いらっしゃいませおめでとうございます

 パトラッシュ、ボクはもう疲れたよ、ってなわけ、ではないというかルーベンスの画は好きは好きだが大好きといったわけではない、けれど、今日晴れて失職、不安も希望もほのか。ルーが口にするヘロインの歌詞みたくして。

 これまで何度か、特に俺が文章を書いてると知った年上の人に「俺みたいに、私みたいになるなよ」「覚悟をきめてやれよ」と言われたことがある。この職場でもそういう人がいた。きっと、彼らは俺や、対象のことなんて見ていない。他者を通してしか若さに触れ合えない人なんだと思う。彼らはそのことに自覚的ではないから、多分こういった台詞を吐けるのだ。自分が何だかんだで安定した収入源を確保した上での、荒地への観察行為。これが年老いたということだろう。

 俺は永遠に若い、と自惚れているのだけれど、彼らのように、肌の臓器の衰えではなく、老いを自覚してしまうことなんてあるのだろうか?そうなったら、別の寄る辺ない若者に(足場を準備して)感傷的な台詞を吐くのだろうか?もし、そうなら、面白い。今はありえないって思っているから。中谷美紀の『砂の果実』の凡庸で可愛らしい歌詞(作曲は教授。俺、あまり好きじゃないけど、力量ある人が女優をプロデュースするのって好き)みたく「あの頃の僕らが 笑って軽蔑した 嘘つきな大人に 気づけばなっていたよ」

 辞める一日前に、血走った三白眼で禿かかったまばらな長髪の上にふけをのせ土色の顔をしたどう見ても浮浪者にしか、いや貧相過ぎるキリストに見えないこともない男が「聖書はどこですか」と尋ねてきた。俺は司書の資格は持っていないが、流石に二年勤めていたら大体の場所は分かる。でも、聖書の場所を聞かれたのは初めてだった。俺も読んだことないし、一瞬読もうかな、と思いつつ、百八十番あたりかなー、と、すぐに渡せた。細い指の男はそれを受け取ると「借りるにはどこに行けばいいですか」と尋ねる。「上のカウンターで受け付けております」と俺は言った。彼は利用者カードを持っている、はずがないことは分かっている。図書館に来る浮浪者は本なんて借りない。ただ寝る為疲れた足を安めに来るのだ。たまに読んでいる姿も見るが、寝ている為に来ているのではないという図書館側へのアピールとして何冊か傍らに置いているだけというケースが多い。数十分後に俺は受付カウンターに向う。返却済みのブックトラックの中に聖書を見つけた。図書館内で読むならば利用カードがなくても可能だ。受付のアルバイトはそれを伝えたのだろうか。伝えたとしても、彼は聖書を、短い期間だとしても、手元においておきたかったのかもしれない、借りて、返さなければいい、ということを防止する為に、カードの発行には住所を証明するものが必要になる。乞食に聖書はあまりにも似合うから、神様が禁止したのだ。曰く「俺みたいになるなよ。俺みたいな乞食にはなるんじゃねえぞ俺みたいな拷問を受けて愛を説いたりするんじゃねえぞ」

 そんなことを神様が口にするわけがないのだが、俺は神様を恣意的に、自分の好き勝手に都合のいいようにしておきたいから、聖書なんて「インテリア」で十分だ。以前友人に「頭が良く見える本って何(それを部屋に飾りたいんだけどという意図で)?」と聞かれて、少し考えたことがある。それを見せたい相手は、と考え、新潮文庫の『ティファニーで朝食を』を勧めた。カヴァーが可愛らしいヘプバーンだったから(『お洒落泥棒』ノヘプバーンが一番好きだ。オトゥールとのコンビも好き。『お洒落泥棒』の続編もわくわくしながら見たのだが、その数十年後のおばあさんヘプバーンが出演していて、びっくりした、話の筋は忘れた)。しかしそれを言った友人は、僅かだが不満だったようだ、ヘプバーンは誰もが知っているから、とかそんなことを言われたような気がする。ならウォーホル、とか、あ、だったらイーデイやヴァレリーソラリスとか?でもそこまでいくと知っている人ってオタクっぽい(俺含む)からそんなのを相手にしたい訳じゃないだろうから、シャーデとかは?友人はシャーデを知っていなかったけれど、それで了解してくれた(別に小説本じゃなくてもよかったのだ)。俺の中ではシャーデが世界一美しい黒人女性だ。確かCDのライノにもフェイスの表紙とかがどうたらって、書いていたような、いないような。

 今日は僅かにはらはらと雨が降って、シャーデの歌に、俺の門出にぴったりだった。まだまだメロドラマがあるはず。惨めな男を他者に求めるような老成の前に、俺はきちんと消滅しているでしょうか?それとも、それなりに安定した収入を得て、どうにかなっているでしょうか?

 「おめでとうございますネロ様では次回の人生をお楽しみください」ってメロドラマの声が頭の中でする、から『ソドムの百二十日』を借りてきた。俺、文庫版の澁澤訳の短いバージョンしか持ってないん。てか、パゾリーニの映画のほうが好きだなって、その文庫を読んだ段階では思った。てか、サドの小説って、どれも退屈でしょ?それなら動く美男美女を眺めていた方がいい。映画の『ソドムの市』が好きだなんて口にすると、まるで「ポルノはアートだ!」的な人(実在する)みたいだけど、俺はラストシーンで、庭の外では拷問が行われている中で、二人の少年がレコードかけてのん気にダンスするシーンが好きだ。アルバイトはポルノよりもグロテスクだったよ。俺もレコード掛けていや、レコードないからIpodとダンスをしてアルバイトを終えてもグロテスクな人生で少しにやけて。