六道コンテンポラリーズラ

爽やかな気分というものに遠い生活をしているのだけれど、エドゥアール・デュジャルダンの『もう森へなんか行かない』を読み爽やかな、晴れやかな気分に少しなり、今から見れば別に新しくは感じない内的独白、なんていう形式というよりもその跳ねるような散文詩のようなリズムが、暑い日にでも、俺の瞳に優しい。

 やっぱ暑い時に文字なんて読んでいる場合ではないからシャーロット・コットン『現代写真論 コンテンポラリーアートとしての写真のゆくえ』を読んだのだが、これがとてもよかった。世界の現代アーティストによる作品が243点も載っているのだ。これだけでも十分素晴らしい。「きょーかしょに載ってそう」な有名な人の名前はちょこちょこ出るが、彼らの図版は基本的に載ってない。あくまで現代のアーティストに焦点を当て、彼らを評価するのではなく、著者はこの本が「それは一つの実地調査」なのだという。この本は写真に興味がある人に対して素晴らしいガイドとなってくれるだろう。

 ちなみに俺はその若いアーティスト達の中の一割程度しか(名前だけでも)知らず、いかに自分が写真に関心が薄いのか、と思ったが、逆に、「写真史に刻まれた有名人」を除いて、写真家の名前と作品が一致するのが百人以上いるとか、同業者や関係者以外にいるか? とも思った。ははは。

 皆そうだと思うのだが、外国人の名前を覚えるのが苦手だ。展示で多くの作品を見て、目にとまった作品も、帰路に着くころには作品の題名は覚えていても肝心の作者の名前は忘れてしまう。だって一人だけが記憶に残るわけないし、それはそれで不幸だし、てかこの本だって、200以上の作品があったら、十や二十や三十は気になる作家が出てきたら、けれど大大好き位じゃないと、一週間後にはすっかり忘れてしまう。だから俺は忘れたくない時は何度もその名前を心の中で繰り返し呼び、外なら携帯でメモ、家でノートに書く、ということをしていても、忘れる時は忘れる。恐ろしいことに。恐ろしいこと、だけれど、また繰り返す気力があるならば、それはそれで楽しいことで、それに、忘れてばかりもいられないのだから。

 この本で「ここ十年は多くの写真がギャラリーでの展示に向けて作られている。その中でも最も顕著な、おそらく最もよく使用されるスタイルが、無表情<デッドパン>の美学に基づくスタイル、すなわち、クールで、超然としていて、鋭敏な感じの写真スタイルである」という箇所に、俺は溜飲が下がる思いがあった。そうだ、彼らは、何だか俺を退屈させる写真達だ。一応著者はその無表情も写真家によって色々な意図をもって撮られていて(当たり前ですが)好意的に評価していて、俺がどうか、と思うキャプションによって自立できる写真についても、同様の態度をとっている。

 この著者の立場をもう一度記しておくと、読者に向けてギャラリーの扉を開く役割をしているのだ。全八章で構成されているこの本では、一つの主題を掲げ、それに近い作家の作品を集め、記録するのではなく、提示している。我々に向かって。本文の末尾で作者はこう語っている。

「―写真の過去に対する私たちのフィジカルでマテリアルな理解を言い換え、コンテンポラリーアートとしての写真のボキャブラリーを拡大し続けている。写真を作ることにはどんな意味があるのか。その問いに対する様々な活動の仕方や考え方を、彼らは示してくれるのだ」

 色々な写真家に触れる、すると写真は一瞬で了解できる。了解できない写真は俺にとっては必要がない写真だ。そう言いきってもいいだろう。色々あるぜ、すぐ終わるぜ、と言われたら、まあ、その声にのってもいい、のるべきだろう。美しいカタログが手元にあるなんて、幸福なことだ。

 その中でも特に俺が気になった人達を、なるべく短い紹介で列挙する。

デヴィッド・スペロ『ライファイエット・ストリート』控えめでキュートな草間的風景への「水玉」アプローチ

ジェフ・ウォール『不眠』ルネサンス絵画のような派手な加工。それを巨大なライトボックスに載せて展示

リュック・ドライエ『カブールロード』オルナンの埋葬を思わせる構図の構想の、戦場における名もなき死者の周りに集まる、不自然な人々、美しい背景

ジアー・ガフィック『身元調査』虐殺されたイスラム教徒の、黄、銅、黒い遺体を、モスクの裏で白い布の上に。フェンスには生活感の漂う干されたカーペット、そして広がる街並み

伊島薫『#302オーレはポール&ジョーを着る』モデルとブランドの、死体が投げ出されている様子を、官能的に、ファッション写真的に、ユーモラスに軽薄に

 例によってこの本は図書館で借りたのだが、やっぱ欲しいなあ、とアマゾネス先生を見れば、ことしの5月に出たのに、なぜか販売価格が中古で定価の倍の5000越え、とかいうなめてる事態に。てか、マジで値段を無意味に釣り上げてる人間は全員六道輪廻だよマジで(リボーン)! だって出版社に在庫あるでしょ(とか出たばっかで明らかに再販するのとかでもこういうことになってんの)。やっぱ世の中金だズラ、ふーたろー君気分になった、というか働かなきゃ、欲しいもの一つ手に入らないのだ、と、当たり前の事を何度でも思う。でも、この本に限らず、とにかく簡単に触れられるようには、そういう状態に自分を持っていくべきだとは思うズラ。色々あって、色々楽しいんだからねえ?