おっさんの友達の作り方

 半年以上ぶりに、俺の数少ない友人に会った。うつ状態で失職して数ヶ月はほとんど外出しなかったし、人と会える状態でもなかった。でも、今日、その友人に会えて良かった。その友人に頂いた物、というのも素直に嬉しい、でも、やっぱり友人とたわいのない話を気軽にずっとしていられるというのが何よりもありがたい。

 それには価値観や趣味が合っているというのがやはりポイントにもなるけれど、根底にあるのは、相手への友情、思いやりの気持ちだと思う。相手が楽しいことは自分も楽しい。俺の好きな人(作家、作品)を相手が真逆だとしても構わない、というか、他人は自分の分身ではないのだ。だから異なる意見、できればその熱い思いこそが、俺を感動させる、話しをしたいと思う。

 気が付けば友人なんて存在はとても曖昧なもので、口に出すのも何だか恥ずかしいものだ。それに、友人が多いとか言える人って、何も考えてないか、利害関係とか薄い関係なのかなと意地の悪い俺は感じてしまう。

 でも、なんにせよ「友人」は「あるていど」多い方がいいはずだ。ひとりきりでくすぶるよりも、誰かと少し話すだけで、明日への活力になることって何度も経験してきた。豊かな読書体験のように、会話をする、ということは単純に楽しくも自分の心や思いを整理させてくれる。

 とはいえ、友達を作る、というのはとても難しいことではないだろうか? この時代、ネットがあったからこそ出会えた人がほとんどだ。でも、ネットがあるからとはいえ、つながらない、繋がれない人という人もいる。

 俺は文章を書くのが好きだから、稀にだけれど、大好きな文章を書く人に出会ったりする。ツイッターは短くて、何だか苦手なのだ(有名人と広告だけ見る)。でも、その人と友達になるのは難しかったり、単純に、その人がそのサービスを終了したらそこで縁が切れてしまう。

 30過ぎのおっさんの友達の作り方。どこかで知り合いになって、メッセージのやり取りをして、それでもお互い楽しいならば、友達になれる気がする。というか、俺は友達、とならば何時間でも話せる気がする。逆に間があくような人とは合わないというべきか。

 どうやって友達を作るのか、なんて分からない。ただ前よりかは積極的にコンタクトを取ると言うのはいいのかなと最近になって思う。気が付けば、出会いのチャンスを逃している、よりかは、仲良くなれないかもしれないし、拒否されるかもしれないけれど、相手を好きになることを恐れないことは何に対しても大事なのかなと思う。

 とはいっても偏屈な俺がすぐに友人が出来るなんて思えない。でも、生きている人、そして素晴らしい作品を残してくれた芸術家たちと「もう一度」友人になること(それは片思いでしかないのだけれど)は、やはり大切なことだ。

 楽しいと、綺麗だと素晴らしいと馬鹿だなあとカッコいいと素直に言えること。素直に。素直に喋ること。きっとそう思うと、俺もまだ何か出来るような気がしてくるのだ