熱湯か?へ?難民?からも路上からでもなく

一週間位前から、やっとこさバイトに応募をしはじめましたが、まあ、落ちる落ちる。未経験オッケーじゃねーのかよ!って、二年前だって書いてある文章を真に受けて苦労したのをすっかり忘れていた、というよりも、必死さがない、のかと我ながら思う。

 バイト先の人に、(もうすぐ)無職記念で昼飯を奢ってもらった。年上の人にとっては、やはり、フリーターってのは「やめたほうがいい」ものなのだ。俺、「一応文章書いていまして、自由な時間が」、ともごもご言いましたけど、「そんなん働きながら書きなさいよ」と。同年代の(就職していない)人らには、割と甘ったるい意見をいただくことが多いので、これも新鮮だなあ、と思いました。ありがたし。もう直ぐ会わなくなる人になら、俺だって素直にありがたしと思えるし。

 こんな時期には面接の心構えとか履歴書の書き方の本を読むべきでしょ?で、俺ネットカフェ難民関係の本読み漁って、ヘコムんすねー。以前も借りた本とか混ざっているはずだけど、その時は一応バイトしてたしね。てか、ね、半年後の自分を見てるような、てか、仕事中に、自分の背中を見ているような錯覚をして、ふと、我に返る。あの嫌な感じが続いている。もし、ネットカフェ難民になったら、それが肉体への苦痛として刻まれるのかな。

 てか、ネットカフェ難民の人の月収平均って十万七千円ですってね。へーすごいねー。てかさ、俺、コレ以下なんだよ!良く生きてんな!マジ!そんでさ、一日の食費は千円以下に抑える、とか書いてるネ難民の人いたけど(そりゃあ外食は高くつくけど)、俺(頭か金が)ヤバイ月一日三百円以下だっての!朝500gヨーグルト半分、昼と夜はコンビニの百円均一のお菓子(の中からカロリー高いものを選ぶ)。マジ、すごい(バカだ)ね!

 でも、俺がこんなんでもフラフラできたのは、多分実家が電車で一時間かからない距離にあり、いざとなればどうにかなるかも、と思っているから、というのが大きいと思う。歯を治療する時だって、何故か親の被保険者になっていて、そうでなかったら五万六万とられたことになるし。それ以上にまとまった金が必要になったら、途方に暮れるしかないのだ。

 もやいの湯浅氏が「溜め」がないと生き難い、という話をしていて、それはいざと言う時に頼れる「お金(貯金)」や「親族」や「友人」のことで、ネ難民になる人には、多くの場合これらの全てが欠けていて、それによりさらに這い上がるのが困難になるという。

 しかも、彼らは例外なく「自分が悪い」という思いに囚われているという。確かに、俺も、このまま自分がどうにかなったら自業自得、と考えてはいるが、それと行政の対応とは別物だと思うのだ。だって、人を助けるのが政府の役割でもあるんじゃないの?選挙の時だけ騒音を撒き散らして笑顔で手を振るなんて醜悪なことしてる彼ら。どうすれば、たった、ほんの少しでも、信じられるんだ?

 どーでもいいっす、なんて状態になることも多いし、信じなければいい、と実感することも多いけれど、未だ小説書きたい、と思っているうちは大丈夫だと思う。これが俺の「溜め」、とか書いても間違いじゃないけど、活字が「溜め」を腐らせてんの、俺の場合。文章のクソヤロウ!

 長いかもしれないけれど、短いかもしれないから、さっさと書くことにしますしましょうそれがいい。未だ路上までは遠いはず、神様。貴方のことだって、信じていないけれど。