馬鹿日記

 色々あって困る、というか、それが続いていくのが疲れる、でもそればかりなわけなくて、今月は物を売りまくっているのだが、今月だけで、着払いで○川急便で7回も段ボールを送っていたのに、自分でも少し面白かった。

 当然だが集荷に来る人は大体同じ人で、その輝かしい笑顔と後頭部を目にする度に、「平日の昼間過ぎからお前なにしてんだよ」と心の中で自分につっこみを入れずにはいられなかった。

 個人的に面白かった、というか、少し呆然としたのが、今月だけで(細かい物も含めれば)十回位物を売りに行っているのに、まだまだ家の中には物が溢れているということだ。俺の部屋に依然来た人が「気持ち悪い」と言ってすぐにでてしまったことを思い出した。物が多すぎる、らしい。臭い、とかでなくてまだよかった、と阿呆なことをその時は感じていたと思う。

 支えになる、土台になる何かがないと、(日本では)生活できないようになっている。それが、俺の場合はゲームとか本とかCDとかだったりしたのだけれど、それらの多くは、手放しても簡単に手に入る或いは、再度手に取ることもない、インテリアの一部になってしまっている。

 でも、生活不必需品あってこその生活だ。でも、それが過剰だと、社会で生きるには、不都合だ。

 少し前に胸に入れた、大きな黒い棘十字のタトゥー(一応Tシャツで隠れるけどね!)。はっきりいって、「何か」に意味づけをするのは好みじゃないのだけれど、自分の好きな物を手にするような「空元気」が出たことは、それを実行できたことはよかったな、と思う。

 いつかは分からないし分からなくていいけれど、どうせ死ぬし、だったら、さっさとやっちゃった方がいい。

 そして、俺は人に何かを頼んだり、人にアピールするのと7かがとても苦手なのだが、それが多少は緩和されたのもよかった。俺は超すぐに「なんで?」と感じるガキ(幼稚園児)なので、やはりそれは控えるべきだとして生活を送っていた。そうじゃないと、頭がおかしくなるから。頭がおかしくなんてなりたくないから。

 綱渡り、地面にチョークで線を描いて、その上を歩いているのかもしれないけど、でも、綱渡り俺。前も書いたが、ジュネの短編で『綱渡り芸人』というのがあって、とても美しく珍しく読みやすい(恋人の美しさをたたえた内容だからだけど)もので、俺も、やはり、空元気も薄ら笑いも微笑も、備えるべきだと思っていた、

 けれど、最近少しずつ主張が出来るようになってきている。断頭台の為の幼さを脆さをたたえるこ都もいいことだと思うけれど、それとはまた別に、些細なことだけど、思ったことを他人に口にする、怒る。というか、そうせざるを得ない状況になっていることもあるけれど。

 コミュニケーションが苦手だけれど、多分、タトゥーのおかげもあって、なんだか、色々どうでもよくなってきた度が高くなってきている。早く髪が伸びればいい早く時が過ぎればいいそしたら、上半身裸になってキリストのコスプレをして、(今まで縁の薄かった)野外レイヴとかで踊り狂いたい一人で涙を流したい。俺は余計なことばかり考え過ぎる。だから、散々痛めつけてきた(他者である)自分の身体をもっといたわるべきなのだ。考えなくっていい考えなくていい考えなくて。

 あと、もう、全部売り払いたい、と思いながら、また、新しい消費財に囲まれて生きるのだと思う、でも、明日の事は分からない分からなくていい。それでいいというか、それがいいんだって、そうだろ?