クリスタルにもいきいきにも

 アルバイトが決まった。念願の図書館のアルバイト。今日は研修初日、で、酷く気分が悪かった、吐き気がした。前日からほとんど眠れずに、向った先で、分かってはいるはずの、気持ちが悪い社会人として当然のマナー、お金を貰って生活する人間にはとうぜんのことが、どうしてもできない、いや、できるはずなのにしていたのに。吐き気吐き気吐き気ばかり寝不足だが研修の後も頭は冴え睡魔は訪れず、一人ふらふら歩きながら涙を流し、ようやく仕事を辞する決心がついて、電話をした。図書館しか、自分にできるバイトはない、と思っていたけれど、思い違いだったらしい。どんどんお金は減っていきます、でも、貯金が尽きる方が、社会人として働くよりも幸福だと思えた。

 読む本が、読みたい本がない、ような気がする、日々が続いていて、それでも騙し騙しやってきたつもりだった、いや、俺は本がなければ駄目だ本が、思考をする時間を与えてくれるから思考に秩序を志向性を与えてくれるから貧乏人にもできる依存方法だから。でもこの先も自分が図書館(に限らずとも)で、マニュアル通りに「いきいき」しなければならないと思うと吐き気がする眼窩を眉間をまさぐられているような叫び出したい衝動に駆られる叫んだ。その数十分前には泣いていた。健康的な俺。

  読む本がないので、大江健三郎の『芽むしり 仔撃ち』を読んだら、酷く面白かった。初期の大江の作品は少年の傲慢が噴出していて好きだ。特に短編が。長ったらしい寓意なんかではなく、でも、戦争も闘争も、もはやファンタジーめいている、けれど、続けて読んだ『セブンティーン』は、今の気分にぴったりだった。右翼、天皇に帰依するしかない壊れかけの勇ましく愚かなセブンティーン。俺も涙と叫びのトゥエンティーファイヴ。二十五歳になってまで! いや、セブンティーンの少年も、幼いまま老いるのだろう。それには神様が、彼にとっての天皇が俺にも必要不可欠で、俺に取ってはそれが本だって小説だって思っていて、その考えは変わっていないから本に関わる仕事ならばまだ耐えられるはずだった、と思っていた、けれど、俺は、別に、帰依しているわけではないのだ、帰依するのが怖いし、どこかで蔑みの種を抱いているし、できないのだ、神様。

 テレビでwiiの配信プレイ紹介のCMが流れていて、そこででファイナルファンタジー3の曲が流れていた。ファイナルファンタジー3のクリスタルの曲は、小学生の当時毎日遊んでいた友人の家で聞いた。家にファミコンがなかったので、その子の家でプレイしていた。僕ら四人の少年はクリスタルに選ばれたんだって、俺と、友達の名前を入力してプレイしていた。オープニングで穴に落ち、怪物を倒し、最初のクリスタル触れると流れる、チープで物悲しい、ジョアン・ジルベルトのか細い声とギターに匹敵するような、美しい曲。そのゲームはクリアできず(確か途中でデータが消えた)、その友人とは中学校に入り、絶交した。

 クリスタルの戦士がいないのが悲しい。自分がクリスタルに選ばれていない、という事実が悲しいのではない。クリスタルの存在を信じられなくなったのが悲しい、いや、クリスタルをどこかで信じている、幻のようにちらつく、幻、の世界で生きることができない俺、一瞬の数分のきらきら、のためにふらふら、したり眠っていたり、そう、その為には生命を維持するにはお金が労働が必要なのだ、ということを何度考えたことだろう?クリスタルと「いきいき」の強要との間で、疲れた、けれど人生は続く、続くしあわせ神様、のように神秘的な恒常性俺の肉体のせいでおかげで幸福幸福幸福。