おしまい
四月すぐに契約とは異なる仕事を紹介されて、すぐに辞めて、新しい所を探し続けている。でも、二十以上応募して全て落ちた。それだけ俺は無能で社会的には必要とされていないということだ。
単に応募している仕事に対して俺のスキルが低いとか年齢が高いからとかいうことでもあるだろう。
仕事を探して、何も手ごたえが無くて、薬を飲んで眠る日々。
これではいかんんと日雇いもしてみるが、体力がものすごく落ちていた。それに日給は税金で引かれてとても少なく、辛い。
思えば仕事を転々としていて、合わない日雇いで嫌な思いをしながら日々をすり減らしている。大学の時に躁うつ病になってから、十数年、日雇い無職求職中も十数年。
あたまが、おかしくなってきた。
好きな物が好きとは思えない。感受性の欠落、鈍化、それだけではすまず、俺は全くやっていなかったギャンブルに手を出し、多額の借金を背負った。
自分の自由な時間の為にフリーターや派遣を選んだはずが、仕事もなく借金にまみれて制作もろくにできない人間に成り下がってしまった。
去年の夏、一応それを克服して、結構厳しくも時給の良い仕事を真面目に働いていたのだが、三月末で契約終了となった。
また、おかしくなった。カードの限度額上限までギャンブルをした。払えるあてはない。
でも、お金をかけている時だけが、刺激を、人生を感じられた。
前までは、誰かの作品や自分で小説をかくことで物凄く楽しかったのにな、そういう人生なら、貧乏でも誰にも認められなくてもまあ、いいかなって思っていたのにな
無職でギャンブル中毒。最悪で、惨めだ。それが今の俺だ。
一応、もう、しばらくはギャンブルはしない、したくない、でも、現実逃避をさせてくれるのは、俺を狂わせてくれるのはそれしかない。
とても辛い。毎日薬で頭を抑えるのを続けるのは、虚しい。十数年、色々ためして、それでもやめられなくて、虚しくて辛い。
ギャンブルは妄想を与えてくれた。
もしも、数ヶ月、一か月でも余裕ができたなら。
でも、そんなに甘いことはなく、俺の金はかけ続け、溶け続けていた。
もし、まともに働けたら、ギャンブルなんてやめて少しずつ借金を返済したい。
けど、躁鬱の薬や応募しても落ちまくることがあり、もう、精神的に駄目になってきた。
俺は好きに小説を書いてきた。俺は自分の書いた小説が好きだ。
こんな惨めな状況になるまでは、自分でそのことに誇りを持てるのならば、描き続けていられるならば大丈夫だって思えていたのにな。
誰にも必要とされない、お金にならない小説を出して(賞に応募するのは未発表の物に限られるから、公開しにくい)、それで、おしまい。
つらい、つかれた。もう、お金が無い。借りればまだもう少し生き延びられるけれど、それは虚しい延命措置ではないだろうか。
精神的な不安と病気と、借金苦。もう、俺は何も生みだせないのかな、毎日金のことを考えながら、美しいものへの感受性も失っていくのかな。
いま、その最中なのかな。
俺は愚かで我儘な生き方をしている。でも、芸術は、誰かの、自分の作品に感動できてた。それだけは素敵なことだと言えると思う。
ありがとう。さようなら。
つらい、つらい、つらい、自分の愚かさで芸術を創作を手放してしまったのだ。しかも二度も!!!!
もう年も年で、体力も落ちていて、必死で短時間とかの日雇いをしてもへろへろになる。仕事には受からない。受かっても些細な事で激高したり不安になり過ぎて、続かない。
人間に向いていないんだ。それは、つらいことだ。でも、それでもみんな我慢して折り合いをつけている。おれは、しているようで出来ていなかった。
ギャンブルでさらに破滅してもいいとおもっていたけれど、俺は芸術が好きだったはずだったのにな、大切にできなかった。
もう、体力気力はない、でも、支払いは待ってくれない。このまま借金が増え続けて、惨めに終わるのか。
あなたが誰かを、誰かの作品を好きになれますように。
俺も、前はそうだったよ
わるいともだち
三月末で派遣の契約が終わる。一応次の仕事は決まったが、希望していた事務ではなく外仕事で、正直始まる前から辞める気満々。でも、支払いがやばい。
去年の12月に例の病気にかかり、回復してから三ヶ月ずっと調子が悪かった。病院に週一で通っている月もしばしばで、その分仕事はできないし小説を書きたいし、三月末に契約が終わり求職活動でストレスと疲労が本当にひどかった。
これが年をとるということなのか。俺もそろそろ限界かなあ、それなりに頑張ったよな、でも惨めな最期、でもそれなりに満足した小説を書けたんだ、なんて色々と考えていた。
でも、新しい小説を書き上げることができた。一応次の仕事も決めた。病院通いも一旦は様子見で大丈夫になった。
お疲れ様俺。何かが良くなったわけではないけれど、メンタルとストレスがヤバすぎてお薬を飲んでいても不安で視野狭窄になっていて、酷く醜く愚かな精神状態だった。
それを自覚できる位には回復していた。
半年ぶり位にアクリル画を描いた。ちなみにその間は一切画を描いていないから、ぶっつけ本番でアクリルで画を描いている。基礎デッサンとか努力が嫌いなおじさん俺。
なんか、思ったよりかは描けた? と思ったが、手前の草花の稚拙さがひどすぎるというか、構図を全く考えずに書いているのがやばいな。
あれ? 思ったより描けている? と思った。小学生のセンスとも思ったけど。オコジョ?の毛を塗り重ねるのと、チューリップを描くのが楽しかった。チューリップの形は酷い物だが、色を塗り重ねるのがとても楽しい。アクリルはこの点がとても楽で本当に助かる。水彩は塗りなおせないし油彩は準備やら金やらが大変だ。
とはいえ、こんな素人画でも描くのに3、4時間位? とにかくつかれる。なので半分のサイズの紙を買ってそれに描くことに。
めちゃくちゃ久しぶり、一年ぶりくらいに世界堂へ。筆もインクも紙もリーズナブルなのを選んでいるのに、軽く数千円が飛ぶ。でも楽しい。
小説は書き続けている。でも、俺は十代で画を描くのを諦めて三十代後半で再開した。沢山の素晴らしい作品を目にしてきたから、自分の画のクオリティの低さにはがっかりする。でも、画を描くのは、色を重ねるのはとても楽しい。「うまい作品」を完成させるというよりも、何も考えずに描いている。だからか、小説を完成させるのとは違う気楽さと喜びがある。
半分の大きさの紙だが作業時間はそこまで減らなかった。厚塗り、重ね塗りが好きなので、アクリルではなくて油彩の重量感質感マチエール羨ましい、と思ったがない物ねだり。とにかくアクリルで練習を重ねるしかない。
ずっと小説を書いていて、画は半年以上サボっていてのに三月に三つ描けた。やればできるやんけ俺。
続けることが自信になる。
俺はずっと小説を書き続けているから、自分の小説を好きでいられる。画も続けているなら、自分の理想のレベルには届かなくても良い画だと思える気がする。
借金の返済をしながら、十代の頃に諦めた画の再開もしている。じぶんがこんなみじめでやばいおじさんになるなんて。
でも、新しい小説を書きたいと思っていて、画も上手くなりたいと思えている。とても体力を使うけれど、止めないように。芸術は俺を愛さないが、俺のつれない友達は、彼なのだから。
花の死骸を飾る人生
小説を書いて応募をした。何度この作業をしただろう。自分ではかなりいいものがかけた、と思っているが、一度も当選したことはない。というか、昔の作家ばかり読んでいて(今の作家だって読んでいるし好きな人もいるけど)肝心の文芸誌というのを買って読んだことがない。
自分にできることというか、積み重ねてきたものは、多分小説を書くこと。でもそれは金にならないしほぼ誰にも読まれずに終わるのだ。
それでもいいと思っていた。二十代、三十代半ばくらいまでは。でも三十代も後半に入り、借金ができて人並みに週五で働き始めてから、ガタついてきた。本や映画を見る時間は激減した。昔はそんなに好きな物ではなくても最後までみたり、とりあえず暇だから、色々手に取ったのにな。
それに確実に体力が落ちている。
今、新しい仕事探しに加えて病院通いが大きなストレスになっている。
少し前に甲状腺の腫瘍の処置をしたのに、今度は扁桃腺? 二度、別ののどはな医者に診てもらったが、かなり嫌な対応をされたり、薬を貰って服用しているのに良くならない。
メンタルの持病もあり、治らない腫瘍というのは物凄いストレスになり、仕事も手につかない、でも働かねば。支払いは待ってくれない。
もうだめなのかなって思うことが増えた。
美術館にはそれなりに行っていて、小説もなんだかんだで一年に一、二作は書いていて、個人的には満足している(でも、文芸誌に応募するのは未発表の作品に限るそうで、noteにはかなり古いのしか載せていない。まあ、ほぼ読まれないのだけれども)
美術に触れること、作ることはまだ、やりたいと思えるけれど、身体とメンタルが限界だ。せめて借金がなければな。一、二ヵ月休んで、それから仕事とか再開したいけど、無理な話だ。
仕事をする時、明るいふりをするのが本当に苦痛だ。社会人だから当たり前のことなんだけれど。それなりに、みんなこなしていることだけれど。それが本当に本当に苦痛で仕方がない。
自由にわがままに気楽に傲慢に放埓にきままになれるのは、小説を書いている時(の中の一部の瞬間、とある文章)くらいなのかな。
芸術至上主義とか、芸術こそわが命なんてことをいいたいのではない。ただ、頼れるものが他に何も無いんだ。狭くて汚い部屋に、綺麗だった花の死骸を飾って眺めているのが、唯一の慰めってだけ。
かなしいはなしむなしいはなし、それが俺の生活人生。
本当に嫌なのにそれがぴたりと肌に馴染んでいるから嫌じゃないって気がするよ。
ドリーム・タイム great3!!!
メンタルがよくなくて、日記を書いている余裕はないけれど、これだけは書き残さねばと感じたのでおもいつくままに。
日本で一番好きなバンドはgreat3だ。初めに聞いたのは多分セカンド。そのポップでロックでソウルフルな曲に魅了されて次々にアルバムを揃えた。
海外で一番好きなバンド、トータスのプロデューサーであるジョン・マッケンタイアがgreat3のプロデュースをしていたアルバムが発売されたのは、大体俺が大学の頃だっただろうか。
大好きな人達のコラボから生まれた作品は、とても切なくてソウルフルで大好きだった。
俺は元々ライブには行かない。お金がないのもあるが、好きな物を好きな時にずっときいていたいという考えだった。
でも、great3は愛の関係のライブには行った。とても楽しかった。もっと彼らのライブに行けばよかったと思った。でも、彼らはライブをしないようになってしまっていた。
そんな時、彼らが7年ぶりのライブをするという話を聞いた。新代田feverでの対バン。興奮して応募したが、あっけなく抽選におちた。もう、あえないかなと思った。
でも、後日コットンクラブで単独ライブをすると発表された。
また、無理なのかもしれない。そんな期待と不安が入り混じる中、予約をしたら、とれた。ライブの予約をあまりしていないので、半信半疑だった。
それに加え、その時(今も)例の病気の後遺症?ストレス?で体調と精神が不安定だった。熱や咳はなく、治って一か月でまたあの病気になるとはかんがえにくく、人にうつすという心配はないが、気は落ちていた。
そんな中、あんなにたのしみだったのに、重い気持ちで向かったコットンクラブ。普段はジャズのステージを主におこなっているのだろうか。黒と赤を基調とした店内は薄暗く大人の雰囲気でとても良かった。
そしてライブが始まった。
俺の席はアキトの真横で、顔が正面から見えなくて嫌だなって思った。でも、一曲目のTAXIが流れてそんなの吹き飛んだ。元々好きなノリの良い曲だったけれど、サポートメンバーを含む今の彼らの演奏でもっと好きになれた。
次は玉突き あれ?何で俺の好きな曲ばかり演奏するの?って馬鹿なことを思った。単に俺は彼らの曲がどれもこれも好きなのに
そしてoh baby あの甘くてかっこ悪くてきらきらしている曲を、今のアキトが歌っているのが本当に嬉しいし、かっこよくて胸が打たれた。
続いてmetal lunch BOX 前の三曲とは対照的な、ロックバンドの力強いアレンジが気持ちよい
次のイントロを聞いて、耳を疑った。大好きだけど演奏するわけがないと思っていたgolfが流れた、アキトが歌ってる。キラキラピコピコしたアマイメロディーにアキトの声がのると鳥肌がたった。
以下、モナリザ
last song
caravanからのlittleJの嘆き
under the dog
R.I.P
穴と月
愛の関係
DISCOMAN
アンコール soul glow
もう、これはベストアルバムか? ファンの人気投票上位てんこもりか? というような物凄く震えるラインナップだった。
マッケンタイアの曲もっとききたかったなあ、てかruby
とか思っていたら第二部のアンコールで歌ったらしい。あー!!羨ましい
でも、soul glowも超かっこよくてソウルフルで最高だった。
何よりうれしかったのが、アキトがとても嬉しそうだったこと。大好きなロックスターが幸せそうにしているって、とてもハッピーなことだ。俺、おじさんなのに「アキトー」ってこえをだしてしまった。
最後にアキトは正面だけでなくこちらも向いて頭をさげてくれて、俺に向けてなんてことではないのは重々承知だが、嬉しかった。
会場のお客さんは礼儀を守っていたけれども熱さは感じ取っていた。みんな彼らが大好きなの、静かに、或いは大きく、周りの迷惑にならないようにリズムに乗っていたの、俺もそうだったよ
ツイッターのトレンドでもgreat3がでてきていて、ああ、俺の大好きなバンドはこんなにも大勢に愛されているし、当然音楽としても最高だって思えて幸せだった。
俺は友達が少ないこともあり、great3のファンとは友達としては会ったことがない。芸術文学映画とかもそんな感じ。一人で楽しむ。それだけでも十分だけれど、俺の好きな素晴らしい物が他の人にもこんなにも愛されているのを生で感じられて幸せだった。
ライブは一時間少しで終わってしまった。あっというまの、夢の時間だった。
でも、次があるって信じている。
俺も、どんなに自分の状況が悪くてもまだあがけるって、夢を見られるって信じる。
ありがとうgreat3
甘い危うさ
何か書かねばと思いながらも筆が進まず、その代わりにトラブルやらストレスやらでおかしくなる日々。いつもの日々、そんな日々から抜け出したいけれど抜け出せない日々。でも、その中でも何かを作ろうとできているのならば
GREAT3のライブが一月にあるとツイッターで知った。俺が日本で一番好きなバンド。普段はライブに行かないのだが、先行販売に応募した。落ちた。開始時刻になったら即、一般に応募した。瞬殺だった。
大好きなバンドのライブには行きたかったから、残念だ。でも、また応募すればいいと思った。彼らにはまだまだ活動して欲しい。いつかはその日が来るにしても、大好きな人達がいなくなるなんて、今は想像できないし想像しなくていいと思うのだ。
小説は遅々として進まず。だが、たまに書ける時がある位でも御の字だ。自分の愚かな行為のために、書くどころではなかったのだから。
書ける時は、楽しい。自分で言葉を選んで組み合わせている感覚、幸福な時間。でも、さぼっていたから筆の運びは悪い。やるしかない。やっていくうちにどうにかなることもあるし、何より楽しいから。
最近スイッチのペルソナ5Rをやっているが、とても面白い。時間泥棒すぎるが、楽しいのだから仕方がない。個人的な好みを言うと、当時プレイした思い出補正もあるがペルソナシリーズでは2が一番好きだが、路線変更した3,4,5全て面白いというか、それぞれ良さはありつつも、ゲームとして進化していると思った。遊びやすさに加えてさらなるボリュームや変化がある。これはとても幸福なことだ。
俺が学生の頃はスクウェアとエニックスのRPGマジ最高!といった感じでこの二つのゲームは面白いものが山盛りだった気がする。RPGといえばFFドラクエ最強。みたいな雰囲気があったが、今はそういう感じではないかもしれない。でも、昔も今も、この会社の名前を見るとわくわくする。つい昔のゲームばかりに惹かれるが、新しいゲームもやっていかなきゃなと思う。
雑記。
珍しく部屋の掃除をしていたら、無くなったと思っていた、サバト館のマンディアルグの本が二冊見つかった。状態悪すぎるけど、本来はとても美しい装丁の贅沢な本。美しい本を所有する、無いなら作るって贅沢な行為だと思う。基本的に本は読めればいいとは思う雑な性格だが、これは綺麗なので欲しい
休日に肉体労働でとても疲れた。読みたい本も雑務もたまってる。どうにか少し小説をかけた。 外に出ることにした。オモチャとかをかいたくなった。無駄づかいをしていなかった。少し前は必死になって家中のガラクタを売ったのに。その金で新しいガラクタを買う。馬鹿らしいがそれ無しでは生きられない
休日の陽光の下でヨラテンゴを聞きながら歩く。けだるくって寂しくって、中々好きだ。ベルベットのサンデーモーニングをサンデーに聞くような幸福
初めて見た音楽雑誌?表紙がgreat3だったので買った。2ndの頃1996年の雑誌。三人とも若い!!!インタビューに対する返答も若さ溢れる感じ。言葉について、片寄明人が あんまり口に出して言いたくないけど、テーマは一つ、純粋さと成長。成長することにより純粋さを失うけど現実に対する様々な感情を描きながら純粋さを再生していくみたいな ってなことを語ってるの、本当に胸に来る。俺にとって君にとって、最高の日本のポップでロックなバンドだよな!!
恵比寿 山種美術館『没後80年記念 竹内栖鳳』見る。竹内栖鳳だけではなく、横山大観、川合玉堂他多数の日本画も展示。唯一写真撮影可能でポスターにもなっている斑猫がすごかった。生で見ると、動物のごつごつとした骨格と体毛の柔らかさを強く感じられる。幼少期に飼っていた猫を思い出した
他には「風かおる」という手前に笹の葉が描かれていて奥に小鳥が描かれている日本画があり、実物は手前の笹が厚塗りで描かれていて小鳥は少ない描写で遠近感と空間が感じられとても良かった。印刷では潰れてしまうから、実物を見られて良かった。
池から半身を乗り出した蛙が描かれた「緑池」という作品も見事。これはポストカードで、実物は池の濁りの緑が広がるような表現で、ぬっと頭を出した蛙との対比がとても上手かった。村上華岳の裸婦像も肉感と丸みのあるのに、神仏のような神々しさを湛えた女性がとても良い。
印刷された作品も魅力的ではあるが、やはり実物を見て感動できるという体験は素晴らしいことだ(印刷では絶対に色味や質感は変わるので)。美術館に行く喜び。
『ゲーム音楽ディスクガイド』読む。ゲームのサントラは普通なら、ゲームをプレイした人が聞くもの。だが、この本ではもっと広い視野で単体の音楽としてオススメ、レビューを行っている。千近くのゲームサントラの紹介。とても読み応えがある。
名盤が沢山入っているが、当然収録数の関係でなくなく外した物があるとのこと。個人的には魔神転生2 バウンティソード・ファースト マッピーキッズ クインティ まもるくんは呪われてしまった エルファリア なんかも大好き。
ゲーム音楽の本だけれど、それ以外の音楽についても言及が多いのがとてもよかった。特にポップンミュージックの渋谷系への憧れと結実といった所に触れているのは、ピチカートやその後の渋谷系の感覚を引き継いだグループ大好きなので納得。
『俺たちの1000枚 10ARTISTS 100ALBUMS』読む。カッコイイミュージシャンが選んだアルバム紹介。とても面白い。中でも大ファンの小西康陽と片寄明人のが好き。小西は毎回自分が全然しらないのを聞いてるんだって圧倒される。片寄はチェット・ベイカーについて語ってるのが好き、チェットのレコードを200枚位持っているという片寄。中毒になって酷いアルバムの中でも少しだけでも輝く物があるからそれでいいと語る片寄が好きだ。
二人共甘い声の危ういボーカル。大好きだ。
お昼ご飯は、昨日ドンキホーテで買った80円のチョコスナックパンと半額のカマボコ。社内食堂で包丁なんてないので、カマボコ板についたのを歯でこそぎ落とす。文明人とすることとは思えない。ipodからはALI PROJECTの赤と黒が流れる。
日曜日なのに肉体労働で死ぬ。でも、久しぶりにあった人が9mmのライブにいった話をしていた。規制があり声を出してはいけないライブ(当時)。物足りないと思いきや、客席が静寂に包まれている中、演奏の音、個々の演奏がすごく耳に残ったそうだ。素敵な体験。俺のキャンドルにも灯がともる。
ストレスと体調不良でかなりヤバくなってきた。お薬飲んで満員電車。 でも、竹村延和聞いてるから少しは正気を保っていられる。お薬はたまに優しい。音楽はいつも優しい、感受性が息絶えてないなら。
メンタルも体調もぐらぐら。だけど、書きたいものがあるとか好きな物があるって思えるとまだやっていけるような気がしてくる。甘い危うさ、俺も欲しい、書きたいな。
末期の手前でずっと
日々、やらねばと思いながら出来ていないことが多々ある。
それなのに、身体の不調に悩まされる。その上、色々とあり、ひさしぶりに仕事を辞めなければ頭も身体もおかしくなる、そう思うまで追い詰められた。
でも、ここで辞めたらもっと恐ろしいことになるのだ。なんとか耐えしのぐしかない。でも、それもあと何年続くのか。
そう思っていた時、親の入院の知らせを聞いた。かなりショックだった。でも、俺の歳でも色々と問題があるのに、高齢の父に何かあってもおかしいことではない。
皆、ゆるやかに、着実と、死の準備をしているのだ。
その知らせやら状況を知った時、かなり動揺してしまった。でも俺ができることは少ない。いざという時ばかり考えていないで、元気でいなければならない。不安に押しつぶされ、何もできないとくすぶっているより、元気なふりをして仕事を続けることこそ、俺の務めなのかもしれない。
ゴダールの訃報を耳にしたことを想起する。あの我儘で自己主張がつよくて飛び切りセンスがよくって映画の才能の塊が亡くなった。しかも、安楽死らしい。
あんなに精力的に作品を作り続けた映画狂人が、自分で死を選ぶなんて、現実味がない。けれど、これは所詮他人の感想だ。彼は彼の人生を生き抜いた。燃え続けた。とても立派だ。遠い島国のおっさんから、ゴダールに敬意を。
小説を書いていない。
俺はラストが決まったら、始めて書き始めることができるので、書き出しから難航した。そのまま、様々な障害やら体調の悪化やら怠惰や言い訳から、頭の片隅にはいつも書かねばという思いはあるのに、書けなくなっていた。
精神状態は悪化し体力は衰え、もう、若くはない年齢になっている。
それでも、ラストは決まっていないけれど、今日一年ぶり位に小説を数行書くことができた。
こんなかんじでいいのか、というおっかなびっくりと久しぶりに好きな言葉を記す快感で奇妙な心地良さを覚えた。しかし迷子だ。結末も決まっていないし、小説を「書く」という体力が確実に落ちている。
俺が描いた物等、数人が喜ぶような性質のもので、俺が自分の人生が楽しくないなら、もう店じまいといった代物だ。
道程の途中、歩いているつもりで沼に甘え餓死するように腐るだけ。
それが現実味を帯びているのにまだ、書けるのか書きたいのか。
心身ともにボロになっても、小説を書くときは傲慢で勇敢で楽しんでいなければ。そういう精神の欠片位は持ち合わせていないと、物語を動かす人間は生み出せない。
たとえ終わっていても、マッチの火を見て美しいと思えるようでなくてはならない。
美しいことを、忘れては生きていないのと同じだ。
雑記
ヨーロッパ バラの名前をめぐる旅 読む。その題名の通り、作家俳優音楽家画家等のエピソードと共にバラの花を紹介。豊富で美しい薔薇の花々と共に芸術家達の人生や生活に触れる事ができる楽しい一冊。
スイッチのライブアライブをクリアした。グラフィックと音楽(ボイス)がパワーアップ!バランス調整もあって、とても良いリメイクだった。だけど、新エンドクリアしたのだが、プレイ時間18時間。やりこみとかしてないが、流石にボリューム不足。その点は残念。
サントリー美術館 美をつくし 大阪市立美術館コレクション見る。幅広い年代の仏教美術や日本画や工芸品等を鑑賞できる。中でも目をひいたのが 上田公長『雪中行旅図襖』。遠景近景の描写の巧緻さが素晴らしく、雪中という題材の良さを引き出している。他にも円山応挙の門下という森徹山の寒月狸図
は狸の毛がふわふわで、応挙とは違った描写の巧みさと存在感。橋本関雪の唐犬は犬の立派な体躯を描いており迫力満点だった。他にも根付けの細密さがすさまじく、このまま商品化しても売れそうなほど。一部は写真も撮れる。
小津安二郎監督『お茶漬の味』また見る。そこまで好きなわけでも、小津の中でそこまで優れているとも思わないのだが、見終わると何だか心が温かくなるのだ。気軽に見られる映画だからだろうか。どこにもない(俺には)幸福を、監督の優しい眼差しに触れるからだろうか。男女並んで歩くシーンとても良い
川端康成の初期短編集『水晶幻想 禽獣』また読む。禽獣が本当に好きですごい。日本で厭世家人でなしを書かせたら一番ではないかと思う。心を置き忘れたかのような人でなしの中のにも、きちんと情感も滑稽さもあるのをきちんと書けている。ふと、酷薄になるし親愛も出る。それを野花のように愛し捨てる
小説を読めなくなっていた。体力的にも精神的にも。でも、川端康成はやはりすごくて心地良くて、俺が日本人の作家で一番すごいと思うし好きな人。残酷さも親愛もある。人間だから当然のこと。それを鮮やかな筆致で、末期の眼で書ける。好きだ。
アンダーテイル、クリアした。前評判がかなり良く、期待がかなりあった。五時間でクリアした。ガッカリした。戦闘はあまり楽しくない(最初の反応は楽しいけど)し、パズル要素もほぼなくて、選択肢を選ぶファミコンのアドベンチャー的な自由度の低さ。それなのに五時間でクリア。一応何周かしてね!
ということらしいが、する気はない。キャラクターは、面白いなと感じた物もあれば、もういいよって思ったのもある。何より、作者の思惑通りに行動しないとグッドエンド見られないよ!メタ発言あるよー!みたいなのもうウンザリ。作者の遊びに付き合わされているなんてウンザリ。ゲーム、或いは
物語がしたいんだ介入したいんだ。本とは違って、一本道ストーリーであっても、ゲームはプレイヤーがその世界に入れるというのはとても魅力的なことだ。このゲームの世界を気に入る人にはいいかもしれないが、単純にゲーム部分は微妙で、真の物語を知るには制限プレイ、ってウンザリ。
真・女神転生5クリアして、シリーズファンだから言わないようにしていたモヤモヤまで思い出す。自分が昔からのメガテン大好きおじさんでなければ、5はマップとストーリー微妙だけど良作!みたいな感想だったと思う。でも、もの凄くガッカリしたのはストーリーもそうだが、悪魔や神様が
ソシャゲのssrキャラ登場!みたいな感じだったのが本当に無理だった。メガテンでなければ、ビジュアルかっこいい!台詞意味ありげ!それでいいけど、美男美女集めて歴史上の人物や神話の神様の名前つけました!をメガテンでやられたら、ガッカリすぎた。人物にも神にも魅力がないメガテン。きつい。
『聖書外典偽典3 旧約偽典1 スラヴ語エノク書』読む。人間でありながら天使メタトロンになったエノクのエピソードが好きで、ようやく原典を読んだ。内容は天に昇ってその様子を知ったエノクが、地上に戻り教えを伝えるといったような物。正直、色んなゲームやらファンタジーで脚色されたもの
に比べたら、とても淡泊。シンプルに、教えを広めよう信じようという内容。まあ、当たり前だけど。物語の創作物として、恐らく信仰心が無いものがこういうエピソードを参考にするのは、みっともないことだろうか?俺はそう思わない。出来不出来はあるにせよ、皆好き勝手に神様すごい!こんなことを
言ったはずなんだ!いや、お前のは解釈がおかしい!等という風に様々な物語、偽典が増えるのは楽しいことだと思う。これって漫画の同人誌?みたいなことだろうか? 私の解釈はこうなんだ!という様々な人々の思い。 俺も誰も彼も、神様や天使は好きだ。好きなように語るのが健康に良い。
新女神転生5に物凄くがっかりしたのは、メガテンは過去作には神話や神様に対する敬意があったのに、それを感じられなかったから。ああ、イケメンや美女出して高性能です! ってだけのが増えたら背景も何もなくってビジュアルだけ最先端のソシャゲの名前だけ神様のかりました!ってのと同じじゃんか。
また、神々の扱いの軽さや描写不足に加えて、神々を信仰し振り回されるする人々(低級悪魔)が全然描かれていないのもきつすぎた。僕の考えた最強の神様! それをシリーズ作品でやられたらきつい。
もう、多分女神転生は俺の知る物ではなくなった。真4辺りで感じていたけど、悪く言いたくないから蓋をしていた。変化というか、仕方がないことなのだろう。俺はネットスラングというか、すごい、という意味で神 という褒め方をする人たちが苦手なのだが、そういう表現に抵抗が無い人の方が今は多いと思う。
インスタント神様。
俺はそういう好みではないんだ。
腑抜け頭で安い、腹を満たす為だけのパンを食べながら、アンドラーシュ・シフ演奏のインヴェンション聞いてたら、まるで隣で演奏をしてくれているような錯覚に襲われた。クラシックしらんけど、シンプルな曲の方がピアニストの力量がより伝わるのかな?とにかくとても心地良いのだ。
雑記を書きながらグールドのバッハを流し続ける。十数年続けている俺のやり方。クラシックは詳しくない。でも、グールドのバッハは心地良いそれでよい。
空元気ができなくなっても、小説を書きますように書けますように
忘却の処方箋よりも
体調が悪いということばかり書き連ねていた。実際にそれはじじつだし、新しい仕事はかなり大変で、平日は帰宅して飯を食べたらいつの間にか数時間寝ていて、げんなりしながらシャワーを浴びたり浴びなかったり。その繰り返し。良いことなんてほとんどない。ストレスだけの日々。
それが多少は緩和された。緩和されたというか、少しは前を向いていかなきゃなって思えるようになってきた。相変わらず返済もあるし仕事やら体調やらメンタルやら、問題は山積みだ。でも、自分で変えて行かないとこのまま腐っていくだけなんだ。状況が酷くって、抜け出せない沼の中でもがいているとしても、やり続けなければ後悔するって、楽しくないって思えるようになってきた。
三十代も後半戦。まっとうな人生、というのがあるとして、少なくとも俺はそういう人間にはなれなかった。歳をとり、どんどん状況は悪くなってきている。
でも、未だ好きな物がある。
その感情だけで、どうにかやっていけるような気がすることもある。
今日、久しぶりに小説の設定が頭に浮かんだ。書きたいものがある。それだけで大分気持ちが楽になった。クソみたいな生活で労働とストレスだけの日々で頭がおかしくなる。自責と不安に依存するよりも何かを作りだすことを考えるべきだ。分ってはいても、それは沼に居る時には困難だ。
でも這い上がらなければいけない。腐ったままおしまいなんてごめんだ。その為にはやはり人に会うこと。人に会えないなら誰かの作品に触れること。誰かの作り出すもの、感情にふれると俺の感受性も動き出すことがある。
もっと、自由でいいんだ。自由が分からない、好きなことが分からない出来ないのなら、それでもいいんだ。それが現実だとしても、悪いことに拘泥するのは簡単なことだ。そのループに何度陥っても、這い上がらなければ、立ち上がらなければ、何度でも。
雑記。
吉田喜重監督『血は乾いている』見る。理不尽な会社の首切りに抗議し、拳銃自殺を図る主人公。一命を取り留めた彼は時の人になり、保険会社に勤める女性は主人公をコマーシャル・タレントに仕立て上げる。最初は弱気な主人公が、どんどん膨らむ虚像に身を同一化していく。シンプルな筋だが確かな見応え
吉田喜重のアラン・レネにも通じるような白黒のフォトジェニックな構図はとても好きだが、俳優の言葉が人間のことばというよりも、いかにも映画の中でしか生きられない言葉だ、或いは監督やらの代弁者だなあとげんなりすることがしばしば。
それでも映画、構図が美しいから見てしまう(個人的にはヴェンダースも見ていてイライラするが映画として素晴らしいのだから見ているくせに文句を言いたくなる。質の悪い客)。とはいえ、今回は善良な一般市民というか単なる小心者だった主人公が、マスコミの手により作り上げられた虚像の面が強くなり、支配され変貌するという内容であって、台詞回しの大袈裟さもあまり気にならなかった。
東京都写真美術館『イメージ・メイキングを分解する』を見る。プログラミングにより描かれた線、点の連なりが抽象画のような作品へと変わる。モニターがあり映像として生成の様子も見られた。シュールレアリスムが見た夢、手法を現代で再現しているかのようで興味深い
正直、あまり好みではないかもと思いながら入館した。全く好みではない人のもあったが、抽象画のような作品はとても好みだった。ゲームのバグった画面を絵画にしたかのような作品もそうだし、モニターの映像で生成される浮遊する墨絵の海月のような線は一定の秩序があり美しかった。
ジェーン・バーキン主演『ヴェルヴェットの森』見る。放校になった貴族のジェーンが住むことになったのは、親戚や癖のある人々が暮らすお城。そこでおこる殺人事件!ミステリーとホラー! とは言え、話は結構ツッコミ所があるというか雑な感じ。映像美術衣装は良いので、ゴシック風味を味わうには良い
キェシロフスキ監督『愛に関する短いフィルム』また見る。孤児院育ちの19才の青年。向かいのアパートの女性を望遠鏡で覗き見をしている。彼は愛の告白をするが、恋愛は未経験。奔放だが傷のあるらしき女性は反発と試し行為でそれに応えるが。反転する関係も見事。暗闇の中で赤やミルクの白が美しい
見る、見られる。被害者、加害者という関係性も含んでいるけれど、ラストに女性が夢想する姿の痛ましくも美しい様、二人の主人公がどちらも愛について純粋な気持ち、おそらく慈愛を求め与えることが強く表現されているように思えた。すれ違い、二人は目覚めた後も結ばれないとしても、愛はきっとあった
キェシロフスキ監督の映画は痛ましい。それだけ彼が誠実なのだと思う。見ていてとてもつらいのだ。だが、多分彼は人間の愛情を信じている。悲痛な結末を迎える作品も、不穏なまま終わる作品もあるが、情愛や優しさ(を求める人)が描かれているように思う。
キェシロフスキの『傷跡』また見る。正直また見てるくせに面白いとは思えないけれど、彼の映画が好きだ。性格良さそう。ハネケは厳しそうきつそう。ファスビンダーは性格悪そう。ユスターシュは死なないで欲しかった。
ルネ・ラリックの香水瓶の本を読んでいて、印刷された物であってもすごく素敵なのだが、美術館で現物をみたらマジで素敵で欲しかった。繊細なデザインなのに、重量感やガラスの少しくぐもった質感がたまらない。
エインズレイとハマースレイの食器見てた。欲しい。花柄の食器の中でも、しっかりと描いているけれど控え目(ピンクやら金やら派手なのは過剰だと思う。白地が好きだ)なのが好きだ。昨日久しぶりにアールグレイ買ったが開けてない。夏は毎日麦茶だけで3-4リットル飲むのだが、飲み過ぎだろうか?
竹内栖鳳見に山種美術館行かなきゃ。動物のふわふわの毛皮みたいな。後は三菱一号館美術館のヴァロットン。前に見たけど、あそこは建物もすごく良いし。官能的な黒をみたい。ギャラリーで森山大道のプリント見たら現物は印刷されたのよりずっと、油絵のようにてらてら光る黒で魅了されたの思い出した。
聖書すらまともに読んだことがないくせに、エノク書の人間から天使になったというメタトロンのエピソードが好きすぎる。メガテン2のメシアプロジェクトのエピソードもちょうすき。人造というか、人ならざるものを無理矢理作ってる背徳感といかれた感じが好きだ。屍の上に立つ勇士の幻覚を見るのだ
皮膚に傷をつけることでしか得られない栄養がある。それを効果的に摂取するにはタトゥーを入れるか入れられるか。そういった創作物を摂取するのが良い
つぶやく気力すらなくなっているし、誰かの作品を受け止めるには体力がいる。でも逃げ続けていては駄目なんだ。
自分の作品についての構想が生まれ、少し前向きになれた。状況が悪くったってそんなことに目を向けていられない。俺は俺の時間を有意義に使うべきだ。
好きな物があるって忘れないように思い出せるように。