リハビリとコント

「編集者に頼まれて」書いた仲正昌樹の本を続けて読んでいた。俺の中では仲正は怒りっぽい浅田彰みたいな感じで、「大学の先生」というイメージにぴったりきて好きだ(仲正はアート系に全く言及しないので特に)。対象との距離感の取り方と知識の適切な(彼らが博識なのは当然だから、歌がうまくそれを披露しすぎるサラ・ヴォーン的なふるまいよりも、自由自在に楽器のようなコーラスを生むマンハッタン・トランスファー的なふるまいがスマートだと思う)運用。知に従事する者として、夾雑物に関する厳しい態度は「大学の先生」に相応しいように思える。特定の問題に対してだけ怒りんぼだけど。

 彼の著作の中で、アメリカの経済・思想史をまとめた本があって、それがとても面白かった。元々俺が経済・社会・政治について関心が薄いのもあるだろうが、それにしても「アメリカ」のってあまり目にしなかったから。本文中に並ぶ(俺にとっては)懐かしい、なじみの薄い名前、ロールズ、フロム、アーレントハイエク、ローティ、そして、『歴史の終わり』。

 彼らの思想の連なりは、現代の日本を考える際に手助けになるだろうと、今更、柄にもないことを思った。面白かった。粗雑な予備知識と適切な文章をガイドにうわべを掬っていくのは、私情を挟まず市場に詳しく多少の詩情のみを解するよく管理された人物が最終編集権を握る、出来の良いハリウッド映画のように刺激的だった。

 魚喃キリコの一番出来の良くない漫画の主人公の女の子が、自分の行いを反省して「夢を持っている(がんばっている)人を馬鹿にするのは最低だ」と言っていたけれど、俺もそれは同感だ。行動した人間の方が周りで「それっぽい」ことを言っている人間よりも、核に向かう人間の方がずっとかっこいい。また、彼らの意志が悪罵で傷つくとも思えない(疲れさせはするかもしれないが)。言説も作品も御自由に。

 仲正の本を読みながら考えていたのは、女神転生の世界のガイドブック『真・女神転生GRIMOIRE』のことだった。俺は神様とか好きなくせに、神話、神学、厳密な解釈といったものに興味が薄い。それだったら現実の方がずっとおぞましく、論理的だから。

 とはいえ、多少の神話の知識が女神転生というゲームを「楽しませて」くれるのは事実だ。『真・1』の序盤の山場で、カオス(混沌)側かロウ(秩序)側につく、という選択肢を迫られる場面がある。アメリカの大使による千年王国建国に反旗を振りかざす、カオス陣営の中心人物が、一等陸佐のゴトウというのだが、角刈り褌日本刀でモロ三島。そしてアメリカの大使はトールマン。その正体は北欧神話で有名な雷神トール。神の使いであるトールは、その手に持った槌を協力するしない如何に関わらず振り下ろす。それは核爆弾=神の裁きであるのだ。

 この位の設定ならば神話とかに詳しくない俺にも分かるし、楽しめた。その『真・1』から続く並行世界の一つが『真・2』で、東京崩壊後にメシア教団(センター・秩序陣営)が中心となった世界で、記憶喪失の青年を主人公にした話になっている。『GRIMOIRE』に書かれていた、『真・2』の元ネタは知らないことが多く面白かった。以下ネタばれあります。一応。


 カバラとかグノーシス主義とかについて、真面目に記憶したりしないでしょ?内容は割愛するが、それがゲーム上にきちんと組み込まれて作用しているのは(そういうゲームなんだから当然かもしれないが)遊ぶ側にとってとてもうれしい心配りだ。

 中でも俺が面白かったのが、救世主として生みだされた主人公は、物語の途中で夢の中に迷い込み、そこで自分と同じ、四大天使(センター・元老院)により生みだされた人物に名前を与えていくのだが、彼らのデフォルトの名前がヘブライ語のアルファベット順になっていること。主人公がAleph(アレフ)途中で死んでしまう準ヒロインがBeth(ベス)楽園の管理を任されている青年が Gimel(ギメル)というように。しかもラスボスが唯一神YHVH。日本は宗教的にゆるくていいね!

 「名前をつける」というのはRPGに慣れた人には当たり前の作業だけれど、それに意味付けがされているのは好ましい。だって、「名前をつけて」あげるんだぜ! 俺はキャラクターの名前を全部変えます。主人公には必ず自分の本名をつけます(友人に苦笑いされた。いいじゃん)楽園の管理を任されている青年には「ダンテ」って名前を付けたのだが(名前に困ると適当に拝借する)、その楽園が実はコンピューターによって見せられてた電脳世界で、脳をケーブルにつながれた人間を支配する「ダンテ」が見せる偽りの楽園、って個人的にきゅんきゅんきました。ギメルでもいいけど、ダンテならもっと似合う、と思う。

 また、ヒロインだけは日本語の「ヒロコ」という名前なのだが、彼女は優秀なテンプルナイト(ここではセンターの戦士)であり、主人公の彼女かと思いきや、元老院がメシアプロジェクトで、体外受精により人工的に『処女懐胎』したその母体であり、つまり主人公のパートナーであり、母親でもあるのだ。

 また、急速な成長を遂げた主人公は、元老院の思い通りには動かなかった。それは唯一神の手によらない不完全な『処女懐胎』だったから。『真・2』では、法に従っても、混沌に身を任せても、そのどちらにも与せずとも、最終的に手にかけるのは唯一神。その先は、残っている人物の意志(一応自分の意志を貫くという意味で、どちらの陣営にも与しないニュートラルな選択がGOOD ENDに近い扱いになっている)。

 アメリカのうわべをなぞり、ゲームのように楽しむ俺は、そういう方法でしか社会や社会作法に関われないのかもしれないと思う。社会(のようなもの)やメタ社会(のようなもの)に対する哀惜と不実とを、恥ずかしいとは思わない。彼らだって俺を、皆を疎外する。人々の意志を楽しめますように俺もあなた方も。