インスタント・リプレイ

 ここ数年、朝はヨーグルトとバナナということにしていて、朝は(遊びの予定があるとき以外)たいてい低調なので、あまり考え事をしたくないし、そういう時にはテンションあげて行く感じがいい。

 http://www.youtube.com/watch?v=6jqJSzn3_h8


Mess Up My Body - Ayaka Ikio


http://www.youtube.com/watch?v=nl-Es1-D7KI

Marie Digby - Avalanche (DAISHI DANCE Remix)


 朝からチョコレートパフェを食べてる感じで、脳に糖分を送ってる感じがする。そう、朝はやっぱり遊びの予定か糖分が必要だ。ヨーグルト、バナナ、ハウス・ダンスミュージック。 気分を体温を、上げていけばどうにかなったりして。

 割と楽しいことがあったり腹が立つことがあったりして、ふわふわした気分、でも、静かで踊れるエレクトロを聞くと、気分がすーっと、落ち着いたりもして。


http://www.youtube.com/watch?v=Z9z3rlK8BqQ

Our Song/大沢伸一


 多少の片づけごとに一息ついて、次は何をしよう、と思うとなんだか、やっぱりふわふわした心持で、改めて自分が自由で、保証もなく、なんだか楽しんでいるってことに気付く。


 最近映画を毎日見ていて、頻繁に夢を見ては忘れていることを、浅い眠りについて思い出す。

 アルコールを片手に市川崑の『東京オリンピック』を見返す。俺はスポーツが嫌いではないし、一応水泳と陸上を学生の頃はしていたので、あの、肺の筋肉の苦しみを、ふ、と、気が体が軽くなる心地よさも、多少は知っている。でもオリンピックはほぼ見ない。スポーツの試合というのも見ない。興味がないわけでもないはずなのだが、誰かを応援する、という感覚が抜けているのだろうか? 

 でも、この『東京オリンピック』のドキュメンタリーは監督が市川崑、ということもあるだろうが、すごく好きだ。熱さが息遣いがありながらも、でも、やはり監督は観客は傍観者でしかありえないことを再確認する。それでも、作品は、選手は素晴らしいと思う。静かな、熱と熱とのぶつかり合いというような気がする。

 最近ふらふらしているついでに、そういえば闘牛が見たいなあ、という思いがむらむらとわきあがってきていて。四国かスペインに行きたい。でも闘牛は(動物愛護の観点からも)今やかなり下火らしい。でも、マタドールはとても美しいと思う。コロシアムの、檻の中の真っ赤な布を手にした古臭い勇士。

 そう、俺は古臭くて時代遅れで豪奢だからこそ闘牛に惹かれる。四国、宇和島の闘牛は牛同士が戦うのだから、なんとなく土臭いイメージがあって、しばらく牛と暮らしたい気持ちになってしまう。というか、槍で剣で刺すよりかは、まだ安全な感じがして。それなら生活も見てみたいような気がする。

 農業大学で牛を見たときの、あのどっしりとした量感は今も鮮明に思い出すことができる。量感、マッスというのはやはりわくわくするものだから。


  パブロ・ピカソヘミングウェイ、ミシェル・レリス、ジョルジュ・バタイユらが愛した、人の娯楽のための、血生臭い闘牛、というのもやはり魅力的で、微妙に盛り上がっていないコロシアムでの古臭い命懸けの勇士、そして色紙のような花束のような祝福を。

 祝福。から割と遠ざかっているような気がする、というか、ちゃんと自分の身体のためにも祝福のある場所に行かなきゃなーとか思ったりして。退屈すぎるテクノミュージックのような、夢の中のような景色。パソコンのOSをヴァージョンアップするかのように軽やかにはいかなくても、定期的にメンテナンスも新しいことも遠ざかっていることもしなくちゃなと思う。

 そのための空元気と元気を。まどろみのような気分で俺。覚めているのかよくわからないのだけれども。