悪趣味は少ししかし、バグばかり

 ドンキホーテに行くと、生地がテロッテロの豹柄の甚平という悪趣味極まりないものが売っていて、(しかもたった二千円しかしない!)くらくらしながらも「ほ、欲しい」と思った。でもこれを着られるのは十代のヤンキーだけに許された特権だと思う。まあ、逆にいい年してこれを着ている人いたら、それはそれでいいかもしれない。一緒に歩かなければ。悪趣味好きな俺。

 外国人から見た、間違った日本文化というのが俺はとても好きなのだが、他の国にも自国の文化が間違って受けいられているのをにやにやしながら楽しむ、と言う人はいるのだろうか。外国人のカタコト日本語をかわいらしいと思える、「かわいい」のが大好きな日本人に多い感覚なのだろうか。

 外国のスラングでハードコアゲーマーのことを「ニンジャ」とか「ニンテンドウ」とか呼んでいるのはとてもいいなと思った。かっこいいぜ、ニンジャ!



 ニンジャとは、平安時代の日本をカラテによって支配した半神的存在である。
しかし彼らはキンカク・テンプルで謎のハラキリ儀式を行い、歴史から姿を消した。
歴史は改竄され、隠蔽され、ニンジャの真実は忘れ去られる。
やがて世界を電子ネットワークが覆いつくし、サイバネ技術が普遍化した未来。
数千年の時を超えて復活した邪悪なるニンジャソウルが、突如、
ネオサイタマの闇へと解き放たれたのだ……!


 ラリっているのは俺じゃなくて、これを書いたアメリカ人、および翻訳者の責任だ。一応サイバーパンク小説に入れてもいいかもしれない「ニンジャスレイヤー」を読む。ひどい。面白い。

「私のハッキング能力の前では、ファイアーウォールなど障子戸も同然なのです」

「ビョウキは気分の問題」「新鮮なトーフ」「実際安い」などと書かれた無機質な極細ゴシック体看板の上を連続で飛び移り

「そうだ……スシ……スシを……」レオパルドの片腕が、腰に吊ったバイオ笹タッパーへと伸びる。その中には、無菌状態で保存された素晴らしいマグロ・スシが四ピース。

 もう、これ以上酷いのも沢山あるが、この位で。

 ただ、タダの阿呆作品というだけではなく、意図されているのだろうが、機械翻訳にかけた時の微妙な日本語訳みたいなのも感じられるのは結構いいものだと思う。その極北にあるのが中原昌也の作品というような気がする。

 彼の『中原昌也作業日誌2004-2007』を再読する。たまに、無性に読みたくなってしまう本だ。内容はといえば、糞みたいな悪態をつきながら、金に困っていながらも、ひたすらにcdとレコードとDVDを買い、映画を見て音楽を聴いて、ひたすら人と会いまくる記録となっていて、その膨大な固有名詞の大半を、共有することは難しいだろう。

 でも、そんなことは知ったことか、と、消費し続ける彼の姿は小説は元気を与えてくれる。、ユーモラスで素晴らしいジャンクとして(雑過ぎるまとめだけど)彼の小説を絶賛した清水アリカすが秀実、そしてこの「作業日誌」に賞を与えた高橋源一郎の意見に異論はないのだが、彼らが中原昌也機械翻訳語のクリシェとコピー&ペーストで作られた、しかし美しいコラージュとかそんなつまらないものではない、興味深い屑小説は、「評価される」べきではないような、評価してしまう人に対して「じゃあお前も似たようなの作ればいいじゃねえか」と感じてしまうような自分がいる。

 安全圏から、既得権益を保持したうえで、けだものに餌をやるなんて! しかもそれを(一応)ひん曲った知性を獲得した人々が行うなんて、これこそが悪趣味と言うのかもしれない。夏のけだるい暑さよりもずっと、うすら寒い情景。

 男の歌を聴くと何だか生命力が削られるので、女性ボーカルの口当たりのいいダンスミュージックばかり聴いている。ふと、俺も(中原昌也みたいに)結構ロックとか好きかもな、と思う。(好きな、どうでもよくない)ロックミュージックなんて一日何時間も聴いていたら、多分生活にならないような気がする。それよりも、なんか、口当たりのいいもので耳を塞いで、色々とたまったものを消費しなくちゃDJ

http://www.youtube.com/watch?v=2HeZ6u_b3MQ

大好きなロックマン3のパスワード画面の曲。これ(の本当は前半部だけなのだが、それだけの無かった)を何十回も繰り返し聴いていると、気持ち悪い気分になれること間違いなし! 耳を刺すミニマル・チップチューン

 中原も大量に買ったり売ったりを繰り返していたが、俺は一度買ったゲームを再び買う、ということが結構あって、同じソフトを二回、なら日常茶飯事なのだが、自分でも酷いと思ったのが、三回買った(しかもまた売った)SFCドラクエ3とアヴァロンコード真・女神転生幻想水滸伝2とポケモンのダイパとGBAオウガ外伝、他にもあるだろうが、一番はDSカードヒーローの四回。同じソフトを四回買って、四回売るなんて。自分でも馬鹿だと思う。

 そんなのなら売らなきゃいいのに、と思うが、その時に金がなかったり、無性に、夢中だったクリアしてしまった手放したくって仕方なくなってしまうのだ。それに、再プレイにはデータが入っていないのがいい。記録が残っているのではない、何百時間も無駄にしたプレイデータなんてどうでもいい感じが。

 ゲームを再プレイしていいなあと思うのが、何らかの作品を時間をおいて再読、再体験する時に感じる懐かしさだけではない、再発見が、ゲームに関してはほとんどないってことだ。本当に、ただの遊び、暇つぶし、楽しみ。大好きな作家の川端康成が「忘却が恩寵」と言った言葉を、俺も大切にしている。

 そんなゲーム体験で特にどきどきしたのはバグの存在だ。俺はパソコンは初心者に等しいのだが、ゲーム制作者の人によると「プログラムの中にバグは必ず存在する」そうだ。それがゲームの進行を妨げるようなものからそうでもない物も含めて。バグの無いプログラムは存在しない。何だか、人間の身体(精神)みたいじゃないか? 俺とサイボーグ、データとの似たところを無理やり見つけた気分で、少し嬉しい気分になった。

 今ではゲーム進行に関わる重大なバグがあると、ネット上で話題になり、攻略wikiのページにアマゾンのレヴューに必ず書かれるようになってしまって、それはそれで便利だが、バグにまつわる、個人的には素敵な思い出がある。

 聖賢伝説LOMをプレイした時、これは俺の責任で、ディスクに傷があって、主人公が墓場から奈落に落とされると決まった画面で必ずフリーズしてしまうという状態で、(他の状況でもフリーズしたが)奈落でいつまでも迷子になっている自分に諦念に似た奇妙な清々しさを覚えたのを記憶している。

 他には真・女神転生のバグで、何十時間も面倒で高難易度なイベントをこなし、しかし神の怒りで世界が沈没し、ラストダンジョンのカテドラルに入ろうとする時にバグで途中の扉が絶対に開かなくてクリア不可能になるのとか。このゲームは途中でゲームデータが消えたのも含めれば、四回目のプレイでやっとクリアした。

 あとゲームボーイの魔界塔師sa・ga。このゲームではプレイヤーが人間やロボやモンスターや色々な種族を選べるのだが、中盤で、「エスパーボーイ」の「自分」が、戦闘終了後にいきなり「いもむし」(これもデータとしてちゃんと存在する)になった時の、あの衝撃! え、俺カフカの「変身」なんてしたくねえし! どうやっても俺はいもむしのままで、慌ててデータを切ると、小一時間前の俺は「エスパーボーイ」のままで、キツネにつままれたような、馬鹿らしい気分になった。ゲームのデータが消えたり全滅して何時間もプレイした時間が無駄になる、あの、ゲームからも投げ出される感覚。しょうもない、諸行無常

 でもそんなのばかりでは生活していけないのだ、(俺が好きな)男の歌うロックなんて演奏なんて、そんなのばかりだ、ということで今日も耳触りのいい曲とダンス

http://www.youtube.com/watch?v=BQcA4SaTUBQ&list=PL894D863FEE826DA5

http://www.youtube.com/watch?v=h-hbihPK-OE

http://www.youtube.com/watch?v=ny_Bbb3MRkk


家でさらに汗だくになってシャワーを浴びて、少し休んでそれから。