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 オリンピックで周りが盛り上がっている、ということを、最近ようやく実感。でも、日本を応援して楽しいのかな?好きな人がいるなら別かもしれないけど、ようわかんね。テレビで他の国の人も応援したら、素晴らしい選手を紹介したら、他の国と仲良くなれるかもしれないのにね。

 町田康の『猫にかまけて』『猫のあしあと』は、現在休刊してしまった『猫の手帳』の連載をまとめたものだ。当然、内容は猫の話で、掲載誌を考慮してか、かなり意識して、平明な文章が書かれている。内容は要するに飼い猫が死ぬ、ということ、町田一番の凡作だ。

 俺は電車の中でこれを読んでいて、溢れる涙を堪えた。どうせ二度と会わない、車内の人間に涙を見せる事が嫌だったのではない。未だ小学生で猫を買う前、ほうさん団子を食べて死ぬ猫の絵本を読んだことがある。怖くてたまらなかった。家に帰ってから泣いた。

 物心がついて、多少は知識もついてくると、もう俺は自分の為にしか泣けないようになった。意味も無く涙する、それがどうしても出来ない。

 二十の頃、グレタ・ガルボ主演のモノクロ映画『椿姫』を見た。凡庸なストーリー、ライトの前の、あまりにも白いガルボの肌を見る為にあるかのような映画、俺はラストで何故か泣いていた。泣きながら、俺は病魔に破れ死ぬガルボに、自己投影していたのだな、と瞬時に考えていた。小津の映画でも悲しい微笑を浮かべる原節子に感情移入して泣いた。泣いた泣いた、自分の為に泣いた。

 訳も分からず涙が出たのは、二匹の飼い猫が死んだ時位で、あと他にもあったかもしれないが、思い出せないし、どうでもいい。

 町田のこの本が涙を誘うのは、猫の死にもまして、彼の愚直なまでの性格の良さがにじみ出ているからだ。彼のパンクを排した場所には、待ち合わせの時刻は必ず待つという誠実さが残る。性格の良さのみでは文学は出来ない、が、俺は町田の姿勢に感動することは出来る。

 一時期ニュースで話題になった、あのヘンテコギタリストだかベーシストに車内で殴られ、道路に放り出された時に町田は「君は友人を殴り置いて行ってしまうのか」といった意味のことを口にしたのだ。誠実ではない男にこの台詞がはけるか。

 町田は他の作家のあとがきや、書評(エッセイの一部も)をするのが下手だ、あきらかに遠慮をしているのだ、その性格の良さのせいで、少しだけ、不満も感じる、けれど、やはり俺はこれからも町田の著作を読む、猫の本は読まない。