アレっす、アレ!

萌える男』『童貞としての宮沢賢治』『cotton100%』という順番で一気に読んだら変な充実感があった、このどれもがちょっとアレな人についての話、でも萌えとコットン(ジャンキー放浪記)の間には『25ans』と『裏物ジャパン』位の差はあるけど、まあ、全部楽しいからいいや。

 外こもり、という言葉がどれだけ一般的なのかは知らないが、そういう言葉がある。要は日本で出稼ぎをして、物価の低いアジア圏でのんびりする若者が増えてきている、ということらしい。

 50ヶ国を回ったという『cotton100%』の著者akiraも、東北に引きこもった宮沢賢治も、引きこもりの体系としてはさほど差は無いと思う。社会は彼らを窒息させるのだ。

 『童貞としての宮沢賢治』は、聖人と言われる賢治も、弱気な普通の男性でもある、ということを愛情を込めて語った本で、『萌える男』、もとい『電波男』の本田透が紹介していたのだ。こういった評伝ものというか、個人のパーソナリティーに迫るものは、そんなことまで知る必要があるのか、と嫌な気分になる時もある(誰と付き合ったとか、やった、やってないとか、それがどう影響したとか悪趣味だと思う)。

 三冊とも読みやすかったから、本を読み終えた充実感もあった、でも、それよりも考えさせられたのは、相性が悪いとしても、どうやって、この場所やあの場所と手を繋いでいくのかということを考えさせられたからだ。

 金か体力があるなら、引きこもっても、いいじゃない。と思うのだけれど、孤独なひきこもりは駄目だ、とても辛いと思う、というか、逃走癖のある俺も明日は我が身なわけで、気をつけようと思う。手は伸ばせるようにしているか、綺麗にしておかなければならないのだ