ボクシゴト

相変わらずの日々の中で、お金のことを考え小麦粉こねこねしていたのだけれど、ふと気がゆるむと「なんで小麦粉なんてくわねばならねえんだよ」と思い、消費欲に駆られ向かった近所の古本屋、で適当に漫画を馬鹿買いしてみれば、その中にアタリが一冊、ヤマシタトモコの『恋の心に黒い羽』という短編集。

 読み終わった後で調べてみると、BLで活躍しているわりかし有名な方らしい。その本の最初の短編が特に良かった。両親を亡くして二人きりで暮らす、アラサー(恥ずかしいが、便利な言葉だ)の化粧っ毛のないひっつめ髪の姉と友達の少ない高校生の弟。どんな喧嘩をしても「おはよう」「おやすみ」と必ず言うのが、二人きりの家族のルール。

 そんな弟が連れてきたチャライ男、に告白している場面を目にしてしまう姉。自分よりも半分しか生きていない、息子のような弟が、本当にゲイなのかと心配しながらも、どうみてもゲイっぽくないチャライ男に思いは伝わらないだろうと、確信して姉は何度も思う。

「ばかな子!」

 付き合っているはずがないのに、何度も家に来るチャラい男。隠しきってくれない、二人の微妙な関係。友情でも愛情でもないことを姉は勘づき、苛立つ「ばかな子!」。姉は煮え切らない思いのまま、弟の学校へ保護者面談行く。そして偶然、チャライ男が弟とすれ違いざまに悪友に促され、「あーホモくせえ」と罵倒する場面を目撃する。それに行動を起こそうとする姉を見つけ、弟は「自分が好きなのが悪いから」と泣いて姉の邪魔をする。去っていくチャライ男が姉には「罪悪感に顔を歪めている」ように見える。か細い何かで繋がっている「ばか」な三人。は、何だか愛おしい。

 女性の視点でのBL漫画って俺は初めて見たけれど、珍しいものなのだろうか?多分BLというジャンルで描く人は大体女性だと思うのだが、女性が触れられない、自分が疎外されたことを前提とする、しかし感情を抱いている関係性に対する積極的な介入は、複雑な感情が見え隠れするようで興味深かった。俺も疎外されていることを意識するから。被害者意識が高いってわけでもなく、誰でも様々なものから疎外されている。意地汚い俺は色んなことをいいな、と思い、また、嫉妬をしない。
 
 あと表題作の「恋の心に黒い羽根」も良かった。ケーキ店で働く乱歩や大江が好きな主人公は、純粋に職場の口の悪いメガネ君が好き、なのだが、主人公はドMなので、告白する時に「君に輪切りにされたい」と告げてしまう。職場の笑い話にもなっている、主人公の変態的な欲求を罵声でかわしながらも、口の悪いメガネ君は困惑をして、とうとう告げる
「ホモじゃないから性欲を押し付けられても身体は動かない
 けれど感情を見せてくれたら心は動いたかもしれないのに」
 と口汚く。それに対して主人公は「素で好きだなんて言えない」とたどたどしく口にする。「だって君は僕のことを好きにならないんだもの」。

 こっちはコメディタッチの落ちがついているのだが、短編で良くまとまっているなーと思った。

 で、俺が褒めっぱなしなわけがなく、気になったのが絵が、俺は好きな絵柄なんだけれど(線の薄く顎が長くない系のやや写実系の絵。てか絵柄が好きじゃないとジャケ買いしませんが)、たまに青年キャラの描き分けができてなくて(後で別の本を立ち読みしたときもそう思った)、おまけに、たまに顔とかのデッサンが変な時があって(写実的だから目立つのだ)しかも、というかやっぱりというか、女性漫画家お得意の背景の描きこみをせずに(しかもというか当然というか、書き込みの少なさが安野モヨコ多田由美のような勢いのある或いはスタイリッシュな魅力に繋がっていない)「心象風景トーン処理」は「漫画的表現」としてはやや陳腐というか、「漫画」としてのわくわく感はあまりなかった。

 のだけれど、このグダグダしているようなコメディのような作品の雰囲気は好きで、この漫画家の大きな魅力だと思う。

 ところで、恋人ではない相手に「輪切りにされたい」というようなことを言った/言われた経験はあるだろうか?大半の人がないと思うけれど、(こんな文章をあまり飛ばさずにここまで読んでしまったあなたのような層の一部には)割とそういった言葉に対する需要はあるように思う。そう、俺も以前、相手からのみの好意を受け、これに類することを言われたことがある。こんな所にわざわざ書く俺も品の無い、お寒い話。でも、これが例えば、そこそこ好意的に思っている人、友人とかならどうだろうか?俺はできれば力になりたいと思うのだけれど。

「輪切りは日常生活に支障が出るから(てか死ぬだろ)別の暴力じゃ駄目?」とか?いや、実際はそう簡単にはいかない。相手を暴力関係の共犯者に仕立て上げることに、欲望のゲームなしでは成立しない。ただ殴るだけならば、たまにご飯を奢るみたくしてもいいけれど、「おごってよ」「おごってもらって当然だよ」と友人知人に目をギラギラされていると醒めてしまうだろう。「甘く打って」なんて、俺はお前の恋人じゃねえんだよ。

 そこで、ただ殴るだけのサービス業はどうだろうか。風俗系のサービスはなしで、出来れば契約だけ交わして、基本的には喋らずにただ殴られる。出張サービスもあり。○月×日に何度か殴って下さい。それか、部屋の中の家具とかゴミとかとして扱われるとか。一時間2、3000円(出張費抜き)で。こんなものでもニーズはある。そう思うのは、俺がもう少し収入があって、こういうサービスがあったら、行ったことはないけれど気になる「ゲルマニウム温浴」「足つぼマッサージ」のようなものとして視野に入るだろうから。糞みたいな人間関係にじわじわと蝕まれながらも、この後で意味もなく殴られるのだと思えば、乗り越えられる日があったのではないだろうか。暴力みたいなものや愛情みたいなものであったとしても、他人に見せたくない、自慰の道具のようなフェイクであっても、楽になってしまうことは多数あるだろう。

 もしこの商売を行うならば、店の方針と共に店長、施術者(!)のブログがあるといい。ブログを読むことで、その人がどういう人か大体分かる。こういうものを求めるお客様は注文が多く、臆病で、生理的に無理な人の「カウンセリング」を受けたいとは思わないだろう。「甘く打って」の、ゲロみたいに甘い世界だ。しかし金が介在していると考えると、ブラボー! モンキービジネス!

 無職だから仕事したいです、でも受かりません、じゃあ自分でやればいじゃん、ぼく人殴って金もらう仕事するよ!
 
 阿呆か。でも俺の生きているところも似たり寄ったりで、おあいこ