ああ分かったよ分かってないけど

二十万円近くを入金して教科書も買って、それでいざ司書の資格に向けて、シラバスをプリントして、しなければいけないレポート内容に目を通すと、想像していたものよりめんどくさい物だった。半年で資格を取ろうとすると、後半が試験や試験の代わりのレポート提出の為、前半の三ヶ月でレポートを二十以上提出しろ、って。参考文献を一つのレポートについて、最低でも三、四冊読むとなると、あれ?速攻で辞めた所とか長く続けていた所とかで以前「資格はどのくらいで取れるのですか?」と質問をしたことがある。ほぼ全員が、通信なら一年以上と答えたように記憶している(さらに科目ごとの単位習得試験に全て合格しなければならない)。こんだけめんどくて(というか興味ないことに情熱を燃やすのって)、取ったとしてどうなる、と、ふと我に返った。

 思えば長く(自分としては)勤めていた場所を辞めるのは必ず人間関係の些細な(とどうしても自分としては思えない)ことで、これからもそれが原因でふらふらしてしまうことが予想されるのだが、そんな時に資格が役にたつ「かも」しれないのだ。

 出会い系のサクラをしていた友達は数ヶ月で嫌になって辞めたそうだ。俺は大学出たての頃に、モロそれっぽい所に面接を受けに行ったが、落ちた。タイピングテストも遅くないし週四出れるってのに、未だに落とされた訳が分からないけど、落ちてよかったかも、と今では思う。
 
 やりがいのある仕事をしている人は一部だと思う。俺はやりがいを感じられるものじゃなくても、不快感を覚える人と働かないならば、続けられると思う。けど、そんな都合のいいことは起こらない。

 司書の資格を取ったからって、とは受講する前から分かっていた。でも、資格を取らなければ新しい仕事につく道さえも閉ざされている。俺はあんまり大学の図書館員になりたいわけではないけれど(夏季冬季休み中は無職!)、今の我儘な自分に続けられそうなのは、多分大学の図書館員だと思うのだ。(図書館もそうだが、美術館の学芸員も人が多くてあぶれているそうで)。

 気乗りはしない道に向けて、努力するのって、どうだろう?最近は、ずっと書けなかった小説のアイデアを見つけて、これから書き進めて行きたい所なのだけれど、それよりも期限が迫っていることがあるのだ。それで、何だか、変な気分になる。文章を書くことを考えたり書いたりするkとで、どうにかふらふらできていたのに。

 どうにか生活を維持できる最低限のしごとをして、残りの時間を捜索やふらふらに当てる。そう思っていたし、そうしていきたいけれど、そう都合いいアルバイトはないし、あっても俺ができなかったりやめてしまったり。希望の予定通りにはいかない。

 半年の習得を目指して、運よく取れたって。とかぐちぐち考えていたけれど、どちらにしろ俺は些細な、自分では重要だと思っているもののいずれかを投げ捨てることになるのだ。とりあえずは、目の前のゴミタメを鼻つまみつつ綺麗にしなければ。我儘は言い続けるけど、俺はそれでいい、と思うんす今のところ