うすら寒さ/心地良さ、或いは、陶酔の磁場

ちょっと気になるけれど、その事柄が自分は外部でしかないのだと思い変な推論をこねくり回し続けている。4つのこと、いや、ツーペア。ハウスミュージックと批評或いはアニメ声(優)と舞台(俳優)。

 これらは俺の中では、ジャクソン・ポロックの絵画のように求心性と遠心性を感じる事柄だ。そして俺は外部にいると感じている。つまり、彼らに対して俺は真摯ではないということだ。でも気になってしまっているからだらだらと書く。


 先ずハウス/批評について。人は批評家になるのか、ということに対して俺はかなり懐疑的で、アーティストの中には作る側で批評もすんだから口出すな、という人も少数だと思うがいて、でももしかすると自身の作品内に批評眼をさらしていると自負しているアーティストならば皆、程度の差はあれ感じているのかもしれない「何故貴方は批評を選びとったのですか」

 個人的な意見ではあるが、ハウスミュージックほど幸福でうすら寒い音楽はないように思う。コミュニケーションの為の美しいコラージュ。ひたすら美しいコミュニケーション/ダンス。「フロアにいる クールなだけの人達 ねえ私が泣きたくなるような曲は 聞かせないで 聞かせないで 聞かせないで」とか、フロアを作っている側から歌われたらたまらない物がある。肉迫するあの、うすら寒さ、心地良さ。

 耐えがたいと言うよりも抑えられない(はずの)、語りの、ダンスの心地良さ。最近(読みやすいので)対談とか鼎談とかを読んでいると東浩紀の発言に改めて感じる、というかお仲間、と言ってもいいかもしれない社会学者の宮台や宇野にも感じることがあって、それは「貴方が頭がいいのは分かったけど、でも、それを黙って聞いている人は馬鹿じゃないから」ということだ。

 秀才の学生が相手の言葉の先回りをして朗々と演説をしているのは社会学者(に類する人)は常に「自分の」認識、眼差しを更新し続け表明し続ける病にかかっているのか、と言う感を受ける。妥当性はあってもユーモアはない。てかおっさんの自慢話はつまんないのでマジ勘弁して欲しい。ユーモアがないもん。ユーモアがある人は話す時に一々「俺って凄いんだよ」アピールをしません。

 でも、彼らより言葉が少ない同業者の人らは謙虚さから言葉が少ないのではなく、単に持ち合わせていないような印象を受けてしまう。俺が彼らに対してあまりいい印象を抱いていない、理解が足りないにしても、そこまで的外れだとは思えない。

 批評とは少しずれるが、これも気になっている事柄だ。西欧絵画の空間恐怖を想起する。彼らは常にラベルを張って自らの世界(というよりもむしろ開かれている世界、と言うことになっているはずの世界)を更新し続けなければならないのだろうか?

 そしてアニメ声優、舞台俳優、アニメ/舞台。これは快感、というか自己陶酔に対する疑問だ。俺はゲームばかりしているがアニメはあまり見ない。飽き性で落ち着きが無いので、アニメには向いていない。それに、あの、女の子のありえない声にキレそうになることがあるからだ。

 ここ一、二年で俺が「きちんと」見たのは坂道のアポロンタイガー&バニーだ。どちらも人気作で、俺みたいな普段はアニメを見ない人にも見やすい良作だと思う。そしてこの二作は、女の子のありえない声が(ほぼ)出てこない。

 もっと言うと、多分それは変に媚びた声、「萌え声」と言ってもいいかもしれない。俺は大抵の芸能人とか流通に乗っているようなアニメの女の子を「おーかわいー」と思うが、別に萌えたりしない。というか、萌え、という単語をタイプするのも多少抵抗がある。

 多分俺はそれらの多くをあからさまな自慰と認識しているからだ。人の好みに文句をつけるのは筋違いなので、好きな人は好きでいいと思う、だけど、「普通」のアニメがみたいなーって感じの時に媚びが満載だと、萌えではなく萎えや怒りを覚えてしまう。だってさ、ちょっとの媚ならいいけど、どこもかしこも媚びの垂れ流しだったら嫌になんない? ノーモア人権を奪い取られたミニスカロリータ! ノーモア萌え!

 とか言いながら、別に俺は萌え声を出している女性声優が嫌いではないし、CDも持っている。特に電波曲が好きであべにゅうぷろじぇくと とか大好きだ。ハードコアテクノポップアイドル歌謡。ありえなさの極北は素晴らしい。それに曲はアニメと違って数分で終わるのが素晴らしい。意味不明さも理不尽さもインスタントならオールオッケー! それに曲にはロリータの暴力や真情吐露や助平もないし(でもそれこそが求められている物だと思うけど)。

 俺が舞台に疑問を感じるのが、何故それが「映画」ではないのか、ということだ。え? だって映画の方がいいじゃん、毎回しなくていいし、そのせいで料金やけに高いし、衣装もガンガン変えられるし、何より、編集できちゃうんだよ! 編集したくないのかな? ないですかそうですか。

 というか、俺はあくまで完全な部外者なので、作品どうこうというよりも演者が演じることを楽しんでいるように思えるのだ。迸る陶酔の磁場、という価値があるのかもしれない。体験の快楽、アニメの女の子と一緒になる、かのような体験(男声優は高い声を出して媚びるということが一般のアニメでは求められていないらしいので、ここでは女の声優について言及している)。

 うすら寒さ/心地良さ、或いは、陶酔の磁場。俺は彼らの行いに正しい(妥当性の高い)認識を持てずにいるし、それだから気になっている。これからも多少は近くに行きながら、似たようなことをだらだらとこぼしてしまうのかもしれない