の素晴らしさに胸を打たれた。その後で『シェルブールの雨傘』も見たが、ミュージカルの完成度やら音楽は圧倒的にロシュフォールの方が好みだ。

 本当に文句の付け所が無い、少し切なくて、でも物凄くハッピーなミュージカル。良いものに触れると、やはり感動できるというのは、素晴らしい。俺がどんな存在であっても、素晴らしい作品は当たり前だが、すばらしいのだ。そんな当たり前のことで俺は、もう少し頑張れるかなって、そんな気分になるのだ。

 家に多数花の本があるのだが、それに加えて花がすばらしい寺の写真集やら観光ガイドの本もあり、それを見ると、逃避ではなく、単純に旅にでも出て、ぼーっと古寺の花々を見ていたいなと思う。

 ただ、それをするのは、できるのはきちんと働いている人だけなのだ。それを思うと頭の中が真っ白になる。思考が停止する。嘘をついて稼いだ金で頑張って旅行をするなんて本末転倒な気がする、とか書いている時点で俺の思考は偏り過ぎていて末期な気がする。

 ただ、最近花を吐く病気にかかった、クローン少年のファンタジー小説を書き終わって、気分が少しだけ軽くなった。こういうファンタジー小説は、自分が読みたくて書いていて、しかも推敲なんてしないで、筆の滑るままに勢いで書いているから、いい気分転換になる。多分、絵を描く人にとってのらくがきみたいな楽しさがあると思う。

 文章を書くのって、とりあえず、完成させられるのって、楽しいなって、素直に思える。

 そのついでに書きたかった小説もちょくちょく書き始めることが出来ている。小説を書くのって、やっぱり楽しいなあと思う。それは、俺がいかに現実でうわべで生きているのかの裏返しかもしれないが、単純に自分の散らばった思考や思想やらを、きちんと整理して編集する作業と言うのは、俺には絶対に必要な物なのだ。大袈裟に感じる人もいるだろうが、ナルシシズム抜きに、それが、俺が生きている、と感じられることだ。俺から制作を取ったら、もう、それこそ怖くて生きられないだろう。この世の不条理と戦うには、自分が強くならねばならない、カッコつけなくてはならない。幾ら周りに後ろ指をさされたとしても、自分自身を本当に肯定できるなら、悪い人生ではないのかなと俺は思う。

 俺は自分の人生を悪い人生、とは思えない。状況は常に良くはない。たまに、きらめくような何かに出会うことはあるけれども。そのめまいを探して、いや、俺は素直になるために自分を再構築するするために何かを作る、作っている。それはもう少し続きますように、俺も、社会に属せなくても必要とされなくて金がなくても、どうにかしぶとく生きのびれますように。

 疲ればかり意識するよりも、パレードについて考えるように。