でも一回でMP28もあがったのはやりすぎじゃね? って思ったけどそれがまたいいね!

「脳味噌が邪魔だ 半分で十分 脳味噌半分とっちまいたい とっちまいたい」それとも、別のがいい? 別のさむしんぐくーる!!!!!!

 お勧めしてもらった佐々木中の『切りとれ、あの祈る手を』を、予約に割りあたったので読む。おもろい。てか、力入ってんなーって感じの、そこまで哲学社会学等に明るくない人でも、割と気軽に読める「熱っぽい語り」だった。
「熱っぽい語り」だったんだ。以下、適当に引用する。

 文壇出立てのヴァレリーマラルメからもらった手紙の内容に触れ、

 「唯一の忠告者、孤独の言うことを聞くように」と。美しい逸話ですね。私の言うことも聞くな、ということです。誰の「手下」にもなってはいけない


 (とーきょー大学の「貧しい」カリキュラムについて)「すべて」のものにちょっと気の利いた一言を差し挟むことができる技術です。上目遣いの目配りの良さだけをひたすらに磨いている。少なくとも私にはそういうふうに見えた。これは縮小再生産の場所であるとしか思えなかった。


 と、「まっとう」な意見をいいつつ、古井由吉の最近のインタヴューについて、

「今現在の自分が理解できないものには価値がないという風潮が定着してしまった、と前置きしてから、こう言うんです。文学が落とし穴だらけで、うっかり理解したら大変だという作品が多い、と。(中略)カフカヘルダーリンアルトーの本を読んで、彼らの考えていることが完全に「わかって」しまったら、われわれは恐らく正気ではいられない」といいながらも彼は「図書館が火薬庫」という「感性」を鍛えなければならないと言う。

 また、古井の発言で、「読んでいてちっとも頭に入らなくて「なんとなく嫌な感じ」がするということこそが「読書の醍醐味」であって、読んでいて感銘を受けてもすぐに忘れてしまうし、ゆえに繰り返し読むのだ、とね」
 
 という箇所も(古井の発言だけど)興味深く、また、共感する。確かにある距離を楽しむことが、俺らにだって出来ている出来るのだ。てか、そんなんあたりまえだろ俺ら「まっとう」なんだから。

 また、彼の熱っぽい語り口は「まっとう」な意見がとても多い。偉人を識字率を引き合いに出さずとも、特に同業者への「まっとうな」意見は数多く、「文学(芸術)が終わったならばお前も引退しろ」という主張も「ごくまっとう」であり、

「藝術や文学は、今語ったような人間身体の統治、あるいは調教という水準に固く結びついているのだから。もっと言えば、藝術そして文学をなし、子を育てるということに。子を教育し訓育することにね。なべて藝術とは、受胎の藝術(アート)なのです。「孕まれたもの(コンセプト)」のための技藝(アート)である」

 という主張も、「まっとう」だろう。とても読みやすかった。だって、面白いことあるよね、って語りかけているのを聞くことだから。まっとうだ。まっとう。とても大切なことだ。物事に当たるにはしかるべき誠実さ或いは閃きのような機知、のような物が必要になるが、何より、捨て身で、比喩ではなく、「命がけの跳躍」が必要とされていて、しかし実際には「命がけ」のことなんてたいしてないし、その起こる場が戦場だとしても、問題は解決しない。インテリの蛮勇(じみたまっとうな振舞い)は、花火ではなく火花、であるとしても、そんなのに著者が構っていないのがいい。書かねばならない。語らねばならない。あなたがしゃべりたいことをやりたいことを。そして、沈黙することを。

 で、彼は小説も最近上梓して、期待半分でちょろっと見たら、嫌な予感が当たった、というか、優れた制作者が似たようなジャンルのものに手を出すと、生半可に出来がいいという(大した金にならないけど売りまくった島田雅彦の作品のように、って、それは失礼だよ俺島田さんすごいと思うよマジ本当に嫌味じゃなくてでも売った)、なんとも残念なケースに陥る確率がきわめて高いように思える。だってさ、「まっとう」に考えて、100m走者が200mで輝ける? サックス奏者がオーボエを陶酔的に吹ける? 何度も何度も、俺は「小さくがっかり」していた。身の程を知るべきだ、と何度か思った。だから、女優が片手間で歌う歌がとても好きで、いいシステムだと思う。その場で必要とされているのは、「彼女」であるのだから。

 特に今の俺の場合、幾つかの個所を拾い読みした程度、なのだから普通は全部読んでから判断を下すべきなのは分かる、けど、10秒聞けば数行読んだら、好きか嫌いか怖いか怖くないか分かるものでしょ? いや、でも、彼の本は読もうと思いますけど。暇人だしね本当に暇なのかああうん。

 でも、やっぱり一番大切なのは、出版社の依頼云々でもいいけど、本人がやりたいと思っている強く思っているその気持ちが一番肝要で、「身の程」なんかに構わずとも、品をぎりぎりで保てるのだ。D&Gの洋服みたいに。絶対に下品にはならないお洋服!(購買層はまた別の話だけど)それだけは誰にも傷つけることのできないクズ硝子。きらきらして綺麗だすぐにどうでもよくなるクズ硝子、の破片で夢を見る、とか眩暈とか。社会に不適合な感じの人の場合は。

 粗さがしはある程度の人には必ずできるスキルだ。石膏デッサンみたいな。それがしたいのか? 言わねばならないのか? 皆、正直に言い合うべきだと思う。あらさがしだって、怒りがあるなら、誰がそれを「インテリメタお疲れ様」と言える? 不当だ。言いたいことを言って、できれば、それを作品にして、暮らしていくんだ。暮らしていけないんだけどねでも、俺らは多くの物を売り払うことが出来る。それを肯定なんてしなくてもいいから、それを恐れるひつようなんてない。無理に大きくわけると、何個かダサかっこいいスタイルがあって、その一つを選んだって、それだけだ。

 てかねー、今さー、ゲームボーイドラクエ3ゴミ値段だったから買っちゃって、もう超面白いよ。携帯機だから(別の)音楽聴きながら出来るし。一日でもうレベル18だぜ! わーい(GB版はかなり難易度甘めだ)親指を連打しながら俺、連打しなくちゃと思うっていうか連打していないといけない連打しなくっちゃね連打しなくっちゃ。色々ドットをぶち殺すプログラムが書き変わる、のは楽しい。そして、本を読むのも、書くのも。