風をタトゥーを指先を

 眠りが浅くって、夢をよく見てしまう。こういうときの夢はろくでもないのが多い。一番いやだったのが、入れたタトゥーがぐちゃぐちゃになって、相談しても分かってもらえずにはぐらかされる夢。でも、こんなのも忘れる。夢だから。

 夢、というか眠りの病気になるのってやけに美形の人が多いような気がする。眠れる森の美女やら眠り姫やらといった女性だけではなく、『マイプライベート・アイダホ』のリヴァー・フェニックスみたいな。

 でも、それはシネマの中の漫画の中の人の話で、それよりはまだ、「世界で一番踊れないハウス」の中の世界の方が、現実に近くって、



、『夜桜とフロイド』

 


 「夢から覚めても夢の 夢の中でまた夢の中

 さまようアタシは今日も

 コワイ夢やアマイ夢を見たの


 「恋するバカなアタシは 

 ワルイ人がワルイ人が好きなの


「あいつの背中の刺青は 春の夜桜よ パっと散りそうな

 粋でいなせで艶っぽい 思い出すたびにね 気を失いそうになる






友人と中野で遊ぶ、友人とはいっても、会うのは二回目だ。でも、一度だけあうみたいなのはたまにあっても、それが二回目となると結構お互いに楽しんでいるのかなとも思うし、不思議な感じも少ししながら、楽しい。

 というか、お互いフィギュアとかを全く集めていないので、そうそうにブロードウェイに飽きて、というか、中野ってブロードウェイ以外にどこか行くところあるのだろうか? しかも入れる店も(飯屋ならたくさんあるみたいだが)ないし、駅から少し離れたところにあるロイホで話す。

 好きなものがある人っていいなと思う。それが共通していたら、話題ができるし、知らないものでも興味がわくから。おれは結構話すのが好きだから、気が合う人なら何時間でも話せるし、というか気軽に話せるなら、どこでも楽しい。昼に会って夜に別れて、ずっと喋っていた。のどがガラガラになっていた。でも、こういうのもいいなって思う。


 というか、学生でもないんだし、よほど気が合わなければ二回目、なんてない。あの、薄っぺらい「またね」が割と好きだ。というか、あまのじゃくなのか、会いたいと言われれば会いたくなくなるし、会いたくないと思われたら会いたくなる、かも、だなんてただのきまぐれで、もっと素直で簡単な方が本当は好きだけれど。お互いに楽しい時間が過ごせるのならば、もっと簡単でいいのにね。


 マツケンのエッセイで元気がない時ほど人(仕事相手とかではない)に会いまくるほうがいい、とか書かれていて、これについては俺もその方がいい、とは思っても中々実行するのはおっくうだったりする。それにおれ、ひとりあそびが得意で、というか、一人でいても苦にならない方だから、そういう人ほど外にでなきゃなあと思うのだ。


 久しぶりに代々木公園でシャボン玉を吹く。やっと昼間でも暖かくなってきたのだ。ipodと小さなスピーカーで、シャボンを吹くとマジでぼやーってできる。自然の中で、音質の悪い、素敵な音楽とともにいるなんて、しかも、こんなにおてがるにできるなんて。

 でも、今日はめっちゃ 風が強くて困った。てか、さすがに疲れて持ってきた『ロミオの青い空』の文庫版、コンパクトにまとめたノベライズらしきのを読んだのだが、
これは元々世界名作劇場の一つで、小さな頃に見たアニメなのだが、もう、スゲー好きなアニメだ。レンタルしようか、と迷いながらも全33話を見るのは…とか思っていつも借りる気はしなかった。

 11歳の少年ロミオが家の貧困、ある事件のために半年の契約で人買いに売られて、労働環境が劣悪で若くして命を落とす子が多い煙突掃除(小さい子供しか煙突に入れない)としてイタリアで働く、

 という結構ヘヴィーな内容なのだが、その中で彼はアルフレドという聡明な少年と知り合い、親友になり、彼には大きな秘密があって…。というような熱い、子供を飽きさせない展開があり、いやあ、読んでいる最中に当時の記憶が、アニメのシーンがよみがえってきていて、俺、強風の中渋谷の公園で四回も泣いて、自分でもびっくりした。すごいな、平日の真昼間から公園でシャボン、児童文学で号泣って。

 まあ、俺のアレっぷりはどうでもいいのだが、本当にこの作品は素敵な作品で、少年少女が様々な苦境に負けずにやっていく様に勇気づけられる。もちろんきれいごとでは済まされないこと、ショッキングな、厳しい現実もありながら、人が一生懸命生きているという息遣いが、この作品の中にはあった。


 有名なシーンはネタばれなので、そのほかの好きなシーンは、食事も与えられない、知らない地のきつい煙突掃除で心が折れ掛けているロミオが屋根に上ってイタリアの街の美しさを青空の美しさを知るシーンだ。美しいものを、友情や愛情を熱情をもっているからこそ、彼は意志を持って生きられるのだなあというのが、胸に来た。

 原作は『黒い兄弟(ススだらけの煙突掃除の子供たち、彼らが作る同盟)』というらしく、それも読もうと思うのだが、その作者は人身売買と児童虐待に対する警告として作品を執筆したそうで、アニメ版とはいえ『ロミオの青い空』にもその点はしっかりと伝わってくる。小さな子どもたち、これを見ていた当時、俺も十一歳だったはずで、ロミオとアルフレドの生き方に力をもらえていた、はずだ。かっこいい生き方を知るならば、それ以外のって、どうでもいいと思わないだろうか? 平和、を口にする人にはうさんくさい、あまりかっこよくない、センスがない人が多いように感じてしまうが、でも、本気の人は革命家には作品を作り出す人には、敬意を抱くし、やっぱ、彼らが「正しい」わけではなくても、好きだと思う。自分なんてどうでもいという気概。その熱情に感応する。

 アニメの中の、シネマの中の人生を生きることはできない。彼らはあまりにも美しい、輝かしい。俺が中学生位でアニメを見るのをぴたりと止めたのには特に理由はないと思うが、思えばそのころ位からか、アニメのようなシネマの主人公みたいな人はいないし、誰も本気でそれに憧れたりもしないのかな、ということに気付いたのと多少は関係があるかもしれない。それに気付いた時は少し、さびしい心持になった。

 でも、カッコ悪い、とかをなるべく選択しない生き方ならできるだろう。それぞれ好きなように生きることならば。聖人君子なんていないし、目指さなくてもいい。でも、カッコ悪い人生なんていやだし、もっといろいろと好きな風がいいなと思う。


 一度だけ会うのも、二度、三度会えるのも、どちらも次のことを考えるならば、相手にあまり迷惑をかけないならば、それでいい、それがいいのかなと思う。どんどん風の吹くほうに歩いて行くかのような。俺には縁のない、サーフィンとか漁師とかの人が「風待ち」って言葉を口にしていたように思う。素敵な言葉だなと思う。彼らは風を信じているんだって感じるから。

 フットワークは軽く、好きなことを考える時間が多いように俺も、肌の上に風をタトゥーを指先を