おねがいしますか

 ファッキンなことに忙殺されていたのだけれど、多少は片付け終わる。ファッキン、といえば俺は癖っ毛で長いこと悩んでいた。髪が「ぴろーん」ってなんの。頑張って色々したのに「ぴろーん」。セットしても少し時間がたてば「ぴろーん」

「ぴろーん」エンドレス

 「ぴろーん」だから死のう。そう考えたこともあったけれど、CMに惹かれて「うーのふぉぐばー」を使ってみたら、あら不思議! セット力はあって束感作れるのに軽くて、しかも繰り返し直せる! これ、数年前に美容院で買った二千幾らのワックスよりいいかも! てなことを言ったら友人が「今は市販品の質が上がってきていて、サロンで販売しているものの売り上げは鈍っている」と言っていた。まあ、それはともかく俺にとっては「ふぉぐばー」はマジ合っていた。俺、立たせる系じゃなくて、おろしてまとめる系なんす。つまぶきやシドみたいな元気いっぱいツンツンヘア、をやってみたいのだけれど、超似合わないのでやっていない。ツンツン系には「ふぉぐばー」どうなんだろう。俺に似合うのは浮浪者系かキノコ系。あ、今思ったんだけど、浮浪者とキノコって相性良くない? と書いて数秒後に死ぬほどどうでもいいことだと思ったが消さない。

 髪の悩みと言えばもう一つ。俺の癖っ毛はどうしようもない、と諦めていたある日、シャワーをする際にシャンプーをして、その後でリンスを使って、髪を拭くときタオルではごしごしせずに、ドライヤーでしっかり乾かして、寝る前に櫛でとかすと、あら不思議! 翌日髪がしっとりとまとまっていて、髪質のせいにしていたけれど、手入れが不十分なだけだったのだと反省しました「ぴろーん」

 「ぴろーん」は解決したけれど、新しいパソコンにしてもまだ解決しない問題があって、とうとうプロバイダーに電話を欠けた。すると数時間後に工事の人がやってきて、線を交換してくれた。古くて断線していたらしい。こんなこともあるんだー、と少し驚いたのだけれど、それと同時に早く頼んでおけばよかったな、とも思った。

 お願いする、ということがとても苦手で、それが店員相手でも極力避けたく、極力人の迷惑にならないようにと暮らしてきたつもりだけれど、自分ひとりで解決できることには限りがあり、そういえば以前「もうちょっと信頼してくれよ」とそこそこ信頼している人に言われて少し驚いたことを思い出す。張り巡らせている細い糸のような警戒心を指摘されると、恥ずかしい、し、少し反省する。

 決して人に甘えない人間ではないのだけれど、多分、お願いの仕方が、甘え方が下手なのだと思い、Great3のジョン・マッケンタイアがプロデュースした超名盤『When you were a beauty』の「snowbird」という歌の歌詞

「甘え上手になったら 泣いたりしないの?
 冬の 冬の 冬の 冬の愛 
 戒めの言葉は 綺麗な目をしている 揺りかごから墓場までも
 冬の 冬の 冬の 冬の愛 」

 を思い出し、この素晴らしいアルバムの中でも一番感傷的な曲を久しぶりに聞いてみる、と気持が引っ張られることなく、かえって元気になったような気がしてきた。感傷が安定を与えてくれるなんて、とても素晴らしいことではないだろうか。『When you were a beauty』と言えば、年老いマーロン・ブランドがリビングで恋人といる際に、つけっぱなしのテレビから昔のマーロンの主演した映画が流れ、年老いたマーロンはそれを消し「昔の俺は本当に美しかった」と呟いた。というエピソードが好きで、これがねつ造であっても構わないと思っている。

 好みの映画の一つ、『波止場』でのマーロンが車内で兄に「チャーリー」と懇願するシーンは無防備でとても美しかったことを思い出す。懇願と言えば金閣寺をモデルにした『炎上』での仲代達也の哀れな美しさも好みで、甘えるのだって悪くないのかもしれない、とふと思った、けれどこれは、映画の話だけなのだろうか?「ふぉぐばー」をつかってきちんとしていたら、及第点を得ることができるだろうか?

 別に好きというわけではないのだけれど、ぼーっとしている時とかに流すのにいいクレバのアルバムに『よろしくおねがいします』という題のがあって、自信たっぷりで前向きな感じのクレバさんにあまり共感しないけれど、たまに彼の曲を口ずさむ時がある。彼の場合の「よろしくおねがいします」って、許容される事を前提にしての「よろしく」で、そういうのってあんまり好きではないのだけれど、そんなことを口にしている俺が、きっと、どうにかしているような気がして、よろしくおねがいしますって、生活している世の人たちは言っているのだなあと感じるのだけれどどうだろう。お願いランキングでも見て勉強します。ナイスでございますよ(って言ってるキモイ兎が最近かなり好きです)。なんだこれ。