恥は知っているはずだけど

「随分気が利くみたいだけど、昔なにかしていたの?」
 そうバイト先で尋ねられて、少し困って、笑って否定した。別に俺は「何か」していたわけではないけれど、自然に振舞っているかのような不自然な態度が露呈するのは気分が悪いものだ。

 気が利くのは、相手のことを、今おかれている状況考えられる人だと思うけれど、随分気が利く人間は、そんなものではないのだと思う。それは必要性があって習得した処世術であり、俺はそれに対してまとわりつくような嫌悪を抱いている。

 要は少し、のことでもう嫌になってしまうから、そうならないように取り繕っているだけなので、今日の、そして明日に繋がる嫌なことが頭にこびりついて、何時間たっても布団の中で眠れずにいる俺、はきっと、俺に似て社会不適合的な友人から数年ぶりの連絡を受け、先日飲みに行った。

 対して親しいわけではないけれど、たしか彼女は、ベンジーやカートやシドみたいな男の子が好きで、チェコの少し悪趣味な映画やアメリカの少し助平な写真家や日本の少し、だけではなくかなり感傷的な小説を好んでいた、はずだった。彼女から連絡が会った時に、俺は丁度その時ねこを触る店に行きたかった。でも流石に久しぶりに会うあまり親しくない友人に「ねこ触りに行こう」とは言えなかった。一人ではさすがに行けないのだ。ねこ触る店。俺は居酒屋よりも、ねこ触る店が好きだ。

 二人で、まるで仲が良い双子のように、「あーもー駄目だねー」みたいな話を笑いながらした。楽しかった。彼女も職を点々としているそうで、俺のように些細なことが原因で辞めてきたのだろう。俺はアルコールが顔に出るのが嫌で、ビールを最初の一杯しかたのまなかったけれど、彼女は顔色を変えずにグラスが空になる度に注文をした。彼女は、酒に酔って上機嫌だったのだろう。「あーなんだかもっと不幸になりたいなー」と口にした。

 俺が大学生の頃に部室で、たまに喋ることがある学年が同じ男の子と、顔が悪くも良くもないもの同士で「てか、ホストにでもなるしかなくね?」とかいった頭が悪すぎる話をしていたことがあるのだけれど、その彼と数ヶ月ぶりに会って、部室で二人きりで(俺も彼も、他の部員もやる気がなく出席率は寒いものだった)、言葉少ない彼が、何だか寂しそうにしていたから、俺は「どうした?寂しい病(あくまでキモイ自分の造語として発言した)にかかっちゃったん?」と、尋ねた。彼は、少しはにかんで「うん」と答えた。
 
 俺は大袈裟に彼の肩を叩いて、それからまた、頭の悪い会話を始めたように記憶しているが、今でもこういった行為のできる、自分の厚顔無恥さに呆然とする瞬間がある。同時に俺は、彼が俺を必要としていないことも、俺が彼を必要としていない(友人としてすら)ことも理解しているのだ。

 不幸になりたいと口にした彼女に、俺は「大丈夫だよ」と割りと本心で告げた。大丈夫、綺麗な栗色の髪の彼女も、汚い黒髪の俺も、もっと苦しむことができるのは、ほぼ明白だ。それが彼女の求める不幸と多少違うのは理解しているのだが、俺が彼女を不幸にする程、二人の間に「友情」はない。

 また、数年後に会うかもしれないし、もう会わないかもしれない彼女、「そんなことないって」と俺みたいに笑いながら、とても友人が多いことを否定する彼女、と別れ、ねこ触る店に当分行けないかなと思う。