戦場で肌を見せ

 日本産のRPGとか漫画とかではミニスカートの女の子やホストみたいな男の子が大きな武器(能力)を振り回して巨大な敵を倒す、みたいなのが恐ろしく出まくっている。しかも不自然に肌を露出している服ばかりで、制作者が男だからか、俺が目にするのが購買層が男市場だからか女の子の服装の方がヤバいのが多い気がする(というか、女性より男性の方が肉体に関する欲望が直接的な気がするのだけど)、が、最近では男の子のおへそが見えているのだってある。男女平等ですね!

 洋物万歳の人から揶揄されたりするけれど、その洋物も筋肉過剰で亀みたいな身体のケツ顎おっさんばっかりでいい勝負。どっちもファンタジー。ファンタジー万歳。

 俺としては以前、ムキムキ全身タイツの「キャプテン・アメリカ」が人気キャラクターだったことに驚いた。日本だったら、坊主頭で褌、或いは軍服の「神風太郎」みたいなのが人気だったってことでしょ? いやーアメリカすごいね! 

 雑誌のストリート・スナップで外国の様子も載っている時がある。それを見るたびに、男の子でも女の子でも「日本(人)って可愛いなあ」と思う。意図的に切り取られた一面の印象ではなくて、他の文化も含め、なんだか日本の多くの人達が「かわいい」ような気がしてくる。

 俺はラップやヒップホップに詳しくないのだけれど、日本のそれを聴くと、ちょっときついなあ、と思うことがしばしば。向こうがガチで「わるいひと」だったり、単純な音の重さで比べると、洋楽のまねっこみたいに思えてしまう。ぶっ殺す、かかってこいよクズ、テメえらザコ俺最高、みたいな気迫と傲慢さが足りないように思える。

 だったらリップやm-flowみたいな可愛い感じの方が、耳になじむ(m-flowもlovesの前とかは特に、批判とか、「ヒップホップ的な」歌詞があるけどポップだったからきける)。可愛い日本人には、それが合っている、ように思える。

 洋楽の、ちょっと陰気な少年が好きなロックって結構社会批判のメッセージが含まれているのだけれど、日本で「ぬるいラブアンドピース系じゃないの」誰かいるか、と自問してもすぐには出てこず、頭脳警察? とか? 日本では社会に対峙するエネルギーよりも「かなしい」或いは「どうでもいい」の方が優勢で、多分俺が見ている風景のせいもあるけれど、日本って「かわいい」と「かなしい」(「どうでもいい」)で出来ているような気がしてくる。

 椎名林檎名義の新しいアルバムを聴きながら、近田春夫がデビューしたばかりのaikoと林檎を「音に対する言葉の載せかたが似ている」と発言していて、そういえばどっちもいい「Jポップ」シンガーだなあ、という思いを強くする。林檎がそつのない、そこそこの、アルバムを作るようになってから、デビュー当時から好きだったファンの面倒くさい心境、をたまに持て余しながらも、惰性ではあってもその中から数曲つまみ食いをしながら聴いていたけれど、思えば俺はaikoのアルバムも同じようにつまみ食いをしていて、二人とも「日本の代表的Jポップシンガー」であるだろうし、可愛くて恥ずかしくなっちゃう歌詞も書くし、俺にとっても大切な「アーティスト」だな、

 と思いながら繰り返し再生しながら惰性で読み飛ばす高橋源一郎のエッセイ、や文章を目にすると必ず、と言っていいほど(元々彼のファンではないので、たまにしかよまないので)蘇る福田和也の高橋への短評。

「現在、高橋源一郎の作品を読むほどに痛ましいことがあり得るだろうか。かつて燦然たる輝きを放った作を世に問いながらも、あまりにも早すぎる自己模倣への後退と、その後の惨憺たる文化人的活動」

 が嫌な気分をもよおすのは、で、言ってるてめえはどうなの? と思いつつも、その言葉が自分にも、便所での小便の飛沫のように返ってくるからで、自分のことは棚に上げつつも「本気でそう思うならそいつにガチで向き合ってみろよ」と思いが湧くがこの思いが『タクシードライバー』のトラヴィスの若き娼婦への説教のように間抜けで、しかも、俺のこのもどかしさにはトラヴィスのようなまっすぐな怒りがないからで、(彼は仕事をしているのだ、けれどそれが彼の選択した仕事なのかって、でも単にこれは仕事の一つだろ、と長々)、なくて「当たり前」だとこの件に関してはそれでもいいのだが、「かなしい」と「かわいい(反転したマッチョ)」に「おとなの自己愛」が加わった人を見るのは、やっぱ「かなしい」っす。「優良企業」ってホモソーシャルホモフォビアで出来ているのか?かっこわるくね? 恒常性ばかを愛人にしてる人ばっかりだったら「かなしい」

 けれど、かなしいばかりで生活が成り立つわけでもなく、また、誰かを書きたい時に俺の思う日本の「かなしい」「かわいい」コードに因らない人物だって必要で、かっこいい死人達が与えてくれるイメージは素敵なものだけれど、肌を露出して怒る、というのが現代日本のスタイルなのでは、と思いまた、トランス・ペアレントで少しボディ・コンシャスでミニマルな恰好が「かわいい」「かなしい」日本人の戦闘服に相応しいように感じる。

 かわいいとかかなしいとかのことばかり考えていて、かっこいいことについても考えなきゃと思う。かっこいいのも好きだ。かっこいいかな、って思えなきゃなあ、と思っているうちがましなのだと。