カットラッシュトラッシュ

最終レポート(そんな大層なものではないのだけれど)を提出して髪を黒くして切って本やらCDやらゲームやらを売ってきた。髪の仕上がりは金をケチった分、いつもの通り外出したくないできだけれど、売り飛ばした品々は数も多いが予想以上の金額になった。三回売りに行って部屋の中が少し広くなったように思えた、けれどまだまだ山がそびえている。むしろ、感覚がマヒしていて、物が減ってようやく、家にある物の多さに今更ながらに気づかされた。

 けれども、また今日もアマゾンから本とCDが届き、別の物を注文している。売りに出す道の途中でいっそ全部売り払えば捨てれば燃やせばいいのだとできもしない夢想にひたっていた。すぐにどうにかなるわけではないのだから、捨てたり買ったり燃やしたりしなければ、と思う。

 それにしても髪を伸ばしたいと数年思い続けているのに、俺の髪の長さは耳が隠れる程度のしかないのは何でだろう?髪を切ってくれたおばさんは「後ろ少しそろえるだけでいいです」といったのに切りまくってくれたのは何でだろう?客に合うか考えずにとにかく型どおりに切り「揃える」のが1000円カットでの職業病なのか?そもそも自分は本当に浮浪者ヘアになりたいのか浮浪者モドキになりたいのかも分からないけれどあと数カ月で(ショボイ、つまらない)結果が出るだろうから焦る必要はない、のだと言い聞かせているけれど居心地は悪く読書は進まずそういえば試験が終わったら『カラヴァッジオ』の今年公開された映画を見に行こうと思っていたのだけれど、先日テレビでミニシアターランキングをやっており、少し目にした公開中のカラヴァッジオは、まあ、出来のいい凡作、どうでもいい本を読みながらBGMとしてテレビで流しっぱなしにする高級メロドラマに相応しい匂いがぷんぷんして、これじゃあデレク・ジャーマンの『カラヴァッジオ』を再見したくなっちゃうじゃないかカラヴァッジオ。エロスとナルシスの祝福を受けた幸福な絵画、と破天荒な作者。デレク・ジャーマンの映画では、幼少期のカラヴァッジオが柱を中心にほほえましい追いかけっこをするシーンがあり、ほほ笑む青年の疾走と回転の姿は鮮やかなイメージとして記憶している。俺が走れるとしたら捨てられるとしたらそれはきっと最近さぼっている執筆においてだろうから『気分を出してもう一度』いや、気分を出させるのは何度目だ?回転、回転。