子供向けの絵本はすきなん

日本でも人気の絵本、リサとガスパールやペネロペシリーズは旦那さんが画、奥さんが文章を担当しているらしく、「素敵な夫婦だねー」ってなことを言ったら、「効率がいいね」と返されてしまい、まあ、そうっすけど、ねえ。

 昔は買ってきたCDの、日本語版のライナーノーツがとても楽しみだった。好きなアーティストが影響を受けた、好きだと言ったグループを新しく買っていくと、大抵は当たりで、宝物さがしをしている感覚。今はもう、「そこそこ」詳しくなってしまったし、訳も分からずに消化することも出来なくなってしまったけど。

 広義での、好きな人が好きなものに興味を持つのは自然で、素敵なことだと思う。好きな人が見ているもの、それと同じ景色をみてみたいなって思う。

 安藤裕子が「愛してるとかいって 恥かしい言葉をならべて ありふれた世界を 二人で作りましょう」って歌っていた。この「あなたとわたしにできること」という曲も、歌っている彼女も好きだが、それを自分が実行してきたか、と考えると疑わしい。

 父は自称詩人のフリーターで、三十を過ぎ、子供が出来てやっと観念して就職することになる。父は子供に無関心だった。兄とはたまに衝突することはあったが、手の掛からない、生徒会とかに入るような学生だった俺は、一度も勉強しろとか、そういった類のことを言われた経験が無い。父は家族に干渉しない、休みの時間には好きな本を読みたいらしい。それを俺は変だと思わない。俺にとっての父は善良な無関心だから。

 父が数年前に、子供なんて作る(育てることになる)つもりなんてなかった、とか言うのを聞いた(彼は悪気がないのだ、俺は彼の言葉でたぶん傷ついたりしない)。そう、結婚して子供が出来たならば、俺だって、必死で就職先を探すだろう。今の俺は、就職や結婚をしたくない。

 それで、誰かと同じ景色を見たいのか、というと、自分のことばかり考えている今の自分にとって、それは高望みのように思えるのだ。何かを手に入れるには、何かを犠牲、といったら大げさかもしれないが、視界は狭まるだろう、と思うのだ。

 一年程前に、仲が良かった「性格の良い」友人と「美術のこと」で喧嘩別れをした。
 以前、そのYUKIが好きな彼が、酷く落ち込んでいたことがある。その時俺は「ハローグッバイ」の歌詞の「あたしがみてきた すべてのこと むだじゃないよ って君に 言って欲しい」っていうのを、「俺は」違うと思っているけれど、「性格の良い」、人との出会いを大切に出来るお前なら、きっと、色んな経験も力にできるんじゃないか、と言った。

 若者や老人の人生には無駄以下な出来事が山のようにある。その友人は、生活を楽しもうとするタイプの人間だった。俺は、ものづくりをする人間は、生活を楽しもうとすること以上に、生活を楽しくしないことにも心血を注ぐべきではないか、と考える人間だった。彼とは性格の良さがきっかけで知り合い、友人になり、それが原因で訣別した。

 一人一人違う物を見ているんだから、誰かと同じ景色なんてものは、とりあえず、のものであり、幸福なものであるのだ。

 こんな無粋な単純なことを文章にする俺は、まだまだこういったことを続けようと思っているん。