徒花浮草

 体力が非常に低下しているのと、薬を変えると、二週間一日のほとんどを寝て過ごしていた。勿論そんなことをしていていい身分でもないし、俺の人生としてもまた日々を無駄にするのは癪だ。だけれど、夜のひと時しか、俺は元気になれなかった。

 家には花の本が多くあるのだが、京都を中心とした寺と花の組み合わせの写真集を何冊か持っていて、それを見るととても幸福な気持ちになる。咲き誇る花々と静謐な空間に思いを馳せる。俺も、行きたいなと思う。でもそれが出来るのは健常者、労働者だけなのだ。

 川端康成の『古都』を高校生ぶりに再読し、割とその話を覚えていたことに我ながら少しだけ驚いた。というか、筋が単純なだけなんだけどね。親無しで、裕福な家庭で育った娘と、田舎育ちの娘の邂逅。そして、痛ましい親愛。川端康成は無慈悲で優しいから好きだ。

 先日花吐き病の青年のファンタジー小説を書き終えて、出来はともかく、すっとした気持ちになった。何にせよ、完結させるのは寂しい充足感に満ちている。それがただの自己満足であっても。

 ただ、その他にも書きたい小説をそこそこ書き進めていて、するとやっと、どうにか生き残らなければという気持ちが湧いてくる。ホームレスでノートパソコンを使うなんて馬鹿げているし、そんな体力があるなら働いている、

 というか、明日久しぶりの面接があり、それだけで気が重い。面接なんて仕事よりも嫌だ。嘘ばかりつくから。嘘ばかりついてお金をくださいと自分をアピールすることになるから。俺へ潔癖でも清貧の思想もないし、お金があるとお金のことをかんがえなくてすむ、という点はいいと思う。お金が無いと、お金のことばかり考える羽目になるから。
 
 好きな小説を書くということ、それは最低限、俺が元気でなかればならない。誰かを何かを自分を憎しむことを蔑むことを憐れむことを愛することを忘れてはいけない。

 人生で大切なこと。尊敬するマザーテレサが、言葉にしたわけではないけれど教えてくれた。与えなさい、愛しなさい、忘れなさい。そうすればマシな人生が送れるだろう。

 俺は彼女のストイックでパンクな所が好きだ。かっこいいなあと思う。好きな人の事を考えると、俺も、かっこつけなきゃなあと思う。

 金が無いから行動範囲も狭まって、でも、俺はipodに二万五千曲の音楽が入っていて、昔好きだった曲、ろくに聞いてなかった曲を聞くと、気分がふっと、楽になる。俺は、まだまだ豊かな物に触れることができるんだって、思える。

 最近は若者ぶって、最近の日本語ロックバンド、キートークやゴーゴーバニラズやミソッカスやカフカとかを聞いていて、それが青臭くも、気持ちいい。そして、俺が高校生の頃に夢中になっていた日本語ロックの人達だって。

 疑問を持ってしまったら、熱情を憎しみを悲しみを愛情を知ってしまったら、それは燃え尽きることはないのだろう。きちんとお付き合いできますように。それか、短い間でも、かっこつけられるように。