happy sad
新しい本と音楽ばかりとにかく詰め込んで幸福なのかそうでないのかはわからないけれど一つ感じるのは、我に返るのは怖いということ。
でも、先日手にしたんだ野宮麻貴のアルバム30~Greatest Self Covers&More!!!~ 。俺は高校生の頃ピチカート超大好きだった。だから期待と不安が入り混じっていた。だって、野宮のソロって、ピチカート在籍時のファースト(小西色が強い)以外、結構豪華なメンツを迎えてるのにあんまぱっとしなかったんだもん。俺がピチカート好きで比較しているにせよ。
でもこのアルバムは30周年記念のセルフカバーつまりピチカートの曲を野宮が歌うわけで、それなりのクオリティは絶対保障されていた、ってか、プロデュースした人らが、いつにもましてもう超豪華、鈴木慶一&曽我部恵一 テイ・トウワ 高橋幸宏 DJ FUMIYA(RIP SLYME)、とか、なんだけど正直彼らのアレンジは思っていたよりも「普通」というか、この人達ならこれくらいやるだろう的な安心感と、原曲やっぱいいな的な微妙なファン心理がないまぜになった感想を抱いてしまった。
でも以外、というかプロデュースとしては前述した人達よりねえ、と思っていたヒャダイン カジヒデキ 雅 らのアレンジの方がずっと良かった。
勿論個人的なしかも楽譜も読めない人間の意見だけど、でもこのアルバムはピチカートのキャッチー(ステキな死語!)な有名曲ばかりを集めていて、ヒャダインらのベタでまっとうなアレンジがとてもあっているように思えた。
期待通りなのはDAISHI DANCEのスウィート・ソウル・レヴューだった。この人いっつも手堅い。好きだ。
で、一番良かったのは. 陽の当たる大通りで、 プロデュースは YOUR SONG IS GOOD。知らないアーティストだ。チェックします。
もう、すごく良かった。何がいいってピチカートの曲を聞いて別のピチカートの曲が頭に浮かんだもん。後期ピチカートの名曲グッパイ・ベイビイ&エイメン 。あのジャズ葬を想起させるような、野宮麻貴が軽やかに歌う、happy sadの「いつだって happy sad」がそこには感じられた、とか言うとちょっと褒めすぎかもしれないけど、とにかくいいアレンジで、野宮の新しい、幸福なアルバムだった。
小西の柔らかなペシミズムと野宮の能天気でクールな声。「いつだってハッピサッ!」
高校生だった頃、アホみたいに洋服を買っていて、学校をサボって原宿や渋谷をふらふらしていた(中目黒と代官山には本屋とかCD屋とかがほぼない)。その頃一番俺にとってクールな雑誌はsmartだった。多分思い出補正入っていると思うけど、あの頃のsmartの方が、今のsmartよりもずっと好みだった。スタイルと言うかデザインがシンプルでストイックで実用的。女性ファッション誌で一番好きなGINZAは当時も今もずっとかっこいいと思っているので、もしかしたら俺の勘違いではないかもしれない。
で、そのsmartにたまーに寄稿というかアーティストのミニコメントが載っていて、ライムスターの宇多丸のアイドルに対するコメントが印象的だったことを覚えている。でも俺は日本語のラップがあまり好きとは言えず、特に説教系の人とか俺の話系の人とかが苦手で、だったらガチ悪いギャング(っぽい)外人の方がよくね? とか思って、ポップで「日本的」なリップとかエムフロウとかSOとかをちょこちょこ聞いていて、ライムスターは喰わず嫌いをしていた。
でも高校の頃から十年以上たった現在、当時のアイドル評論『ライムスター宇多丸の「マブ論 CLASSICS」 アイドルソング時評 2000~2008』を読んで、すごくおもしろかった、だって、これに載ってる曲ほとんど知ってるもん、まあ、俺は熱心と言うより、アルバム持っているから単にテレビで流れてたまで色々あるけどね。ていうか、最初に表明される宇多丸の評価偏向がかなり自分と重なっていて、雑に言うと、
やっぱアイドルならディスコ、ハウスだよ!
ゴージャスな金がかかった(ように聴こえる)アレンジ最高!
本業だからラップには厳しい!
歌詞の内容にうるさい!
アイドルなんだからロック フォーク バラードはどうでしょう
コンサートやグッズ集め、本人への好悪より曲で評価
というラップ以外は全部俺も頷いてしまう内容で、自分と似たような好みのしかも音楽のプロが自分の知っている楽曲<アイドル>を熱っぽく語っているんだから、こりゃあ詰まんないわけがない、って、勿論俺以外の人でもアイドル好きとか、もっと言うとプロデューサが誰で、とか一々チェックする人なら必ず楽しめる内容になっているはず。
個人的にはram riderが鈴木亜美に提供した曲の下りが一番ヒットでした。以下(ほぼ)俺しか楽しくない内容を抜き取ると、
「オレ実は、あの一流アイドルと付き合っているんだ……とヌカす男の独白」であるキモカワ名曲「SWEET DANCE」をよりによって当の「一流アイドル」である鈴木亜美に唄わせる、という倒錯した構図には、ちょっとグッと来ずにはいられませんえした(恐らくはラムちゃん本人も)。
というくだりには俺もグッときました。
さらに、この本の最後には小西康陽との対談もあって、内容が小西が語るアイドル、というのでかなり面白かった。宇多丸の愛情ある小西アイドルプロデュース方区分、女王様のぼやき型、その裏返しの悲観的型、ポップ・アイコンのナンセンス型(フカキョン、ゆうこりん)というのはとても鋭く、小西本人も納得していた。
それにやっぱりこの本が面白いのは宇多丸の音楽家としての批評眼はもちろんだけれど、この人が本当に「音楽としても」アイドルが好き、というのがこちらにも伝わってくるからだ。特に熱く語っている、生きのびてしまっているモーニング娘への眼差しと、アイドル冬の時代にクオリティの高い物を地道に出し続けて大成功を収めたパフュームの存在についての熱の入れようはファンでなくても楽しめるはずだ。
アイドル批評ってなんか愛情(分析)が足りない薄っぺらいものか、逆に愛情というよりもむしろ歪んだ自己愛の投射先みたいなセンスのないレトリック過剰なものになり易い物だと思うけれど、それに陥らないのはやはり文中の言葉を引くと「ヒッチコックが主演女優に虚しい片思いを続けている感じ」があるからだと思う。
小西は最後に宇多丸のこういうジャンルが存在する意義について答えている。「コミュニケーションが決して滑らかじゃない人がいる限り、アイドルには意義がある」
これはアイドルファンの自閉性を意味しないだろう。だって、コミュニケーションなんてある程度しかうまくいかないものだから。でも、それに少しの夢を求めてしまったり、或いは「いつだって HAPPY SAD」の為に、アイドルの歌は求められるはずだ