リュウセイ雑記

 部屋の荷物をダンボール積めしていると、学生の時分から持ち続けていたものがちらほら。それらを売り払い始末しながら引越しを重ねていたとはいえ、残るものは残るし、それも磨り減っていくし、たいした理由もなく購入した、新しいものが仲間に入ってくる。

 先日渋谷で偶然会った友人と歩きながら話をして、俺が新しい引越し先を告げると、友人がその駅なら近くの駅に(友人の)友人が住んでいるとか、その路線に関する話になり、俺が自分の引越し先の路線を知らなかったことに気づき、それを告げると、

「相変わらずぶっとんでるなあ」といわれ、そんなことはない、と思いながら、ぶっとんでいるというか単に馬鹿、というよりもむしろ、先のことを考えないようにしているのかなと思った。

 先のことも自分のことも知らない、割とどうでもいい、ような気がする。


 けど実際問題解決しなければならない問題もあるわけで、本当にぶっとんでいないなあ、浮き草の癖に旅人度数は低いなあと思う。旅人になりたいわけではないが、ちゃらんぽらんな俺を「自由人」とか言うのは褒めていても貶していたとしても、おさまりが悪いのだと思う。


 うだるような暑さの中で、好きな作家の本を、しかもハードカバーを読むのは億劫になってしまうのだが、休憩時間や移動時間等にまどろみながらも瞳を動かす。
 
 コーマック・マーッカーシーの『チャイルド・オブ・ゴッド』を読む。日本での刊行は今年の七月だが、アメリカでの刊行は四十年前らしい。内容が若々しかったので、それを知って納得がいった。


 暴力的な白人貧困層の男が家や家族を失い、犯罪に手を染めて死ぬ。それを淡々と描写する、彼のお得意の手法で。

 マッカーシーの自然の描写はとても美しい。(一応、今も現役なので)現代の作家で自然に目を向け、句点の少ない息の長い文章で書き上げることのできる作家は珍しいので、久々に涼を得たような心持になる。

 彼はほぼ常に、登場人物の感情描写を排する。淡々と積み上げられる凄惨な現実、カギカッコを使わない、会話の応酬が身近に迫る。彼にとっては小品のひとつというような作品だが、やはり読み応えがあった。

 レッドネック。白人の貧困層(蛇足だが、肉体労働者の日焼けして赤くなった首)を指す言葉だが。俺の鎖骨もいつもよりもさらに、かなり浮き上がっていてやばい。collarbone geek 。もちろん、そんな言葉はないけど。

 
  クシシュトフ・キェシロフスキの『アマチュア』を見る。妻子持ちの平凡な工場労働者・フィリップが8ミリカメラを入手し、撮影に夢中になったことから家族や工場との間に亀裂が生じていく、という単純な内容ながら、以前目にした彼の映画の画面と同じようにやけに画面が薄暗かったりもやがかかっているようなざらついているような明度であったり、逆光の中の濃い灰色になった人物を映していたり。

 この映画ではクロース・アップで人を映す手法が多くとられているのだが、それはダイアン・アーバスの写真、或いは小津安二郎カール・ドライヤーのように、不自然な美しさに近いものがあるように思われた。

 額縁の中に配されたような人物たち。全体でまとまりを持とうとしない、双方感を失ったコミュニケーション。

 夫はカメラにのめりこみ、何度も妻の間接的な抗議、ヒステリーの真の意図に気づかず、とうとう妻が家を出る際、いつものドキュメンタリーをとるように、その背中をファインダー越しに収めようという手つきをしてはっとなる。

 しかし彼はそれを続け、小さな成功を収めてしまう。しかし彼の、自分の勤務する工場をドキュメンタリー作品として提出したものが放映されたことが原因で、仲間が失職する騒ぎが起きてしまう。

 彼は一人きりになった家で、初めて自分自身でカメラのレンズを覗き込み、それを自分に向け、私的な、いつもしていた「ドキュメンタリー」を語り始める所で映画は終了する。

 日々の雑事をこなしながら、少しは好きなこともする。ふと、ダンボールの中に捨てられずに十年以上もいる、やまだないとの『コーデュロイ』のことを思い出す。

 22歳。イケメンで物事を深く考えないバックパッカーリュウセイのフランスをふらふらした話。彼は持ち前のルックスの良さと、恋も愛も置き忘れてきてしまっているから、多くの人に好かれることになる。

 昔は美人だったらしいマダムに体以上の誘惑をして繋ぎとめようとされてもまるで乗らずに「犬のほうが話を聞く(からこそ愛されるのだけれど)」と言われてしまうし、日本人の女の子には大きなこまで「リュウセイ君って (魅力的だけれど)つめたーい」と言われてしまう。おばさんには「あんたはまるで おんなごころをわかっちゃいない」と説教される

 でも彼には微笑みもルックスも求めない心もある。老若男女が彼に惹かれていき、小さな関係を繰り返し、リュウセイは街を歩いていく。理想的な旅人、という気がしないでもないけれど、俺は旅人になりたいわけでもないし、でも、漫画の中の、サムライショーで小金を稼ぎひもまがいのことをしたりしながら、いつのまにか何でも屋の店員にされていたり大きな事件に巻き込まれて死にかけたりする、彼はとてもかっこいい。

 自分も他人も、それなりに大切にするし、それなりに大切にしない。そういうほうが俺もいいと思うのだけれど。

 俺も嘘や微笑なら割と得意で、自然にこぼれ、これからも大事にしていきたいなと思う。その気概があるならば、旅人ではなくても鎖骨にみずたまりができていても、やっていけるような気がしてくる。皆様も暑い夏、嘘と微笑みは健康の為に大切に。