僕の好きなカレー

 小説をとりあえず書き終え、ぼんやりとしていた。こっから直したりするのは面倒くさいのだか、そのまま放っておくこともできない。のろのろと、何度か読みなおし、また、仕事も探す。仕事は、探すだけ。

 何だか気が抜けていた。小説を片づけなきゃって、逃避の言い訳ができたのだが、これからは真面目に、卑屈に、人並みに、

 で、特に理由もなく、ネットを見ていて、何故か普段全く目にしない、エンタメ小説、というか、ライトノベルの賞の締め切りが近いことを知った。しかも、短編はワード文章換算で、2、30枚でいいという。何故だか書こう、と思った。また締め切りが来てくれたら、その分仕事を探さなくてもいいから。

 そして数時間でストーリーの終わりまで考える。魔法を信じない少年の元に、日本人の男の子はその格好が好きだからと、ミニスカニーソックスで刀を持ったバンパイアが現れて「あの、ちゅっちゅしてもいいですか?」と尋ねる。萌え? いや、馬鹿。俺が。 

 頭を使わず、いや、一部分しか使っていないそんなイメージで、すらすらとストーリーが流れて行く。初日で、ワード10ページ、そして、俺は三日で完成させた。普段文章を書く時の何倍の速さなんだ?少し前に糾弾した、あの単語ぶつ切り行数稼ぎにすら見える「表現」をしなくても、どんどん書ける。いや、息の短さは意識したけど、それでも、長いかは分からない。というか、どういうものかも分からない。だって、ライトノベルを「ネットで(表紙とかを)見た」のではなく「読んだ」のは何年前? というかその類のファンタジー小説を読んだのは中学校までだった。さっぱり分からないから、テスト前に全く勉強をしなかったように、不安がなく、何も分からずに、楽しく書く。やっつけ、萌えの真似事ライトノベル

 今までライトノベル、という形式はおろか、エンターテイメント性を明確に意識して何かを作ったことはなかった。例えば、純文学とエンタメ、大衆小説との違いは、どちらが上か下か、ということではない。読者に読んでもらおうとしているか、読者は挑戦を受けるのか、という違いにあるのだ。

 大衆小説は分かりにくい表現を使わない。どこかで見たような人がどこかで見たような「物語」を行う。しかし純文学は挑戦をする。前もって専門的な知識や読書量が必要だったり、やたら読みにくかったり何度も読むことを強制したり。競技種目と路地裏の喧嘩のような違いだ。リングの上の人をみたいか、騙しあい殴り合いを見たいか。また、どちらに参加したいか。

 リングに上がる、ということはルールに従うということだ。そして、その先には喝さいがあったり、共感を得られやすい、かもしれない。でも、自由にやることの方がずっと大切だと、暴力的な挑戦を見たり、したりしている方がずっと刺激的だと感じていた。

 でも、その萌えの真似事ノベルを書いている間、俺はアニメを垂れ流しで見ているような幸福感に浸っていた。数ヶ月前の無職時代、中学時代に見た『無限のリヴァイアス』というSF『蝿の王』をずっと見ていた。テレビ東京の六時(半?)からの放送なのに、一応レイプとか精神崩壊とかが含まれた、割とショッキング、というか狙っている、というか、そういうアニメで、楽しく見ることができた。

 また、エンターテイメントにおける重要な要素として、感情移入という要素があげられる。エンタメにおいて恋愛が軸になっているのは、感情移入が多くの人にとってはし易いから。そして、俺の好きな多くの作品は、俺を突き放す、一方的な敬意、友好で駆け寄ろうとしても、その亡霊だけを追っているのだと、マゾヒスティックな(本来は違うけれど)遅延を続けることを可能とする、彼ら。ジャコメッティの初期の彫刻作品で、統合しようとする視線を全身で拒否するような『キューブ』或いは『類推の山』の(作者の死によって中絶が約束された)頂き。エンタメは「好き」と言って心を開いてくれるが、罵倒したりシカトしたりはしてくれない。繰り返すが、マゾヒスティックな望みではなく、その寒気がするようなことの可能性が、予め奪われていることが残念なのだ。

 でも、俺はエンタメを書いて面白かった。感情移入、魅力的(だと自分には思える)なキャラクターの踊り。『リヴァイアス』をぶっ続けで、寝そべりながら瞳に映していたように、幸福だった。稲妻も罵声も眩暈もない、けれど、楽しかった。誰かに受け入れてもらおうとすることが恥ずかしいこととイコールではなかった。誰かに贈り物をする、ことも中には含まれていた。

 いや、それはよりもやっぱり、現実逃避の為に長編漫画、アニメをずっと読んでいたい、という気持ちは大きかった。でも、自分でやればいいじゃん、ライトなノベルで、ということを思いついたのだ。

 続いて長編も書こうと思った。書けると思った。じっとしていたくなんてなかった。憎たらしい仕事も執筆も終わって、このままでは嫌だった。俺は自分で作ったキャラクターに、甘えるのだ。

 10人の高校生の少年少女が、ある日大講堂に集められる。天からガブリエルは現れ、告げる、新しい神人を孕む為、東京で十日間闘争を行えと。そして、少年少女は内なる力に目覚める(!)

 主人公は「終わらない物語(!)」を望む少年。「鏡像投射」の能力を持つ(ラカン詳しくないし、別に好きでもないけど、感情移入の材料としてはすごく魅惑的だね!)。
 
 大企業の社長の一人息子、生意気な眼鏡君は「情報狂人」<ビブリオマニア>の能力で、神や悪魔のいる新しい世界のデータベースへのアクセス権を得る(あずませんせーにアイデアもらってんじゃねーか! でもアカシックレコードとか言うのはさすがに、はずかしくって、サービス精神ないっすか?)

 天使の試練よりも恋愛の方が大事な(女の子の好きなメイクや服装をだらだら記述することは慎みました。普段なら重要な要素だと思っても、それってエンタメ?)少女は「浄化」で負の力を、見たくない状況を除去。

 他人が怖い少女は人間を人形にする能力「自動人形」<プラスチック・メイデン>(あ、これらの痛い名前となんちゃって英語がきちんとした訳でないのは仕様です。バグは仕様です)

 金髪のシドみたいな少年は、詩人の本を燃やして、その詩を奇跡として再現する(燃やした人は二度と使えない)「花弁(本って花弁のあつまりでしょ?)炎輪」<ペトゥル・リヴァイヴ>

 銀髪の自信過剰で破壊破滅衝動に身を任せる(ごめんなさい、はずかしいです、楽しいです)少年は、指先に触れたもの「ほぼ」全てを灰に変える「死灰遊戯(ジャッキーファンごめんなさい)」<アシェン・パウダー>

 両親の離婚。コインロッカーベイビー。飲めないウイスキーの小瓶を持ち歩く少年。データベースを改竄する天使。親友の裏切りと誘惑。繰り返されていた10日間。神様は下品。

 といった、どこかで見たことがあるような、わくわく! 展開でお送りします! 
 
 てか、正直に言いまして、詩人の本、花弁の集まりを燃やして奇跡を起こすって、「超カッコイイ」と思いました。マジやばくね?『惡の華』燃やして、病める花々捧げたいっす! 

 そんなこんなで二日で40ページも書けた。ガチでキャラクターばかりの生活だった。で、忘れていた小説をどうにかしなきゃ、と思った。一応最後にもう一度見て、印刷。最初に書いたなんちゃってのも、なんかどうでもよくなっていたけど(書いてまだ3日たってないんすけど)一応印刷。

 応募要項を記入し終えて、見てみると、題名が「萌え萌えな」感じので、年齢が25歳で、現職無職。ははははっはははははははははははははははは!!

「萌えはいいから仕事探せって!!!! マジで!」

 声を出して、久しぶりに笑った。

 昼にカレーを食べた、吐いた。少し寝た。

 神様とかへの帰依でなく感情移入、それが続いていくわけではないけれど、今はこのままで甘ったれ。カレーは当分食べません。