ワタシアドベンチャ

バグルスのセカンドアルバムが再販されることを知って、初めてCDの予約というものをした。以前日記に書いたこともあるが、プレミアがついており、ムカついて買わないうちに店頭から姿を消してしまった幻の(ちょこっと多く出せば、アマゾンで昔のも買えるけどね!)アルバムだ。それがボーナストラック付きで安く手に入るなんて! つーか外国よりもCDが1000円近く高い日本はどうかしていると思う。それがアーティストに還元しているとは思えないのだけれど、どうなんだ。CDの売り上げ伸びないからってDVD付けて信者やファンからむしろうとするのはどうかと思う。

 一枚しか持っていないバグルスのアルバムは大好きで何度も聞いている。攻撃的でノスタルジックなシンセサイザーの80’sエレクトロサウンドは、80年代生まれの俺にとってレトロフューチャーではなくフューチャーそのものに感じられた。冷たいような温かいような、そんな未来。ポップで、でもなんだかそっけない、未来。

 その予約したアルバムについて、以前(趣味で)音楽をしていた先輩に「セカンドはよくないよ」と言われたことがある。その人の音楽の趣味は信頼していたし、好みも似ていた。多分無理して店頭の(プチ)プレミアCDを買わなかったのも、先輩の言葉が影響しているかもしれない。でも、多分それよりも、他にも素晴らしすぎるCDが山ほどあるのだから、無理して買わなくてもいいや、と思ったはずなのだ。恐ろしいことに当然のことだけど、一生かけても、たとえ大金持ちでも、聞ききれない程の音楽が溢れているのだ。たまにそのことに思いを馳せると、幸福を実感できていない、ような気分になる。言葉からは遠く離れた領域での幸福に俺は戸惑うし、歓喜もする。

 発売日に届いたCDは、俺の気分で手を触れられず、数日置いてから聞いてみた。そこにあったのはバグルスの音楽だったけれど、やはり、というかファーストとは別物だった。好きか嫌いかといったら当然好きなのだけれど、繰り返し聞いたファーストを再度耳にした方が新鮮さを感じられるような気になった。もしかしたらこれも繰り返し聞いたら良さにきづくのだろうか。そんなことよりもCD買ってる場合なのか。場合なんだ。

 友達になりたいな、と思って何度か日記を見ていた人がいつのまにか退会していた。その人は何だか「退会しそう」で、「退会しそう」な所が魅力的でもあったけれど、やはり寂しかった。安堵感やひんやりとした気分よりも、後悔は勝った。これに比べたらCDの出費なんて塵芥の類だ。後悔するくらいならせめて一声かけるべきだ、とまでは思わなかったけれど。他人を変えられると思うほどの何かを持ってはいないし、実生活の俺も前置きなしに、前置きをしないように切ったり、いなくなる方だから。それが俺の処世術で、それが恩知らずだとは、どうしても思えない。

 小学校のころ、席替えで隣に座った子にばっかり恋をしたんだ

 と以前友人が言っていた。可愛らしく、素敵な感覚だと思う。この言葉を、友人のはにかみを想起しながら、綺麗なことについて考えなくちゃと思う。し、手を伸ばさなければとも思う。お菓子が主食でCDとか本とか服とかを馬鹿みたいに買っていたことは、きっと幸福なことだと思う。スイート、スイーツで生きているようなふりをして、ふりをしなくちゃ、喰われてしまうからワタシモ『Adventure in modern recording』を。