タカ君

 家にばかりこもっていたから、新宿に出る。特に用があるわけでもなく、とにかく家にいるのが嫌になっただけなのだが、何時間もふらふらしていれば惰性で帰宅する気になってくる、のだが、暗くなりかけた街で見つける知った顔。

「あ」と向こうも気がついたらしく、お互いに「えーまじなんでいんのてかひさしぶりじゃねうわすげなんねんぶりたよ」と若者の大げさな社交辞令、を交わしながら向こうから食事に誘われ、親しいわけではないのだが懐かしい声に甘える。

 友人には連れがいた。茶髪の髪を斜めに流し、ややお兄系入っているその顔に見覚えはない。友人はそのお兄系を俺に紹介しようとはせず、三人で安い店へ。

 タカくん、と友人が読んでいた。友人は何故か、俺にばかり話しかけてくる。俺はタカ君に話しかけようとしたが、何を話したらいいのかが分からない。会ったばかりのタカ君が、何を考えているのか分からない、けれど、大したことを考えているわけではないだろう。大したことじゃない奇妙な会食。

 話がないとはいっても、それはこの友人とだって同じ。共通の友人知人の話と大げさな社交辞令、それと近況報告が終われば、不味い飯に似合いの味気ない会話が残るだけ。友人とタカ君は煙草を吸う。俺は口をふさぐための煙草を持っていない。

 いつ帰ろうか、と思いつつも、この居心地の悪さは家にいてもさほど変わらず、次に会うのは何年後になるだろうと、アドレスを知らない友人を盗み見ていると、突然、財布から千円札を数枚取り出しテーブルに置き、「じゃあ悪いけどこれで先に失礼」と言う。

「あーさっき電話してたなー」と思い出しながら、引き留めることも解散を促すこともできず、汚い大皿の下の紙幣をぼんやり眺める。こんなやつだったっけ、こんなやつだったかもしれない、いや、俺は去って行った人のことを全然知らない。

 苦笑いを浮かべる俺にタカ君は尋ねた。
「仕事なにしてましたっけ?」
「あれ?さっき言わなかったっけ?無職だよ。無職。イヤーマジやばいね! タカ君は?」と明るく口にする俺にタカ君は、
「俺、売りやってるんすよ」
「え、ホスト?」と勘違いしたふりをする俺は、タカ君の顔立ちをしっかりと見る。美男子ではないが、好感のもてる、職場の人気者といった風の。とはいえ、じっと見ると、大抵の人は、好感の持てる、ありふれた顔。

 タカ君は嬉しそうな声で言う。

「あーホストも二十歳の時やりましたけど、マジきついっすよ。超体育会系で、一か月持ちませんでしたもん」

 でも、一日で仕事を辞めまくった俺に比べたら「マジカックイイ」っす、と思ったが黙る。黙っていると、タカ君が話を始めてくれる。

 「身体使ってんすよ。てか、マジ俺も23なんで、もうジジイっすけど。未だカードの借金とかあるし」
「俺もーすぐ26だよ。てか、すげーな、23でジジイかー。シビアだなー」
 
 タカ君は困ったように笑う。俺がよくするみたく。

「スゲー余計なお世話だけどさ、利息とか超つくシステムになってるからさ、親に頭下げて全額出してもらって、親に返した方がいいんじゃない?」
「あー俺親いないも同然なんで無理っすねー」
 
 不用意な発言をした、とは思わなかった。俺が少し、口をとざしていると、また、タカ君から話しかけてくる。さっき喋らなかったのはどういうことだろう。その姿は、享楽的でおしゃべりでお洒落も好きな、メディアに登場する若者、のよう。俺も。それでいいしそれがいいな。

 西村賢太の小説で、風俗に勤める女性は大体、原因はショッピング・ローンや学費、前職や勉強中なのが看護、美容師、とかいった定型句を告げると言う。名前は失念したが、アダルト・ヴィデオの監督が、「ビデオに出る女の子に自己紹介を語ってもらうと、大体自分の思い浮かべる嬢の演技をしてくる」と言っていたことを思い出す。繰り返される拙い演技、それを思い浮かべると、頭の中にノイズミュージックが鳴るように、心地よい。

 タカ君は月に20万位かせぐ、と言った。仕事熱心そうではないタカ君が週何度の勤務か、これが多いか少ないか、タカ君が嘘をついているかも、分からない。とりあえず、本心から、

「へーそりゃすげーな」
「大丈夫っすよ。ネロ(仮名)さんもいけますって、紹介しましょうか?」

 さっき23でジジイって言ったじゃーん、てか骨と皮の俺に向かって良く言えるなー。こういう無神経な所、俺は割と好きだ。てか、単純に紹介料とか入るのかな、と思っていると、タカ君が言う。

「てか、マジ金困ったら、掲示板にサポお願いしますって書けば大丈夫っすよ」
 
 サポって何だ、と思ったが、すぐに「サポート」だと気づく。勉強になりますね。一回きりなら、相手に「ハズレ」だと思われてもその場だけだし、気が楽でいいね、月何度で生活できるんだろう、とその場で計算を始めた俺は浅ましい。でも、仕事の総時間が短いのだと思えば、気はだいぶ楽になる。

 饒舌になっているタカ君だったけれど、仕事はあと数カ月で辞めたいらしい。そしてアパレル系で働きたいそうだ。俺はアパレル系に勤めている友人の、激務の話をすると、「マジっすか」と声をあげた。マジらしいです。結局のところ、どこ行っても駄目らしい、のはタカ君だけではなく、俺も。

 大げさに天を仰いだすぐ後で、タカ君はセコイ犯罪自慢を嬉しそうに語り、「あー何か楽して金儲けられないっすかね」とこぼす。俺とは違うやり方で、俺みたいで面白いから突っ込む。いやらしい微笑を浮かべる俺に、タカ君は不満そうにいった。

「てか、マジやんないっすか?向いてますよ。ヨナさん親切だし、ドMじゃないっすか」

「向いていて」「親切だから、ドM」なんだって。俺が笑う。タカ君の話はむちゃくちゃで、でも、当てずっぽうの占いの結果に自分を重ねてしまうことがあるように、その出鱈目が自嘲に似た作用を引き起こし、胸に刺さる。

「俺、悲しいのとか、そういうの嫌だよ」

 タカ君は答えてくれない。代わりに、別の下らない話題を振ってくれる。そう、他人の感傷なんかに目を留めないタカ君は、その分俺よりも仕事に向いている。俺はタカ君よりも狡賢いから、その分、仕事に向いている。

「俺結構新宿いるんで、また会ったら飯でも食いましょう」

 そう言ってタカ君と別れる。番号を交換せずに、どの位でお互いの顔を忘れるのだろう、と感傷に浸っている姿は、「俺、悲しいのとか、そういうの嫌」だとはとうてい思えず、自分が「親切だから、ドM」だと勘違いしてしまいそうだったけれど、やっぱり俺「仕事」には「向いていない」と思うよタカ君。