密林とバイオレンスを脳内で

 月々入ってくるお金よりも出ていくお金のほうが多く、こんな生活をいつまでも続けるわけにはいかない、のだけれど。

 危ないから止めておこう、と控えていたことがあって、例えば小学生の時に今はなきWAVEで、親に連れられて歩いたフロア、棚に敷き詰められたCDの山に目をくらくらさせながら「世界中の音楽が欲しくなったら大変だなから注意しよう」とおこづかいでCDを買ったこともないのにそう心に決めた、はいいが高校生になって一度火が付いたら馬鹿みたいに金をつぎ込んでしまうことになる。音楽に限ったことではないけれど、大海の中を泳いでいるようなイメージ。クールベの描いた、しぶきをあげボートを漕ぐ画のような(題失念)、無防備の幸福。

 ところが、今は月にCDを五枚程度しか購入せずに、あとはレンタルとか、昔買ったのを再度聞きなおしたり。渋谷のレコファンは一時期三店舗あって(今は一店舗しかない)渋谷に一人で行く時には、必ず三店舗回っていたのが懐かしい。でも、これは音楽に限ったことではなく、昔読んだり見たものを再び鑑賞する機会が多くなってきた。新たな発見や喜びはあるものの、新鮮さを失っているな、と感じているのも事実だった。

 俺は今までインターネットで買い物をする機会が数回程度しかなく、特にアマゾンとヤフオクは見ないようにしていた。気を許したら、絶対に金をつぎ込んでしまうと思っていたからだ。

 しかし、どうしても必要な本があり、一度アマゾンで注文をしてみると、あとはもう芋づる式で、ここ数カ月は快適なアマゾンライフ。みずのはるお式に「いやぁ、アマゾンって本当にいものですねえ」てな暮らしを送っていると当然クレジットの請求が「ちょこっと」怖いことになる。「ちょこっと」位でどうにか踏みとどまらなくてはならない。特に最近の新品は全部送料無料はマジヤバい。

 インターネットでディスコグラフィーや作品一覧を目にして、順番に消費していく、というのは幸福な作業だと思う。例えば、俺が年収二百万(!)でアマゾンにべったりした生活を送っていたとして、そこそこ楽しい生活かもしれない、なんて思う、思うだけだけど。望めば手に入ってしまうこと自体は、幸福でも不幸でもない。そう思ってはいるものの、なんだか戸惑ってしまうのは、単に俺がそういう人間だって、それだけなのかもしれないけど。

 ファッキンな片づけるべき問題はまだ続いており、胸糞悪く、というか、相手に反論したいのをぐっとこらえるのはめちゃくちゃストレスがたまることで、かといって相手に喧嘩を売るのは(特に信頼関係が全くできていない場合)失礼だと思いフェイドアウトしていく自分の短気さを再確認して、人とどうこうするということなら、そんなの当然じゃないか、と多くの皆様実践していますし俺もこの年まで生きているってことはへらへらふらふらやっつけ仕事をこなしていたのだけれど、やはり、そういう交渉は酷くストレスがたまり野蛮、というよりも幼稚といったほうがふさわしい俺、でも最近は幼稚で居直っていて、そのせいか幼稚な性向にさらに磨きがかかっているようでヤバく、でも見方によっては密林で迷子と言えなくもないし今日もあとでクリッククリックあとバイオレンスを脳内で。