勝手に逃れられない/人生

 底は幾らでも、ってことを実感してはしたない日々。すごいな。一年半位屍系男子本格派。

 現実逃避の為に現実に(少しだけ)向き合うべきだと思えたのはやはり、小説を書く気になったから。小説を書いて(ある一面の)現実を取り戻そう。

 
でもその前に多田由美とか高浜寛とか冬野さほとかえすとえむとかルネッサンス吉田とか松本ケンタロウとか萩尾望都とか女性漫画家の本を再読して元気を貰う。何故か漫画に関しては圧倒的に女性の描いているのが好きだ。あとエッセイも。ここに理屈をこじつけると下らない面倒な話になってしまう、
 
 面倒な下らない話。

 俺は漫画をジャンルとか男女とか関係なくそこそこ読むけれど、女性漫画家はなんで男が男を拾う/買う、というモチーフを頻繁に描くのだろう? ということをフェミニズムの文脈から読み解くと収まりが良すぎて嫌だ。クリシェの反復という暴力。俺ら、軽やかさのない新兵になる。あからさまな徴兵制がないからって調子のんなって話? 違うって?

 同様の感想というかむしろ彼の映画の反復から想起したんだヴィスコンティ。初期のネオリアリズモに属する作品を除くと、ほとんど全てが、「女性性の感じられない美しい武器になってしまった女が瑕疵のある美男子を拷問する」と要約しても間違いだとは思えない。

 幸福なクリシェ金井美恵子ゴダールが指摘したように、彼の映画は映画というよりも圧倒的な趣味の良さ、で成り立っており、その趣味の良さの源泉は前述した幸福なクリシェによってもたらされる。ヴィスコンティは結構好きだ。ほとんどの作品が簡単にレンタル/購入出来るし。いつでも新兵にならなければならないとしても。

 女性が美しくなければならない、と脅迫されているのであれば、男性は強くなければならない、と脅迫されている、としても、その強迫観念やコンプレックスを他人にぶつけるのはいささかはしたないように思える。男を買う拾うボーイズラブの漫画は(この文章を書く為にB○○k ○ffで大量に立ち読みしたのだけれど、すごいね。女子向け萌え漫画)、男性読者のファルスなんてどうでもいい。怖がる必要なんてない、恐怖も怒りも的外れだ、けれどそれらを知ってもなお痛みが残る。恐怖は痛みを隠蔽してくれる。しかし新兵の方がまだマシなのかもしれない。

 といったことに秩序を与えるのこともしたいのだけれどつまり、学校が存在しない世界で量産型の新兵になる為に僕らは。でも今回一番俺に空元気をくれたのは中平卓馬ゴダールの存在だ。

 屍系だった反動か、最近は毎日数枚のアルバムをituneに入れ図書館で十冊程度の本(でもこの中身はエッセイや固くない評論や新書や写真集や既読の本らが多いのであくまで消費の快楽としての読書という側面が強いのだけれど)を消費していて、ふと、我に返ることもあるのだけれど、いけるところまで我を忘れて現実を取り戻さなければと思っている。

 小さい頃、太陽や電灯とじいと見続けると、透明な光の欠片の様な物がゆらゆらと浮かんでいることに気付き、それを幼さから「エーテル」なのだと感じていたのだが、後にそれがただの飛蚊症、ただのにごりであることを知ることになった。でも、あの、物をじいとみる、という経験は気分の良いものだった。つまり、中平、ゴダール

 俺が最初に触れたゴダールは年代順、モノクロの幸福なゴダールから天然色の闘争へ、という流れだったが、中原は逆だった。復活後(アル中で言葉と記憶を失ってしまった天才写真家! 天才って便利な言葉だ)のカラー写真を初めて見て、俺はゴダールの『愛の世紀』のような『マリア』のような嫌な感じを味わった。しかし彼の作品は忘れられなかった(ゴダールの愛やマリアは今も見たくないけれど)。ので、嫌なのに性懲りなく手を伸ばす。

 アジェへの傾倒、単に物がそこにあるということ。カメラはあるものを映し出しているということ。センチメンタルという言葉が褒め言葉だとしたならば、きっと中平にこそふさわしいのだと思う。アレブレから植物へも一貫したセンチメンタルの徹底、理論を振りかざす永遠の新兵。

 俺は中平の作品を若い頃から順に見て、そして、復活後のカラー写真もまた、何も変わっていないのだと、受け入れることが出来た。そこにあるのが「きわめてよいふうけい」なのだと感じることが出来た。

 ゴダールもただ撮る撮り続けるということだ。カラーでの一番の好みは痛みばかりの『モーツァルト』だけれど、わずか12分の短編である『フレディ・ビュアシュへの手紙』もとても好きだ。あの手紙で俺は初めて自分が木漏れ日の体験と知覚が結び付いた瞬間をありありと思いだすことが出来た。何を大袈裟な、と思われるかもしれないが、ちびっこの「あ、これが木漏れ日なんだ」という体験は、光を捕まえた気分に等しかった。

 てな感じの感想を織り込んだ小説を書いていて、屍よりも新兵として現実逃避。