アイムビギニングトゥーシィーザライトなんて聞いちゃって

十分に眠れない日が続き、色々と調子が良くないのだけれど、買い物に出かける。そんな時には明るい服なんて着たくはないから、ナンバーナインのシャツにダメージジーンズと履きつぶしたスニーカー、という洋服よりもカートが好きっす、みたいな恰好で、ビートルズファンじゃないのにビートルズみたいな頭で、友人に「もうちょっとちゃんとしたら」と言われる。はい。いつか、ちゃんとします。

 体調がすぐれないのだけれど、服屋を巡り、洋服を着こなしている人を見ているうちに、少しづつ気分が良くなってくる。いい空気だ、森林浴だ、と思いつつ、友人が熱心な店員相手に次々と試着を始めてしまい外で待つことにする。
 
 だるい、眠い、疲れた、と感じてはいるものの、ガードレールに腰かけ眺める、原宿の雑踏は心地よかった。不意に、奥歯が痛みだし、歯医者での治療が頭をよぎるが、今は、どうでもよくなっていた。雑踏が心地よいなんて、素晴らしいことだ。入ったことのない店から音楽が漏れ、好きなJackson sisters 『Miracles』のリミックスが流れてきた。

 I believe in miracles
I believe in miracles
I believe in miracles
Don't you

 俺もそう思うそれがいいと思う Don't you?

 今待っているのとは別の友人で、高校時代頻繁に服を買いに行く友人がいた。スターウォーズバックトゥーザフューチャーが好きで、AKIRASTUDIO4℃が好きで、ネイバーやダブルタップスやサイラスやシュプリームが好きなT君は、俺が全く似合わないリュックサックが似合う、俺とは正反対、といってもいい趣味の男の子だった。

 SFが好きだというのは、何だか、「健康的な男の子っぽい」イメージがある。T君と知り合いになる前からそう感じていた。「SF」って、進歩的なイメージがある。(都合)良くなっていく、わくわくする未来。俺は後ろ向きではない、と思うが何かが進んでいっている進んでいいくのだ、という意識には欠けていて、そういう健康的な人に惹かれ、また少し苦手意識も抱いていた。

「俺、実は結構暗いんだよね」とある時口に出していた、社交的なT君。二人でショップの店員になろう、とか、デザインの勉強しよう、とか、とりとめのないことを話した。でも、俺は「ファッション」の道を選ばなかった。

 ファッションの道を選ぶということは、積極的に人と多く関わり続けるということを、その頃の俺はうすうすだが、感じ取っていた。これはファッションだけの話ではない。でも、毎日ニコニコしている位なら、そんな日々はいらなかった。楽しいストレス。人には向き不向きというものがある、けれど、俺よりはるかに要領のいいT君に、無神経だ、と感じることもしばしばあった。それが、健康的ということだ。俺が欲しくても手に入らない、いや、欲しいのかも良く分からない健康。俺だって健康的な時期はあって、充実した気分になったりもするけれど、たまに違和感に襲われる、まるで俺は真昼に迷い込んだ蛾のようじゃないか。

 高校卒業後、T君とは次第に連絡をとらなくなり、今では完全に縁が切れてしまった。ファッション業界に入ったり、デザイナーとかになったりしているのだろうか?

 選ばなかった多くの事柄について、たまに思いを巡らせる。誤った、と思える選択を重ねてきてはいるけれど、これは後悔よりもずっと、内省に近い。今の俺は毎日のように、ファッションや、その他多くのことについて考えていない。それを恥ずかしいとは思えない。

 けれど、好きなことばかり、と錯覚できるほうが、ずっとかっこいいように思う。かっこいいのが好きだ、洋服を組み合わせて、ゲームに参加しよう、映画を鑑賞した後で、現実に放りだされよう、音楽を聴いて、音素と音節の関係に酔いしれよう、色を見て欲情しよう、俺は、選ばなかった多くの物をもっと、大事にしなければならないと思う好きだと、思う。好きだ好きだよ、と思うと気持ちが悪いのだけれど、それも、あれも、どうでもよくなってくる。そういうのが好きだ。

 渋谷の公園に人が集まり、デモの準備をしていた。服屋に入ると四つ打ちのダンスミュージックが流れる。しばらく店内にいると、それに拡声器からの声が混ざる。

「○○は△△を××せよ」
「○○は△△を××せよ」

 という繰り返される掛け声がダンスミュージックのリミックスみたいで、気分が良かった。服を二着、CDを5枚買って帰宅した。