夏が終わるって君

司書の資格を取る為に大学から証明書を取り寄せ、願書を送った。一応審査があるらしい。失う金よりも、晴れ晴れした気分の方が、肝要だ、と思うのだ。

 気づけば二ヶ月以上、全く自炊をしていなかった。求職期間と真夏の暑さが重なって、とても自分自身で何かを作り出す気力が湧かなかった。見切り品の弁当やジャンクフードばかり食べていた。多分、普段よりも食べ過ぎていたように思う。とにかく満腹でも食べたかき込んだ。気分が悪くなるほど食べて、小さな自己嫌悪が生まれる。しかし数日後にはそれを忘れて繰り返す。

 基礎代謝が落ちるのって二十五から、とかいう話を誰かに聞いたことがある。運がいいことに俺の身体はまだガリではあるのだが、こんな暮らしを続けていいわけがない、のだが、俺は摂食障害の人や大食いの人の映像やらを見るのが好きだ。というか食べ物でなくてもいい、それが幸福でも不幸でも構わない、依存症の人間の、ありえない量の溢れ出した「物」の洪水を見ると、(それを消化する行程を目にすると)身体が楽になるような錯覚をするのだ。

 過食症の人の話を書籍で読むと、俺とは桁が違う物量を目の当たりにする。それに俺は変な興奮を覚える。俺がクリアしたゲームやクリアしていないゲームをし続けていること、未読の本再読する本を読んでいること、そのことと通底するものがそこにはある。そして、自分が幸福だ、と信じて疑いもしない人以外は、誰でもこの流れを耳にすることができる。

 こんなのはストレスのはけぐち、代償行為でしかない、と感じていても、理解はしていない。現状を教えてくれる幸福への書籍も、俺にとっては(一部の人間にとっては)単なる知識でしかない、有用ではない、としたなら。

 シガーロスの『残響』を繰り返し流している。感傷に流されること無く、俺はこのCDを聞いている。俺が知っているうちの、彼らの中で一番エモーショナルなこのアルバムは、俺に幸福な時間をくれた。やっていけるような気分。一年後、もし、資格をとっていて、それでも展望は開けないけれど、そんなことを考えなくてもいい、幸福。

 久しぶりに豆腐とピーマンととり胸肉を買った。何度も繰り返し作っている、コンビニやスーパーの弁当よりかはましな低コストメニュー(俺の小さな冷蔵庫には冷凍室がないのでレンジ技が使えない)。

 あまり記憶にないのだが、多分、去年の夏もそしておそらく今年の夏も花火を目にしていない。四季の些細な行事を大切にする、ということは単純に結構おもろいことだし、健康にいいことだと思う。今年も花火を見ずに終わるだろう。しかし、夏が終わるのは嬉しい。最近は扇風機を回さなくても平気な時間さえ出来た(くーらーはろんがいっす)。それに、俺は季節の移り変わる狭間の時が好きだ。無理をすれば大抵の洋服を着られる。それに、四季の移り変わりに、俺の怠惰な心が刺激を受ける、時もあるから。

 シガーロスの『残響』。今、情緒不安定じゃないなら是非。四季の移り変わりのように素敵なアルバム