恒常性の工場

或る冷えた日、人ごみの中、駅のホームで電車を待っている際に、頼りない粉雪がひとつふたつ頬に触れ、まるで熱弁する篤志家の唾液を浴びているようだと感じ寒々と、身が引き締まるような気がした。知覚はできても共有できない熱があるのだと再認した。今まで篤志家に会ったことはない。

 


 求職欲求がむらむらと湧きあがっている。司書の試験が半分以上終わって、少し一息ついている時のことだった。しかし、求職サイトを見ても、司書の資格がないと受けられない大学の図書館も求人は少なく、あっても大学の休みに合わせて休館するので収入に不安が残るし、要は試験が通っても落ちても展望は暗いままということだ。しかも、それは半年前から知っていたことだった。それでも、今ここで働いていると気が狂う。狂ってはいない、狂ってはいないけれど狂う。基地外製造工場に身体をリースして薄給を得ている現状をどうにかしたいのだけれど、本当におかしくなるまで(多分劇的なことはおこらないだろうけれど)流れていくのか。

 自分の力でお金を稼ぐという方法を探していた、けれど簡単なものではなく、それならせめて司書の資格位取ろう、と思い立ってみたけれど、さすがに通信で半年で取れるようなものに力はないわけで、去年は求職と課題に追われる日々で、それは今ものしかかっているのだけれど、そんな俺に足りないものといえば人生への「糞野郎」という生きようとする覚悟のような気がする。しかしもういいから飽きるまで寝ていたいと思う。卑屈になって小銭稼ぎの何がいいのだ、と二十代半ばでまだそんなことを考えている自分が我ながら幼い、というよりも「ヤバイ」と感じるのだけれど、治せる見込みはない。


 浮草なんて楽しいものではない。無駄な時間を割くことばかりだけれど、俺がそれを望んでいないのか、と自問すると返答に困る。俺が好きな吐き気のことを、俺はあまり知らない。