自兵症求人広告

しばしば目にして、引っ掛かっていることがあった。そういえば割と最近出た、古谷兎丸の『インノサン少年十字軍』の中巻を読んだことを想起すると、それらが繋がった。よく分からないが、嫌な気分になった。2、3時間しか眠れずに起きてしまった時のような。

 貧困層に合わせた商売が最近出始めている、という指摘をしばしば目にすることがある。同じような著者の、同じような題名の著作を、熱心ではない人間が読むのだから当然のことかもしれない。その中のビジネスの一つとして、比較的若い青年達を自衛隊(軍)に勧誘する動きがあるそうだ。日本だけではなく、アメリカ等の国でもそれは行われているらしい。なんて、合理的なんだ、と思った。「ごゆっくりどうぞ」と回転数を上げる為の堅い椅子に座らせる方法よりも、政府の批判は出来てもスポンサーに関わる企業への批判は自重するメディアよりも、クレバーだと思った。かしこい。うすら寒い。

 労働力としての価値が認められない20、30代の「青年」が、承認といくばくかのお金を求め、兵士として戦地に派遣、派兵されるなんて、うすら寒くて、感動的じゃないか?

「全ての労働は売春である」という言葉を、俺は笑うこともしたり顔で語ることもできない。その言葉との距離感をとれない。その言葉を知る前から、当然だ、と確信しているから。ところで、売春って恥ずかしいことだろうか?俺は「労働は恥ずかしい」と思う。また、労働に従事しないことも、羞恥に近い感覚を呼び起こすことになる。

 しかし、当然のことだが、日本の社会は誰が何て言おうと回っており、その証拠に人々は労働を、働いている自分を恥ずかしい等とは考えない。その代わり、感情労働の最たる職業の労働者達を、恥ずかしいものだと考えているのだ。剥き出しのままで暮らせない以上、社会の大半がその労働者達に向ける視線は「仕方ない」ものだと言えるだろう。しかし、その視線が、彼らに奇妙な処世術を学ばせることになる。

 彼/彼女というものは「人生哲学」というものを持っているように思える。「人生哲学」という言葉が示す教養のなさ(とかいう破廉恥な言葉が一番しっくりくる)に符合するような、処世術だ。感情労働の相手に対する蔑みや、自尊心を守るための傲慢さを武器に、彼/彼女達は日々を渡っている。そんな彼/彼女達の、少し達観した「ような」、自嘲に包んだ傲慢「みたいな」発言を耳にすると胸が痛む。いいか?お前らが暮らしている社会において賢いってことは、自分じゃなくて他人に身体を売らせるってことなんだぞ?賢いって言うのは他人に売春させて平然としていることなんだぞ?わかるか?銭の増減で一喜一憂してるんじゃあ賢くなんてねーんだよ

 面と向かってそんなことを言ったりはしない。し、俺は彼/彼女達がそれなりに金を稼いでいるであろうことは、金銭が発生しているという点において素敵なことだと思う。もはや、過剰な感情労働という市場から締め出されてしまったとしたら? そう、兵士を志願すればいい。こんな方法でしか、社会的承認を得られない(またそれを求めている)人がそれなりの数存在するのだ、と思うと、冒頭に記したような気分になる。いや、嫌な気分だけではない。俺は、彼/彼女達に対する愚鈍に感動する。現代の、『インノサン(無垢な)』兵士たちじゃないか。

 史実の、漫画の中だから美化できる幼き兵士たちに似て、彼/彼女達は感動的だ。少年(ここで少女について語るよりも、少年について語るほうが適当だと思う。男だから)が美しい、と疑問なく思えるのはもはや少年ではないか、生まれつき少年ではないか、どちらかだ。少年の持つ。愚鈍さ、愚劣さ、不適合さ、こそが感動的だ。愛欲のヴェールをかけて、やっと、美しく見える人も、いるだろうが。でも、愛欲は「愛すべき」ことだろう。労働に従事する気になる。

 俺は彼らの愚鈍、行動、に感慨を覚える。俺の友人は吐き気だから。(小さな範囲の)社会に向ける怒りや愛情よりも、活字への没入が費用対効果が高い、と思える、資本主義の恩恵を受けて育った人間だから。社会的に承認されている人買いはそこそこ興味深く(彼らは造語好きで、分かりやすい)、居心地が悪い労働力について、共感とは違った感慨と覚える。

 確実に俺は労働力の側ではあるが、自分がそれであることを、どこかで認められないでいる。共感ではない。恒常性の誘惑に負けて、時折、得意げに(しかし過不足なくこなすのだと肝に命じて)労働コスプレをしているだけだ。労働への親和も断絶も不可能だ。吐き気がする。所属と交換に関する事柄は俺を内から断罪する。原罪はないが断罪は存在する。吐き気がする。こんな「日記」を書いていること、とはいえ、活字が俺を引き留めていてくれている。吐き気がする。それは俺が選択したのだ(と思っている)。俺も兵士になって、困ったような顔をして笑うことができるのか?『インノサン』を無垢だと信じられるようになれるのだろうか、そうしたならば俺も。