blood ruby chocolate

 よろしくない生活を送っていたせいか、割と身体がいつにもまして骨ばってきていて、個人的にやばいと思われるのが、ガリの人にしか分かりにくいのだけれど、手首部分の、真中らへんがへこむというか、骨っぽさがすごくて、ちょっとまずいなあ、

 というような生活の中で、片耳から出血して、もう片方からも出血して、おまけに舌には血豆も出来て、「わーいバイオハザードの人みてー!」とか言ってられない状況に。

 不健康なのは慣れているつもりだけれど、処理しなければならないことが一度に色々と出てくると、途方に暮れてしまう。マルチタスクでフリーズしたパソコンみたいに。

 でも、普段からそういうバグとかノイズとか阿呆とか好きなんだろ、と自分に問えば、まあ、そんな感じで、自業自得。とにかく用があり、外に出る口実があり助かった。外に出れば、すぐ繁華街に出られる。乾いた血の穴にイヤホンを差し込んで、ipodと地下鉄へ。


 外に出て、ふと携帯電話を見ると、友人からの着信に気がついた。こちらからかけ直して、久しぶりに聞く声に、しょうもない俺の生活なんておいておいて、阿呆な話をしていると、しばらくして「大丈夫だから」と言われ、そのまま会話をこなしたものの、電話を切ってから、みすかされたような気がして、恥ずかしくなった。別に、そういう文脈で発せられた言葉ではないと知っていたのに。

 でも、「大丈夫だから」と直接声で言ってもらえて嬉しかった。

 怠惰には甘いくせに、俺は自分の身体には結構辛辣で、体力自慢でもないのに、無理ばかりさせている。一年に一、二度、そういうことで結構反省して、すぐに忘れてしまう。

 自分の身体が自分の物ではないような感覚。それが楽しいような不思議なような少しだけ、恐ろしいような。

 以前読んだエッセイで、なりゆきで見ず知らずの重度の障害者の(週に数時間)介護をする羽目になった人の話を読んだ。その中で印象深かったのが、自分ではほとんど動けない「要介護」の人であっても、快不快のポイントは大体同じだということに筆者が気づく瞬間だった。

 当然その人は一人では入浴も出来ないので、その筆者は手伝うことになるのだが、最初は人の身体を洗うことが何だか分からないのだけれど、しだいに自分では手の届きにくい場所とか洗い残しが多い場所、指の間とか耳の後ろとかを洗うことを覚える。自分がしてほしい事が、そのまま相手の為にもなる。気持ち良さ、いたわりの心。

 俺は自分自身の身体にそういうことをしてきたか、というと暗澹たるもので、でも『解決はしません』な感じではあるけれど、少しは前向きな気持ちで、猫背を少し伸ばして、普段は聞かないような曲を雑踏で。

http://www.youtube.com/watch?v=fo0lMI7bynE


 この曲を、スタイルカウンシルを俺に教えてくれた人の事をふと思い出す。漫画の台詞とかではなくマジで「必要なことのほとんどは女に教えてもらった」とか口にしていた、色男、モテ男。少し垂れ目で、目鼻立ちがくっきりとした、ほっそりとした体形の人。俺は上手いと思わなかったが、ギターとボーカルが自慢の、女向けの泥棒みたいな、三流詩人の唇をもっていて、めちゃくちゃ女好きの癖に、寂しがり屋だから男にも甘い言葉をかけた。

 電話で「虎彦(仮名)君、僕、君の事が好きだよ」と言われた。たしか、酒に少し酔って、俺に電話をしてきたのだと記憶しているが、俺はこの人はこんなに寂しがりやで大丈夫なのかなあと余計な心配をした。往々にして、自分の事が出来ていない人って、他人の(余計な)心配をしますよね。

 寂しがり屋。小学生の頃は俺は自分の事を寂しがり屋だと思っていたのだが、そうでもなかった。世の中の人は俺よりもさらにもっとずっときっと、寂しがりだった。雑踏だけじゃ声だけじゃ満足なんて出来ない位に。


http://www.youtube.com/watch?v=_sJPUfU040I

 薄暗い街に電燈が灯る。いつでも大好きな光景。大好きなgreat3 のrubyを口ずさむ。


愛の回路(サーキット) 
心から血が流れ出して止まらない

愛さないで
流れ出して止まらない


 
 健康の為の少しのアルコールとチョコレート、少しの出血。暗がりも電燈もいいけれど、家に帰ったら好きな物でも目にしなくっちゃ。