アクマを殺して平気なの?

多分俺が一番好きなゲームは、女神転生というゲームだと思う。二十年以上も続いている人気シリーズで、派生作品も沢山出ている。そのシリーズの内容を雑にいうと、東京に悪魔が溢れ、コンピューターで悪魔と会話が出来る青年が悪魔を「仲魔」にしながら荒廃した東京を旅していくうちに、神々の思惑に翻弄される、とかいうような内容で、「ぶっこわれた東京」も「神様」も俺。大好き

 しかもこのゲームは、登場するモンスターをすべて、「悪魔」と表記しているのもすごい。どっかの宗教のお偉いさんも大天使も民族学の悪戯っ子も唯一神も、全部「悪魔」或るいは「仲魔(悪魔を仲間にするとこう表記される)」なのだ。

 また、このゲームはその世界各国の悪魔達を合体してどんどん強くすることができる。これもすごく面白い。悪魔合体したいね!

 また、その悪魔を調達する手段は、コンピューターで悪魔と会話が出来る主人公の会話なのだが、やはり悪魔、一筋縄ではいかない。金品や体力を要求したり、突然襲い掛かってきたり、散々貢がせておいて持ち逃げしたり。その反面たまに簡単に仲魔になってくれたり。コンピューターのプログラムなのだからあまり豊富な会話パターンがあるわけでもないのだが(特に初期の)、確かに、「会話」をしている気になれるのだ。

 また、ある悪魔は話しかけてきた主人公に「アクマを殺して平気なの?」と質問をする。YESでもNOでも大した展開にはならない、あくまで交渉の中の一コマだが、こういった気の利いた台詞、設定が多いのも、この作品の特徴だ。

例えばこんな場面がある。

 アメリカ大使のトールマンは「秩序」の化身であり、その名前は北欧神話の大神たるトールをもじっており「正義の鉄槌」として「核爆弾」を東京に落とす。

 また、どこからどうみても三島にしか見えない「超人ゴトウ」は褌一丁に刀を振りかざし、街頭テレビで檄を飛ばし、腐った日本を「混沌」の力で変えようとする。

 こんなほんの一部だけでもわくわくするようなゲーム内容なのだが、ちょこっとマニア向け過ぎる(俺は大好きだけど)ので、ライトな派生作品も沢山作られた。そのどれもを俺は好きだけど、その中でも一番小学生向けの「女神転生」である「デビルチルドレン」という作品がある。

 ゲームボーイで発売された本作品は、ぶっちゃけメガテンポケモンをもろに狙ったもので、悪魔のデザインもかなり可愛らしくなり、戦闘もかなりぬるくなった。一応同時発売のバージョン違いを除けば関連ソフトは六作近く発売されたと思うが、ゲームそのものとしての出来は、正直凡作と言ってもいいかもしれない。しかし一作目と二作目は結構メガテンらしさがストーリーに残っていて、個人的にはかなり好きだった。

 その一作目、「デビルチルドレン」は漫画になっている。

 というか、二十年以上続いている人気シリーズなので、メガテン系のコミカライズはかなりされていて、俺は大体目を通しているのだが、小学生向けのコミックボンボンに連載された、小学生向けの「真・女神転生デビルチルドレン 黒の書 赤の書」のコミカライズが、一番グロク、熱く、面白いのだ。

 初めて見たのはどっかの古本屋でさっと立ち読みして、その後欲しいな面白いなーと思いつつ、いつもの通りすっかり忘れていた頃、最近急に超超欲しくなり、近所の古本屋やらB○○K ○FFはもとより中野と秋葉原と渋谷のまんだ○けにも足を運んでどうにか三巻までゲットした。

 話としては漫画オリジナル要素が強く、主人公の刹那とヒロインの未来が、それぞれの運命に導かれるようにして、悪魔の戦争に巻き込まれる、みたいなストーリーなのだが、話がかなりアツイ。

 てか、小学生向けにデザインされたかわいい「デビチル」の「仲魔」が敵の攻撃でどんどん死ぬ(生き還らない)し、血の雨は降るし、おまけに主人公の刹那君の腕までぶち切られふっとぶよ!(きちんと中の骨も肉も描かれてる。ちゃんと後で縫合してもらえるけど!)
 
 ネットのどっかで以前「子供向けベルセルク」とか書かれていたけど、中々うまいたとえだと思った(あ、ベルセルクも読まなきゃ)。個人的には、ベルセルクよりも好き。ベルセルクも好きってか、読みたいっすけど。

 小学生向け雑誌の連載なのだから、大きなテーマは少年(少女)の成長物語なのだが、それぞれに思惑と正義のある「戦争」と、それに翻弄されながらも抗う少年少女を描いたのはかなり挑戦的で、また、それは成功していると思う。だって、最初はなさけない主人公の刹那君、かっこいいこと言うもん。

 ヒロインの未来が行方不明になり、たまたま行動を共にすることになった、魔王の娘であり「望まれずに生まれてきた」エレジー。彼女は刹那に惹かれながらも、刹那が未来を思っていることを勘付き、激しく嫉妬し毒づく。戦争の最中に、「私ひとり助けてどうする、それはお前の偽善だ」と彼女は言う。そんな彼女に刹那は言う。

「俺は今ある力の限りで戦っている」
「全部は助けられない」
「……だけど」
「自分のやれることは全て 全力でやり遂げるつもりだ!!!」
「この戦争はクソだ! 俺のやっていることも正しいとは言わない でも俺は戦いぬいて――」
「もう一度大事な人に会わなきゃいけないんだ」

 そして目の前の絶望した少女に告げる。
「君は俺の眼の前に現れた」
「だから助けようと思った」
「自分は死んでるって?」
「フザけるな!」
「お前は俺の前にこうしているじゃねェか」
 そう言って、少女の肩に置き、戦いに戻っていく。


 伊勢崎 賢治『武装解除 -紛争屋が見た世界』を思い出した。どんな戦争でも正義なんてない。「教育」をうけたなら、誰だってそんなことは分かる、気付く事が出来る。でも、戦争も紛争も絶えることがない。「教育」は生き届かず、結局の所、宗教も教育も、危うさを孕んだ「妥当性」を示せるだけのものだ(それでも十分すぎるけど)。

 だったらさ、怖い顔してる皆、お金も仕事もあげるし、罪もなかったことにするから喧嘩止めようよ。そろそろ飽きてきたっしょ?

 という仕事が世の中にはあるのだ。勿論これが最善の道ではないこと位誰にだって分かる。人を殺しまくった犯しまくった少年兵が金と地位を得て、家族を家を失った子供が今まで以上の貧困にあえぐ。さらには、そんな「家族の仇」と同じクラスで勉強しなければならない状況だって容易に発生する。そして、その貧しい子が「悪かった子」を殺したら、「現在の法律」によって裁かれるだろう。

 正直に言うと、俺は世界情勢とかあんま詳しくないし、大した興味ない。てか、何度も日記に書いているけど、自分の感情一つコントロールできない人間が社会学やら世界平和やらについて熟考するなんて、そこそこ気の利いた馬鹿げたコントじゃないか。でもさ、俺、そこそこ好きだよそういうの。でも、誰かさ、別の人にお願い。コント好きだけど、俺の身体、コントばっかなの。

 爆笑問題との対談で、その伊勢崎 賢治は「セクシー」が世界を救う、みたいなことを何度か言っていて、爆笑問題につっこまれていたような気がした。少し記憶がおぼろだが、アウンサンスーチみたいな「人を惹きつける」アイドル的な人の「セクシー」な行いで、どうにかなることもある、というような意味なのだと思った。(芸人相手のライトな対談だったし、でもだからこそ率直な意見が出たともいえる)

 どうしようもない、でも、好きな人のなら仕方ない。それでも、いいじゃんって思う。そう思える対象があるなら、それが人じゃなくても、それでいいじゃん。そんなもんじゃん。達観とか楽観ではなく、そんなもん、だと本気で俺は思っている。だって、神様いないもん。

 だから三島が「天皇から時計貰ったから、俺あの人嫌いになれないんだ(かなり俺の恣意的な文章だけど)」という言葉が、エクスキューズ、パフォーマンス、てれ隠しの一部だとしても、どうしても心に残って離れない。複雑に絡み合ったとても図式化できないしかし単純な理由で、ことは起きてしまう。

 そんな時は、かっこいいか、そうじゃないか、それを判断基準にすればいい。前々から心の中にあったけれど、最近ようやくそれが血肉になってきたような気がする。セクシーかそうじゃないか、それでもいいよ。そーすると、俺の場合一生働けない(働くってのは嘘ばっかついて惰性に任せることだから)、けど、ま、たまにはカッコ悪いことしてもいいよね? 

 てか、別に俺刹那君でもどっかのシネマのイケメンでもない、けど、彼らの、芝居がかった、漫画の中の「台詞」を忘れてはいけないと思う。ゆら帝が「漫画の世界も大変」だって歌ってただろ? 本当にそう思う。漫画、シネマ、小説の中の、穢れなきイケメン(美少女)にはイケメンの辛さがあるんだよね。

 実は、この全五巻の漫画、あれだけ探して三巻までしか手に入らなかった。ネットでは4、5巻は送料入れて一冊千円するし! 定価の倍で買うとか、生理的に、超ムカつく。買いたくない、金ない、てか、この物語を終わりまで読んでしまうのが、さびしい。

 でも、まあ、そのうち買うと思う。感想も書きたい。どんどん、好きな物語を言葉を映像を消費しなければならない。それには金銭が関わる、労働が関わるけれど、比較的頭がマシな時に、どんどん、立ち向かうべきだ、それ(だけ)が、俺のかっこつけになってくれるんだから