泥の日

とうとう金が無いので仕事を受けまくって落ちまくっていたり、辞退したり。何で求人情報とは違うことを平気で書いたり言ったりするんだろう? 俺は人のずるい嘘も自分のずるい嘘も許せない方だ。だから、自分でそういう嘘をつきたくない、つかないようにこころがけているけれど、人と仕事することじゃあそんな細かいことをぐちぐち自分の尺度で言うなんて、社会人失格だ。失格のまま、この年まで生きてきた。

 もうそろそろ、自分もダメなのかなあと思うことが増えてきた。でも、一応まだ平気なんだろうと思う。こんな駄文を書き散らしたりしている位だし。でも、一人、どこにも属せずに、金と精神をすり減らすのは、つらい。

 文章をかけていればそれも管理軽減されるのだが、今はそんな気分にもなれない。

 この余裕のない、判断力が無い状態での極論を言えば、仕事をするか、文章を書くか、ということだ。俺は弱くて、仕事をしていると、どうしても納得できない、日々のことで簡単にダメになってしまう。過眠だけの生活になってしまう。でも、そんなダサいのでこの一度きりの一生を減らしていくのは嫌だ。

 無神論者の俺は神様、のことを思う。ずっと、小さなころから考えていた、そういった、輝かしいものについて、一時のめまいのような感覚について。決してとらえられない瞬間について。

 お金を得る、ということは、小さな嘘を重ねていくこと。俺は弱くて怠け者でずるいけれども、そういう嘘の積み重ねで心が壊れる。薬と自傷で生きていく生活にも、いい加減飽きてきた。

 今、できることがあるなら、こういう駄文を書き散らす/消去すること。書くことで、どうにか精神状態を保ってきたから。泥水の中に投げる硝子の欠片。俺の人生。