悪者

(お金の稼げる見込のは、せっかく合格したにもかかわらず、例によりすぐにやめました。でも、その職場はかなり雰囲気がよく、また、担当してくれた方もとても感じのいい方で、だからこそ俺でも採用になったのですが、何度か話し合いをして、やはり続けることはできないことを相手側に告げました。

 個性、なんて言葉はその名前を出す時点でかなり警戒してしまうような、陳腐すぎる、いや、しょせん「流通の中で許される程度の」個性であって、「本当」(この言葉も随分都合がいい言葉だけど)に、わくわくする、恐ろしくなるものなんて、求められてはいないのだと、少なくとも「金を稼ぐ」こととはすれ違っていることを、もちろん知ってはいたけれど、再確認する結果になりました。俺の「特徴」は、その職場ではやはり求められていなかった。

 でも、担当の方は「自分の知らない魅力がある」とか「可能性を広げていく」とかそういった類の、視野狭窄気味になる俺が見ようとしない、ポジティブなメッセージを沢山くれました。それだけでもまあ、高すぎる授業料ではあるが、よかったと思った。それに、やりたいことは早くやっておかないと、駄目だ。挑戦するのがいつでも大丈夫な人もいれば、そうじゃない人もいる(くっきり二つに分けられないことくらいわかっているけど)。

 てか、額が多いと、俺、良くわからなくなってる。支払ってばっか。よくわからない。金がないのでクッキーばっか食べている。10円とか100円とかならめっちゃ気にしているのに、数万単位になると、もうどうでもよくなってしまう。金に対するあまりにも卑近な愛憎。


 本当はもう少し続けるべきだったしそうしようと思っていた、でも、俺には時間がない。笑い事ではなくて、そう強く感じている。モデル業も本当はとても好きなものだったけれど、だからこそ中途半端にあたるわけにはいかない。悪者を目指せないなら、数か月一年、修行とバイトを両立させるなんて、絶対に無理だ。

 悪者になりたかった。ページをめくった時に、いつもの、ではない風景が見たかった。カタログ的なファッション誌も勿論好きだけれど、でも、モード色の強い雑誌、日本のだとメンズファッジとかヒュージとかルードとか、そういうののほうが色々な表現を許されている。でも、その中でも、もっと、別の風景が見たかったそれを形作ることに参加がしたかった。

 「生活」や「実用性」以外の、はっとするような、わくわくするような瞬間に出会える時が、たまにある。でも、要するに、モデルというのはクライアントの要望に応えてなんぼで、俺が勝負できるようなフィールドはなかった。

 悪者になりたかった。面接時に散々咎められた、はっとする瞬間恐ろしさ暴力、それらを俺に感じさせてくれるのは悪者達だった。悪い、犯罪者という意味ではない、名状しがたい、様々な恐ろしさを内包したもの、「わるもの」だった。聖人にはなれなくても、悪者なら、まだ俺にもチャンスがある、そう思っていた。


 なければ作る、じっと耐えて機会をうかがう、というのが普通の、真面目なやり方だろう。でも、俺には時間がない。最低限の金をかせぐ能力も(あまり)ない。身体のメンテナンスも服飾費も諸費用もかかる。俺はやるならきちんとやりたい。不真面目に、そういったものに向き合うなんて嫌なんだ。

 だから、書くしかない。というか、書きたいことがまだある。書いていると、かけている時だと、どんな状態であっても、精神が落ち着く。粗雑乱造でもなんでもかまわないとにかく、小説を書くということ。それで、俺は前に進むことができる、というか、それしかない、それしか見えていない。

 先のことはわからないけれど、とにかく何かがあるとまだましだ、助かる。どうにかなるかもしれないけれど、どうにかならないかもしれないから、今できること、それは書くこと考えること。

 最近は色々なゴタゴタがありすぎてというのもあるが、本をよんでいない、それでいいと思う。他人の言説について、考えすぎていた。俺は俺の言葉に向き合うべきだそして、やれるときに、やらなければ、駄目になってしまう。

 空元気だけではすまされない、けれどどうにかなる、こともあるだろうし、多分、どうにかなる。って、書いとけ。

 仕事に従事すると、小さな嘘を重ね、身体の中に膿がたまっていくのが分かる。漫画の映画の小説の登場人物(ヒーロや悪役じゃなくたっいていい)を目指さねばならない。そうでなければ、たまりにたまった澱にぐちゃぐちゃにってしまうだけだ。疲れた。そういうのはもう嫌なんだ。

 悪者、にはなれないかもしれないけれど、小説を書くこと、考えること、それは悪者に聖人にわくわくする瞬間に繋がることだ。その錯覚を拾って、どうにか暮らしてきた、それ以外良くわからない、知ろうとしたが、やっぱり分からなかった。

 でも、まあ、それを思えるだけで、幸福だろ?