男は虎ってことで

 初めて携帯電話を手にしたのは中学生の頃なのだが、その頃から絵文字顔文字というのがどうも苦手で、女の子ならば「なんか画面が寂しかったから」とかどうでもいい理由で使ってるんだなあとか納得できるのだが、男が顔文字を使うって、どういうことだ、と男らしさ一杯の俺は思うわけで、

 もう、俺の男らしさといったら携帯にストラップは使わないわ着信音はデフォルトのままだわ、さらに言うと携帯電話の使い方がいまいちわからないわで男らしさの塊なわけで、

 素っ気ないメールばかり返すせいか、俺はどちらかといえばメールよりも実際に会った方がテンションが高いのだが、多くの人はその逆で、友人知人からのメールを目にしたときに、あんなにおちつきのある(分別のある)人がなんでメールではにゃんこちゃんとか笑顔マークとかよくわかんないキラキラしたのをはっつけてるんじゃ、とか、さらにエレクトリカルパレード級に動くデコメの類を貰った時には「おまん、こげなけったいな、エスパー伊藤がかばんに入る時の音楽よこしおって、気でも違ってしもうたか!」とくらくらしてしまう、

 のだが、分かってるんだ。絵文字顔文字一つ入れないのは、男らしいのではなく、単にコミュニティ障害気味の男だってことを。現に何度か、「機嫌悪いとか思われるし顔文字使えば」的なありがたーいアドバイスを数回頂いたことがあるが、このダボ!!

 男ってのはなあ! そげな女子供が遊ぶようなもんにうつつを抜かしてる暇なんてなか! きちんとドラクエかエフエフでもやって怪物を殺さないかんばってん、わいは今日も脳内で殺し合い、

 しとーたはずなんやが、半年ほど前、なぜか急に、あの「なめこ」に心をoverkillされてしまって、そんな、なめこ(しかも微妙に流行遅れ)なんかにうつつを抜かすなんて男らしくねえだろ、ティガー、とベッドのティガー(熊のプーさんのキャラ)のぬいぐるみに話しかけ、どうにか正気を保っていた(は?)のだが、

 あまり良好的ではないのだが実家に帰る機会があり、スマホをいじるおにいちゃんに、「お兄ちゃんなめこ育てとる?」と恥を忍んで尋ねてみると「おーアプリしてるよ」という返事が返ってきて、画面を見せてもらおうとすると、

「お兄ちゃんはあんたと違って仕事で忙しいんだから、なめこなんて栽培している暇あるわけないでしょ!!」と親に怒られ、
「えーいや、あのースマホのアプリっつーか、ゲームの話なんだけど。なめこゲーム」 と弁解すると、
「あんたまたゲームばっかり飽きもせずピコピコピコピコ、今度家に持ってきたら捨てるからね」
 と怒られて、結局なめこを見る機会も失い、リュックにDSをしまい、恥をさらしただけだった。

 でも、男として、それでいいわけねえよな。そうだろ?

 ってことで、中野ブロードウェイで、色んななめこクロニクルの中から散々迷ったが数年ぶりにガチャガチャを回してみると、出た、なめこが! でも、これ、クリスマスツリーなの。レアらしいの、でも、普通のなめこがほしかったの。


 でも一応今もつけている。夏なのにクリスマスツリー。俺の扱いがざつなのか、でっぱったオーナメントの塗装もどんどんはげて、まるで『幸福の王子』みたいだ。しかも微妙に飽きてきたのだが、少し愛着が出てきてしまい捨てるに捨てられない。真夏の剥げツリー。

 外国から見たら日本は異様に映る場合がままあるらしく、そういった類の番組やらが結構な量作られていることから、需要はたしかにあるだろうが、自分がよその国からどう見られているのかを異様に気にするのもまた、日本人だけらしい。

 でも、俺は異様でも凡庸でも、日本の文化が好きだ。

 日本人の女性漫画家高浜寛とフランス人の男性漫画家フレデリク・ボワレ共著、『まりこパラード(蛇足だがパレードのフランス語読み)』という漫画がある。

 高浜寛は写実的な画風なのにガロの賞でデビューした。寡作ではあるが、画も話も上質で面白い。一方のボワレはB.D(バンド・デシネ、フランスのを中心とした、大人も読めるような写実性、イラスト色の強い漫画)出身で、日本びいきの漫画家。日本でもデビューしていて、何作か本も出ている。

 面白いのは二人の画風が近いせいか、共作であるのに、ユニットの作品らしく見えてしまうような楽しい習慣があることだ。勿論話も面白い。

 フランス人の男と日本人の女性の恋人同士が一泊旅行に行って、セックスをして、相談事があって、帰る。ただそれだけ。

 わざわざ日本にまで来て漫画を書いているせいか、(一部だけ)モデルらしきフランス人の男(ボワレ)はオリエンタリズムに酔っている(それと抜けていそうに見えて芯の強い「日本女性」の恋人との対比が面白い)、けれど冷静な旅人然としていて、彼は日本を不思議に思う。

日本にはお笑い番組が多く、人々は良く笑う、なのに悲しい事が好きで、女性誌の表紙に「別れて綺麗になる」とか別れることを前提とした恋愛観というのが一般的に浸透していて、自分の目の前の彼女も、突然、笑っていなくなるような、そんな気がする、多分。

 俺個人としてはフランス(ヨーロッパ)の文学と日本の文学には通底している物があると思う。映画で無理やり言うならば、フランスが「へりくつセックス」で日本が「へりくつハラキリ」だ。理論的なサディスティック・キリスト、或いはロマンチックな仏陀

 ファッション誌の世界のストリートスナップを見るといつも思うのが、男女問わず、一番おしゃれでかわいいのは日本だ、ということだ。でも、様になっているのは画になるのは、やっぱり欧米と言う気がする。これは単に俺の感想でしかないのだが、日本人はどれだけ着飾っても、身長が高くても、目鼻立ちがくっきりしていても、「かわいい」のだ、という気がしてしまう。

 オートクチュールプレタポルテ、というか、むしろ、高品質で大量生産される工業製品のような「かわいさ」。まるで、俺が憧れるサイボーグのような。

 サイボーグの夢を見る。タトゥーを入れるような資金はとうに無くなってしまってはいるが、数百円の「かわいい」ものは町中にあふれていて、やっぱりそれはいいことだなと思う。