プレゼント

大量にネットでCDやらDVDやらをレンタルしている。今日も新しいのを借りようとすると、画面に「一度にレンタル出来る枚数は16枚までです」という赤文字で表示され、少し我に返った。塵も積もればなんとやら。こんな状況なのだから、支払いのことも一応頭の中になくてはいけないし、それにそんなに消費できるのか、

 と思えば、後者の問いには答えられる。ただ見たり聞いたりすればいいのだから、一日あればかなりの数を消費できるだろう。そして、俺には終わらない一日が大量に用意されている。

 依存的ではあっても、依存症ではない。俺は映画や音楽やら文学やらで身を滅ぼしたりしない。と言っても単に買い物依存のように、お金の面での話だけど。借金するほどCDを買いまくるとか、そんなにひどい話ではない。たかだかレンタルだ。額もたかが知れている。それに、芸術で身を滅ぼすって、なんの事? 想像できない。そんな人がいたら、会ってみたいなと、嫌味ではなくてそう思う。

 それに、学生の頃作ったクレジットカードの有効期限が二ヶ月を切ったのだ。通常なら会社から新しいのが送られてくるはずなのだが、未だ送られてきていない。このカードを失ったら、作るのはかなり面倒だ。ネットの買い物が制限される。だったら今の内に嫌と言うほど消費しなきゃ、という気持ちもはたらいている。もっと建設的なことを考えられないのか、とも思うが、考えられない。今は。多分後でどうにかするはずだ。

 フランソワ・オゾンの『ぼくを葬(おく)る』を見る。適当に借りた映画の中でも、割と今の気分に相応しい、楽しい映画だった。癌で余命三カ月を宣告された、売れっ子ゲイのファッション・フォトグラファーが死ぬ話だ。

 人が死ぬ話は、例えば建物が沢山壊れるとか困難を乗り越え恋人同士が結ばれるとか、そういった類の、ポップな題材だ。その中でも、俺にとってこういうのは割と好きな題材で、だって、彼らが俺らがさっさと死ぬならば、優しい気持ちにだって、素直な気持ちにだってなれるよ俺だって俺たちだって。

 映画として、画面が美しいのは、それだけで見る価値があると思わせてくれる。画面がどうでもいい映画ばかり見ていたのだ。そんなのだったら、ゲーム片手に鑑賞するので十分だ。てか、久しぶりにゲームも本も読まず、画面をしっかりと見ていた。

 でも、子供が出来ない死に行くゲイの主人公と子供との対比の仕方とか、やり過ぎな「神々しい」ライティングとか、ベタというか、どん臭い、いや、感情移入を強要するようなシーンも多々あり、その中の幾つかは別に文句をつけるには酷かもしれないが、名監督の「温かい」凡作、ゴダールの『愛の世紀』とかベルイマンの『秋のソナタ』等を想起させた。つまり、俺の好みではないが、映画として完成されているということ。それに、確かに楽しかった、楽しめたのだ。

 中盤で主人公が教会に寄ると、いたずらをする二人の少年を目にするシークエンスがある。それまでも、主人公は幸福な幼少時代を回想するシークエンスがたびたび挿入されるのだが、そんな主人公の目の前で、二人の少年が台に上り、水か何かが入ったかめに小さな笑い声をあげつつ、小便をしていた。後から来た老女がそのかめの中にに軽く手をつけ、十字を切り、お祈りをする。二人の少年はそれを柱の陰から見て笑い合う。その少年たちを柱の陰から見ている主人公は、真っ赤な瞳で、静かに涙を落とす。

 それを見ながら、俺も片方の眼から涙を流していた。死に行く主人公のように、(おそらく)取り戻せない幼少期を想起したわけではなく、その時俺は信仰のことを少しだけ考えていて、いや、単に少しだけ情緒不安定だっただけだろう、いつものこと、それに、涙を流すことは健康に良い。毎日泣いて暮らせたなら。難しいことだ。

 他にも、この映画で、主人公が心を開く祖母がかなりいい味を出していて、あれ、と思って見終わった後に調べてみると、やはりその老婆はジャンヌ・モローだった。それだけでも、年老いて皺だらけで、なおも風格を失わないモローを見るだけでも、価値のある映画だと思った。

 俺は映画俳優の「うまさ」と言うものをあまり理解してはいない。明らかに駄目なのとか魅力いっぱいなのとかは感じることもあるけれど、映画はカットがあり、何より編集されてしまう。多分、役者そのものの力を見るには舞台がいいのではないかと思う。俺は舞台を見に行かないけど。

 でも、そんな演者に大した関心を払っていない俺でも、ジャンヌ・モローは最高の俳優だと思っている思える、というか、最高の俳優の一人だ、という形容にも耐えうる、そんな俳優だ。彼女が出ると空気が変わる、そして、どんな役柄も、とても魅力的なのだ。その場その場で、最も相応しい完璧な演技をしている「ように」見えてしまう。こればっかりはどういった言葉を重ねるよりも、実際に演技を目にして好きか嫌いか、ということでも、構わない。俺は彼女の演技に魅了される、俺にとってはそれで十分だ。彼女の演技を目に出来る幸せ。

 凡庸で、しかし美しい海辺のラストシーンは『ヴェニスに死す』を想起させたが、あれよりもずっとユーモラスな本作の方が、鑑賞後の気分は軽かった。また、色々とレンタルしなければと思う。病的なこととは(多くのと同様)時折友達だが、頭がおかしくなるような病気とはあまり縁が無い、ということにして(実際余命はまだまだ)、お金を払うから、沢山送って葬って もらわなくっちゃ。クレジットカードやキャッシュカードに嫌われても、別に俺だってそんなに彼らの事は好きじゃない。