これから

日々、ぐらぐらしている。日雇いしか受からない自分では、返せない位の借金返済。病気の悪化。作品も作れないし本すら読めない。

多分人生の中でも一番最低な状況で、這い上がろうとできるのか、やけになって終わらせるのか自分でも分からない。

 こういったつぶやきを繰り返すのも無様だし意味がないと思う。

 でも、何も意味がないと思うよりかは、今の感情を吐き出す方がましだと思った。

 自分語りの前に、ゴダール自死について。

 彼が自死安楽死を選んだという一報を聞いた時に、とても驚いた。あのパワフルで才気あふれるエゴイストが自死を選ぶ? どういうことなのか。
本人しか知り得ない、分からないことだけれど、知らせを聞いてからずっとそのことが引っかかっていた。

 その後、友人とされる人の丁寧で真剣なインタヴューを目にする機会があった。それによると、ゴダールは最後まで自分の力で様々な生活や創作をしようとしていたけれど、病気や年齢で身体が思い通りにはいかなくなった末の決断だったということだ。

 その誠実な記事は見返したくなくって、うろ覚えではあるがこういう内容だったはずだ。映画が大好きであんなに沢山の刺激的で挑発的でクールでキュートな作品を作ってきた人が、映画を作れない、日常生活を送れなくなったとしたら?

 自殺を選ぶのは、単純な理由ではないと思う。幾つもの要素が重なって、自分で選んでしまったり、まるでアクションゲームで穴に落ちるように消えてしまうのだ。弱っている時は判断力も鈍っているし、前向きなことを考える力もなくなっている気がする。周囲のサポートや金銭的な余裕がないとしたら。そう、昨日まで、数週間前まで普通に暮らしているように見えた人だって、世界中で静かにさっていく人たちがいる。

 ゴダールの死について。俺は彼の映画を何十本も見ていてDVDも買っていて、高校の時にたまたまレンタルで『男性・女性』を見てからずっとファンで、彼の多くを知っているなんてとても言えないけれど、でも、大好きだった。彼の作品が、彼の新作が見られると言うのは大きな喜びだった。

 彼の作品は残る。彼の作品を見返せばきっと発見が快感が喜びがある。でも、彼がいないのは悲しい。

 俺は学生の頃は虐められっ子だった。幼稚園小学校高校と苛められた経験があって、人付き合いが苦手だった。苦手というか、人の顔色を窺ってしまう癖がついていた。仲が良い友達がいたこともある。でも、性格や大きな声やでかい身長が悪目立ちするのか、大人数でいると何かの標的になることが多かった。

 小さい頃からずっと、心配ばかりしていた。もし、〇〇ならどうしよう。

 不安は消えないどころか、別の形で現実になりまた「もしも」を考えてしまう。出口は無い、できることがあるなら逃げることだけだと思った。高校は不登校で卒業日数ギリギリでどうにか卒業できた。卒業証書は遅れて取りに行って、公園で一人で火をつけて燃やした。

 こんなことしてだっせえなあ、と当時から思っていた。ライターの火をつけた卒業証書はあっという間に黒く変色して、風がカスをさらっていった。アルバムも燃やそうとしたけれど、火のつきが悪くできなくて、ゴミ箱に捨てた。

 高校の頃、アルバイトをして初めて自分の好きな物を買うことができた。それまでは自分の好きな物を言うというのがものすごく恥ずかしいことだと思っていたし、家では好きな物を買ってもらった記憶がない。愛情が無いという訳ではないが、厳しい家だったと思う。

 でも、お金があったら色々なことができた。一枚の中古CDでも洋服でも、買って自分の物にすることは大きな喜びだった。とはいえ、学校をさぼるけれど金が無いし当時はスマホもユーチューブもないし、百円で買った文庫本を読み漁っていた。今では退屈で読みたくないような新潮や岩波の文学作品を安いという理由で片っ端から読んだ。有名な作品はわりかし読んだと思う。本が友達だったし、時間と不安をうめてくれたから。

 きちんと本の内容を理解していたとは思えない。しかしその時の体験が自分の血肉になっていった。世界には様々な人がいて様々な考えをしている。それに優劣はない。こんな単純なことを理解するのに必要なのは、俺にとっては読書の経験だった。

大学に入って小さな期待があった。もしかしたら美術や文学の話ができる友達ができるかもしれない。

 その願いは一応かなったが、すぐに壊れた。

 大学の映画サークルでゴダールがートリュフォーがー勅使河原宏がーと語った時の微妙な空気を今も覚えている。飲み会で映画に関わっているという人に会った時、自分の好きな映画の話を控えめにしたら、「お前は駄目だ」と言われた。

 ある人にとっては、ゴダールはインテリぶったかっこつけ(が理解できていないのに好きなふりをする)映画らしかった。そんあことないのにね。

 そのほか、文学でも美術でも音楽でも、俺が色んなのを好きだと言う度に空気が止まった。何度もその経験を重ねる度、俺は自分の好きな物を言わなくなった。

 大学に入って、メンタルがおかしくなった。詳しいことは今は書きたくないが、色々とあってメンタルクリニックに通い躁鬱の薬を飲んで暮らすことになる。もうすぐ躁鬱歴20年だろうか。何もできなかったりハイテンションになったり、急に涙が出たり不安でたまらなくなったり無気力になったり、その繰り返し。薬はその波を和らげることはあっても、完治はない。

 それに副作用でぼんやりしたり眠くなったり色々と症状が出た。どの薬を飲んでも、効果が分からないか副作用が出た。

 薬なんて飲みたくない、でも今この瞬間の気持ちの爆発を抑えてくれるのは薬しかなかった。

 色々な人がいて、それぞれの生活がある。趣味が重なるなんて幸運なことだ。好きな物が違っても仲良しにはなれる。その人の好きな物で、自分の知らない話を聞くのが好きだ。好きという気持ちを話してもらうのは楽しい体験だ。

でも、俺はずっと友達が、芸術の話が出来る友達が欲しかった。自分でも色々な物を好きだって語りたかった。

 ずっと話が、正直な言葉を伝えあえる友達が欲しいなと思いながら生きてきた。

 そういう経験がゼロではないけれど、それはとても困難だった。というか、制作者は幸福な例を除いて大体こんなものかもしれない。他の人からは何それよく分からない、ということになる。

 だから二十過ぎからブログで一人それをかくようになっていた。二十代の頃は反応を貰うこともまれにあった。SNSで人に会うことも。小説は書き続けていた。エゴイストで貧乏な俺もパソコンはあったから。貧乏でそれなりにどうにかなるって思っていた。

 大学を卒業してからそんな生活を続けて20年近くになろうとしている。カートの年齢で自殺するのかななんて思っていたのに、もう40近いオッサンになった。

 芸術について話せる友を得ることもなく、ずっと書き続けている小説は応募しても受賞することはなく、生活は安定どころか借金が増え続け、容姿や身体も衰えた。

 自殺する為の色んな条件がそろった。でも、その前にやり残したことも、できたら返済もしたいなと思っている。

 あと、神様、俺は無神論者だけれどあなたが登場する作品や信仰、信仰を持つ人たちのことが好きで、貴方を感じられる瞬間が、錯覚でもいいから欲しかったな。
 
 意志を持って繰り返すことは、祈りに、信仰に似ている気がする。

 俺は美術が好きで、色々逃げて投げ出してきたけれど小説は書き続けていた。それなりに出来が良いと自負している物ものある。他者にとってはとるにとらないにしても、自分でそう思えると言うのは俺の努力の積み重ねであり、小さな誇りだ。

 でも、疲れてしまった。友達もお金もない。仕事には何十応募しても受からなくって、十数年日雇いやら期間限定の仕事ばかり。躁鬱でメンタルも安定せず、何か心配事があると眠れない。今日も四時間で目が覚めて怖くなってこんな感情の垂れ流しをしてしまっている。

 俺は自分の好きという感情を伝えないのに慣れて、つまらない人間になっていった。色んな好きな気持ちは、感受性は消えてはいないけれど、朧だ。それよりも借金を返済しなければならない。涙が出ないように薬を飲んで日雇いをしなければならない。薬の副作用や不安、或いは元々なのか頭がぼんやりしていて、仕事ができずに不安でおかしくならないようにしなければならないし、借金を返すために人より多く働かなかなければならない。

 もう、十分頑張ったよな? ずっと辛くて寂しくって、その割合がとても多かった。もう、楽になりたいな。

 そんな考えがよぎる時、ふとゴダールのことを思うことがある。

 まだ頑張れるんじゃないか、まだ作りたいものがあるのではないか。ゴダールに俺も辛いので自殺しましたって言えるか? 言えない。恥ずかしい。

 まあ、それでも辛いけど。痛みは人と比べることはできないけど。

 ずっと、暗闇の中で小さな光を探して生きているような人生だった。その小さな光を探したり感じたりする力が消えたのか、消えかけている。

 自分を立て直せるのは自分だけ。まあ、そうだと思う。周りのサポートがあれば、立ち直る確率は上がるだろうけれど。でも、自分の意思で戦わなければならない。ずっと、一生だ。

 これからどうなるのか自分でも分からない。ただ、こんな無様な文章でも吐き出していかねばいけないのだと思う。色々言いたいことを隠している(露悪的過ぎてかく必要はないかもしれないけれど)し、用は人も金もなく作品は認められず病気あり借金ありで、おっさんでつらいですって話。シンプルだな、無様なだな。

 でも、俺、本当に芸術が創作が好きなんだ好きだったんだ。

 だから、もう少し頑張れるかな、わからないや。