デジャヴ

ウェブで応募して履歴書を送付して集団面接を行って、それで、一ヶ月ぶりに、やっと受かったバイト先に、「他の所が決まったので」と嘘をついて、辞退した。ほっとした。働きたい場所でもなかった、いや、無理をすれば働ける働こう、と思っていたが、結果が来るまで全然眠れず、かといって動くこともできずに布団の中で起き上がったり横になったり、軽い吐き気と倦怠感がいつまでも消えずしまいには心臓まで痛くなる始末、けれど、俺はこれと同じことが以前にも何度か経験しているので、うんざりしながらも、受け入れていた。

 その後で面接を行ったバイト先では、男子はもみ上げが許されなかった。この先もカツオヘアで生きることを、受け入れろってことだ。給料はポイント制で加算され、契約数や就労違反、客からのクレームで増減するらしい。こーゆー働く人間の心情無視のマニュアル的なのって吐き気がする、笑顔で気持ち悪いことを言い続けることを強要されるってこと、なのだが、少し、受かっていて欲しいと思うし、落ちればいいのだとも思う。受かったとして、長く続けられる気はしない。しかし、俺が望む仕事も妥協できる仕事も、俺の外にある、ってことが分かったことで十分なのかもしれない。

 生活を送ろうとするには動機付けが必要だ。それがどこにあるのか分からない。

 ニート、ひきこもりでした、と自分で口にした人、何人かと話をしたことがある。俺は自分が甘いと自覚しているが、彼らの発言は俺でさえ「え?」と感じることが多々あった。しかし彼らは彼らの尺度で生きているのだ。そして彼らが自虐的に語ることで、どうにか失われた時間を取り戻し、他者とコミュニケーションをしている、と深読みもあるだろうが、感じる時もある。

 それを怠け者と罵るのは簡単だ。でも彼らを声高に責める人に違和感を覚えていた。自分と異なる価値観を持つ人に不快感を覚えることはあるにせよ、彼らが「俺は苦しんでるんだ、お前だって苦労しろ」と言っているように思うのだ(実際に自分の親族にそういった人がいて、事情があるならともかく)。

 何だかニートとかひきこもりとかのことを考えていると、「シェルター」という単語を想起させる。夾雑物のない世界で、外界との接触を必要最低限に、或いは排除して暮らしているようなイメージだ。しかし実際に生活するならば、漫画の世界のシェルターだって思いのほか「不便」で「息苦しい」ものでもあるだろう。しかもここは日本だ。金が必要なのだ。

 ぼんやりと思うのが、俺は「きちんとした」労働者にもフリーターにも、ニートにもひきこもりにもなれないだろうということだ。何をもって「きちんとした」とするのかは、自分でもよく分かっていないのだが、そんな気がする。労働に動機付けができるだろうか。生きるために働く、なんてぴんとこない、そんなに生きたくも死にたくもないだろ?普通の人だったら。働きたいです、って嘘をついたり、喋りたくも無いことを口にしていると、ぼんやりする。どうにか自分を説得したい。貯金がほぼゼロになったら、俺は観念して働くだろうか?借金軽犯罪コースを歩むだろうか?まだまだ色々できそうな俺のこの先。安っぽい連載小説は俺も好みで、未だ続いてしまう。この日記も、日々も、反復、とささやかな期待或いは白痴的な短い情熱。