週刊誌御伽噺

二日続いた休日で不動産屋を回っていた。回っていた回っていた。淡い期待が腐っていった。俺は少し話せば、その人と合う、合わない、と瞬時に判断ができる。勿論過度の偏見やら俺の陰気な見方が含まれてはいる、だけれど、不動産屋で対応してくれた人で、合わない、と思った人は皆、知識がなく不安なカモを口先で丸め込み、とにかく契約を取ろうとしているように思えた。相手に合った物件を探したい、という態度を、嘘でもいいから出して欲しいなあ、上手く騙して欲しいなあ、と思った。その人が俺のことを考えてくれているか、その位は、俺にだって分かるよ。

 疲れて、投げやりな気分になって、風呂なし共同便所の激安物件も視野に入れる、と、東中野で三万五千円の物件があるといわれ、しかもそこは最近改装したばかりで、床がフローリングらしい。風呂なし共同便所でフローリングはとても珍しいらしい。場所によっては畳が波打っていたりするらしい、のだ。その時は「へー」とかそんな気分だった。他人事だった。

 俺はオードリーの春日が、赤ちゃんのお尻ふきで身体を拭いているという話を聞いて、俺もそーしようかなーとか考えた。春日、ギャグは面白くないと思うけど、キャラは好きだ。

 実際その物件を見てみると、引いた。外観はアレだったし、中に入ると狭くて急な階段、の横にある掃除用具入れみたいな戸に手をかける、と
「そこは人が住んでいますから、開けないで下さい」と慌てて注意された。引いた。
上がるとその部屋はあった。知らない街の知らない住宅街。にいる俺。押入れを開けると、黒い細かい(ネズミの糞かゴキブリの糞とかそんなもの?)のが沢山あった。担当してくれた人は「入居の際に掃除をします」と答えてくれた。

 窓を開けてぼんやりと寂れた町並みを見、四畳半の空間に目を落とす。
「ここにひとりきりでいたら、絶対泣いちゃうなあ」と思った。

 えーと、ね、これが、しんちょうひゃくはちじゅうななせんちめーとるで、もうすぐ、にじゅうごさいになるおとこのかんそうなのかなー?

 顔がにやにやしてしまう。担当してくれた人は感じのいい人だった。静かな車内でその人も悟ってくれる。ありがとうございました。

 高円寺によさげなバイト先もなかった。ふと、引越しをしなくてもいいんじゃね、というか、何でこんなに引越しをしたいんだろう、と思った。それは衝動だった。

 (神経質で忍耐力のない俺が二年も続けられた)バイト先を辞めたのも引越しも、衝動だった。この陰気な生活を変えたい、と思った、けれど、どうせ俺は高円寺でも反復する、ということを自ら忘れようとしていた。

 高円寺の古本屋、の魅力的なラインナップ、に、俺は目を通していたり所有していたりした。たいていの本は図書館で借りられてしまう。区内にない本も区外から貸し出しができる。東京二十三区にない本(漫画とかは除く)、そして読みたい本なんて幾つある?それは本気で、焦がれるほど読みたい本か?ネットでも買えない本か?住みたい町、好きな町はある、でもそれはどれもこれも交換可能な街だ芸術だ遊びだ。

 俺にとっては生活力のなさが問題になる。ある程度のお金を稼ぎ、ある程度の交友を持ち、といったことができる人にこそ相応しい恩寵だ。

 
 ロマンチックの対象として、選ぼうとしていた高円寺に謝罪。俺はどこの街に行っても「ないちゃいそう」にならなければならないのか?そうしない為には金金金、或いは労働労働労働。

 疲れて家に戻り、ふと、布団を上げてみると、下に敷いた薄い畳の一面には黴が生え、それは新聞紙にも移っていた。窓をあけたらすぐアルミ格子のマンションでは布団が干せないのだ。万年床の下、フローリングにはもう黴がはびこっている。新聞紙と薄い畳をゴミ袋に押し込み、フローリングを撫でると指先が真っ黒になった。手を何にも触れないように高く上げ、ゆっくり、崩れ落ち、湿った、臭い、部屋の隅に押し込んだ布団に顔を埋めた。

 床を拭き、布団を近くの駐車場に運び、ファブリーズを噴射した。生温かい夜の風が熱を持った頬を撫でる。ちっとも泣きたくなんてなかった。こんな所にはいたくない、けれど、冷静になれば、耐えられるだろう。何十何百と繰り返してきたのだ。

 必死さが足りない、もうちょっと真面目になれよ、そんなんで大丈夫なの? とか、誠実な人(俺は誠実な人が好きだ。長く一緒にいられるか、自信はないけど)に言われてきた。

 でも、多分大丈夫だよ、分からないけど、あのさ、結構面白いよねへへへ、