さようならシネマの中で

今日、俺が一番好きな女優、一番演技が上手く存在感のある女優が亡くなった。
ジャンヌモロー。彼女の名前の映画を何作品も見た。見る度に、決して自分の好みではないけれども、圧倒的な存在感と演技のうまさと傲慢さと美しさに魅了された。

 俺は正直映画を見る時に「演技のうまさ」というものにそこまで注目していない。だって、監督が幾らでも編集してしまえるから。だからすごいなーと思う人は沢山いても、抜きんでている女優は、外国の女優だと彼女だけだった。そんな彼女と観客と言う接点でしかないけれど、同時代を生きられたということは、とても嬉しく思う。彼女は強く美しい。それで十分過ぎる。

 今の自分の現状に、ふっと、消え去りたくなる時がある。正確に言うならば、何もかもに疲れてしまって、もうどうでもよくなってしまった感じだ。色々やってみたのだが、空元気だけでは、嘘だけではきっと人はまともに生きられない。

 俺は豊かな生を生きているだろうか? 美しい作品を味わってきた。人の好意や愛情にも、少しは受けてきた、と思う。それでも、俺の中はがらんどうで、ただ、自分の為の小説を書き続けると言う不毛な救済意外に、俺が「豊かさ」を見いだせないのならば、その為に嘘をつきながらも生きながらえることは、もう、それは死んでいるのも同然だという気がする。

 大好きな面識のない人が死んだ。身体の中に小さな穴が開いた気分だ。その穴も、いずれ埋まるのだろう。俺は、どうにかなるかはわからないけれども、元気に生きる、というのはもう無理なのかなあと思う。少しずつ、自分の状況を受け入れること。それで、俺に覚悟ができたら、もっとましになれるように。

 さようなら、大好きなモロー。ありがとうございました。