どんなに頑張っても、神様も 悪魔もいないなんて
自分のことを書く時は、最近はそうでもないが、脚色とか適当に、とか入れていた。あんまり不幸自慢とか悲惨なことを書いても仕方ないというか。
ただ、高校から十数年、断薬期間もあったけれど、ずっと薬を飲んで、今日も30錠の薬を飲んで、その束を見ていると、頭がおかしくなる。こんなものがないと、俺は平静を保てないのか、と。
でも、それよりもずっと、ずっと大切な、俺の人生にとってのこと。神はいない。
、詳しく言うと、ニーチェの神は死んだ、ではなく、フォイエルバッハの、神学とは人間学だ、というのが、悲しくて辛くてたまらない。
俺はマザーテレサもキリストも大好きだ。でも、特定の宗教を信じられない。なぜならそこには救済があるから。
俺は救われたくなんてない。
神様がいて欲しいだけだ。
それと、自分は恐るべき、悪魔のような美(実際そんな人はいない)を持たず、見にくく老いて灰になる、という決められた人生。
その中をどう豊かにするか、というのが建設的でいい考えだと思う。
のだけれど、薬のせいだったり、別のせいだったり、とにかく仕事をすぐやめる、生活が成り立たない、のループ。
そして、俺が好きな、愛した芸術家は皆、死んでしまったということ。勿論、今の芸術家が悪いなんて全く思えない。でも、神様に触れる瞬間のようなものを与えてくれた人は死んで、俺は、一人、その人らの生きている時代の、小説を書く。
人生に意味を見いだせない。自分の生命を維持する、ということにも。
それでも俺は小説を書いて、誰かの言葉に勇気づけられたリ、している。
サルトルの『水入らず』を数年ぶりに再読。小説を書いていると、他人の小説を読めなくなる(俺は)のがよくない。相変わらず、ユーモラスで切なくて面白い。
俺はヴィヴィアンガールを描いたヘンリーダーガーをマジ尊敬する。俺ならその年齢の前にダメになる。
継続も、何かの為に努力することも素晴らしいことで、おれもやりたい、てかやれよって話だ。
でも、ただ、悲しい。どんなに頑張っても、神様も 悪魔もいないなんて