ロックマン死ぬ時四方に光の粒になって消えるのかっこいいよね

 古本屋を回っていたので、投げ売りされていた本をどんどん購入した。購入せずにはいられなかった。あの名作が良作が百円! 考えてみたら不思議な気持ちになる。図書館でただで読めたりするのも不思議だけど(税金俺ですら払ってますが!)。

 ゴミの山宝の山? 不思議な気分だ。なんでこんなに本屋には本があるんだろう?

 まれに、(古本屋ではない)書店に行くと、店全体がゆらめきながら燃えているような、そんな白昼夢に襲われることがある。特にそれを感じるのは、六本木にあるあおい書店という店で、そこは一階とニ階がどちらも書籍のコーナーになっているのだが、エレベーターで上がって、二階に足を踏み入れた瞬間に、しばしばそういった状況に襲われる。大した意味づけなんてできない、極めて私的なくだらない出来事だが、自分にとってはとても印象的な光景なのだ。エレベーターを上り扉をくぐり数歩踏み出すと、本屋が燃えているなんて。

 小説を読む気になれない(まともな小説・評論は値が張るか中古で売っていないので図書館で借りる)とにかく漫画本やら攻略していない、とっくに攻略したゲームの攻略本やら雑誌やらを大量に買い込んでいて別に今に限った行為ではないのだが、気付けばここ数日だけで、アマゾン先生を除いて、五十冊以上購入していて、自分で驚いた。勿論未読の物は他にも溜まっている。

 とても人を招けない俺の部屋のルールは一つ、生ごみとか臭いがするものはさっさと処分する。それだけ。


 そして、それらの本を、買ったばかりの本も含めて売りに行く。多少期待していたのだが、ゴミみたいな値段にしかならなかった。本当に、捨てたほうがましだったかもしれない。アマゾンで買った綺麗な本も複数の店で買い取り不可。在庫とかの関係もあるだろうが、大量に本を売るのは重いし、多くの場合金にならないのでとても疲れる。思いきって選んで捨てた(売る)ものに「無価値ですね」と言われる、やるせなさ。でも、ほんの少し部屋がましになった。

 でも、そんな本の中でも、いい本は勿論あったし、そこそこの金を出して、これもまた数年前から欲しかった有賀ヒトシの『ロックマンメガミックス』の1と2を購入した。俺が小学生のころからコロコロやボンボンとかはほとんど読まなかったのだが、何故かこの人の描いたロックマンの話は記憶に残っていて、数年前に出た総集編が欲しい欲しい、と思いながらも、また、いつも俺は「欲しい欲しい」ものばかりで手を出していなかったのだが、今回、購入した。

 内容はロックマンのシリーズを題材にしたコミカライズで、特にメガミックスのⅠではファミコンの作品ごとの戦いを60ページ程度でまとめている形式になっている、というか、月刊誌ではそうせざるを得ず、少し詰め込み感があるし、多少厳しいことを言えば(いつも言ってるだろ)、ロックマン好きが読む漫画かなあ、とも思うのだが、面白いん、とても面白いってか、あつい。作者がロックマンが好きだっていうのが伝わってくる。それだけでも、読む価値は十分にある。それぞれのボスキャラにも個性をつけ、わくわくする、スピード感のある少年漫画に仕上がっている。

 メガミックスの2ではもっと突っ込んだ、自由な感じの内容になっていて、ロックマンとそのコピーロボットとの対戦やらスカルマンとの対決やらが熱い。、だが、やっぱゲームをプレイしている人じゃないと面白みも半減してしまう。この本はロックマン好きの人が描いた、ロックマン好きの人の為の、素晴らしい漫画だ。ロックマン好きとして、買って本当に良かった。

 そして、この二冊の巻末に、それぞれ前後篇として収録された、「ロックマンを作った男たち」という漫画が、とても胸に来る内容になっている。広い意味でのサービスを(これを感情労働と言い換えた方がいて、大変嫌味でありまた、その表現は俺の感性にあっている)提供する人達は、「頑張って」「お客様」に喜んでもらおうとする。そんな当たり前のことを描いた漫画。

 おおざっぱに言うと、この話は新人泉くんとある程度年季の入った神明さんとのやりとりで出来ている。ロックマンファンならすぐに分かると思うが、神明さんのモデルは間違いなく稲船さんだろう。

 実録物、(大体)ノンフィクション系の漫画とかって、苦労した結果成功した、わーい、みたいな構造になっている(成功していないのはそもそも漫画に「させてもらえない」)、当たり前のこと、なのだが、ロックマン好きにとっては、「ロックマンを作った男たち」の中で何度も出てくる神明さん達の「子供たちを喜ばせたいんだ」という熱い思いは深く胸を打つ。

 また、ロックマンのデザインが子供でもかけるようなシンプルなものでありつつも、アメコミのエッセンスを持て、というコンセプトがあった(漫画なのでどこまで脚色かは分からないが、多分これは本当にそうだと思う)のはファンとしてとても興味深く、また、納得した。

 子供でも描ける主人公、そして、アメコミの真似ではなくエッセンス、というのはかなり魅力的で困難なデザインだと思う。特に、アメコミのようなビビッドで攻撃的なエッセンスを、「日本風」にするというのは、特に当時ではかなり困難だったように思える。

 また、「子供を喜ばせる」仕掛け、として、ロックマンのゲームは最初から好きなステージで遊べるようになっている。普通のアクションゲームとは違い、嫌いな面は後回しにしていいのだ。そして、ボスを倒したら、そのボスの武器が使えるようになる。強敵の武器を新しい武器を使うわくわく感、、そしてそれで困難を打ち破る(ボスにはそれぞれ弱点となる武器があり、実際それを利用しないとかなり強いボスもいる)。わくわくする。

 また、ロックマンはかなり高難易度のゲームだ。アクションゲームが苦手な俺は一人きりでクリアできたのはⅠだけで、後は友達とクリアした。でも、音楽がとにかく最高なのだ。特に1〜3辺りはこれぞゲームミュージックって感じの、ちょいユーロ、トランス風味の下品でキャッチーでわくわくする感じの曲が多いし、もちろんしっとりとした、バグルス的な、シンセのレトロ・フューチャーを感じさせる曲もある。何度死んでも、曲に救われる。そして、死ねば死ぬほど、上達だって出来るような絶妙なバランスのゲームなのだ。

 発売後、漫画の中で開発者達には「地味で」「難し過ぎる」という声が上がってくるのだが、開発者たちは子供たちが協力して、何人もでロックマンを楽しんでいる姿を見て、自分たちの思いが伝わったことを確信する。その子供たちのわくわくが、開発者の2作目へと繋がっていくのだ(ここら辺はさすがに漫画的な演出が強いと思うけど、嘘でも本当でも、とにかくいい場面だ)

 そしてロックマンの2では「子供を喜ばせる」為に、新しいボスモンスターを子供たちから募集することにする。神明さんが「子供と一緒にゲームを作るんだ」という台詞を「子供」のように口にして、それに感動する泉君のシーンは、とても好きなシーンだ。

 しかし当然だが彼らは会社勤めをしており、別の仕事だってしなければならない。メガミックスの2ではそういった開発の苦労についても触れられている。(それぞれこの二冊にに全編後編として収録される)「ロックマンを作った男たち」の超少年漫画的1と少し踏み込んだ内容の2とはバランスが絶妙で、もしかしたら、この漫画でこの後半に収録された漫画に一番感銘を受けたかもしれない。

 「ゲームは子供たちのもので、子供たちをを喜ばせたくって、その仕組みを作り上げる」。パン屋さんがおいしいパンを焼く、でもいいけどやっぱ、毎日ゲームを何時間もしないといけないゲームっ子としては、神明さんの、そして名前にはなっていない多くの「制作者の」その心意気には深く心を打たれる。

 最近ゲーム系のサイトを見ると、神明さんのモデルとなったらしき人のあれやこれやが出ていて、何だか嫌な気分にもなりつつ、目が離せなくもある。ゲームは大勢の人が関わっているし、俺個人としてそのモデルの人のファンとまではいかないのだが、でも、自分が傷つかない位置からの、煽りや嘲りのコミュニケーションばかりを続けていると、必ず魂が磨滅していく。魂とか、そんな馬鹿な表現を使ってもこれは是非主張したい。神明さんのモデルになった人が人としてアレな行為をしたとしても、当事者以外ならがそんなのばかりに拘泥するよりも、君にはきっと、やることがやりたいことがあるはずだから。そうだろ?

 単なる悪口もゴシップも、「悪いこと」なんかじゃない。でも、やっぱ。かっこいいことばっかり考えている方が、ずっといい。

 ちなみにこのロックマンはメガミックスの後にギガミックスという続編が出ていて、また散財する羽目になるのでしょうか。会うのはもう少し先だろうけれど、とにかく、漫画、ゲームが好きな人の漫画、ゲームに触れられてよかった。そういうので、俺は色々勘違い出来ているんだから。