シネマで逢いましょう

 あまりよろしくないことばかり繰り返してしまっていて、そういう時こそあまりしたくないこと、そう、例えば映画とか見るのがいいわけで、適当に注文しすぎて、ここ数日は毎日3本映画を見ていた。いい感じに疲れた。いい感じ。

 日本の映画を中心に見ていた。日本映画で俺が一番すごいなあ、と思う監督は勅使河原宏小津安二郎溝口健二なのだけれど、そういう好きな監督を繰り返しというよりも、久しぶりに、といった監督達の中でも鈴木清順はやっぱり面白かった。

 俺は画面が良かったら、それだけで楽しめる(というかそれが一番大変だろうけれど)ので、彼の映画と相性がいいのかもしれない。あ、吉田喜重の映画『さらば夏の光』を見たのだけれど、これがびっくりするっ位の薄っぺらい内容で、びっくりした。気が利いている風だけの台詞の応酬。でも、画面というか構図は綺麗なのだ。

 彼の映画は大学の時数本みたっきりだったのだが、もっと良かったはず、と調べてみたら結構な状況で撮られたものらしく、納得した。『日本の夜と霧』の台詞間違いまくりでもそのまま撮影を想起させる(大島渚が亡くなってしまった)。でも、退屈はあまりしなかった。

 って、清順の話で、『ツゴイネルワイゼン』はやっぱいいよねーとか思ったっていうか、彼の映画とかばかり見ていたら短期間に宍戸錠の映画4本も見ていて自分が宍戸ファンになったような変な錯覚に襲われた。頬にいれものするってすごい発想だよなあ、というか役者にそれをやらせるってのもね。

 それと映画ばかり見て映画疲れしてしまって、芸術家のドキュメンタリー『アンリ・カルティエブレッソン』と『イヴ・サンローラン』を見る。イヴの方は彼の44年間仕事に捧げてきた人生、という引退劇の模様から始まり胸に来る内容だったが、彼の作品をあまり前面に出さないし、正直尻すぼまりな印象さえ受けた(でも楽しかったよ)けど、ブレッソンの方はそんなことはなく最初から最後まで楽しめた。イザベル・ユペールが出ていたので少し得した気分になった。フランス女優はノーメイク(っぽい感じ)で飾らないのが好きだ。脱ぎっぷりもいいし。メイク整形フォトショップサイボーグ的な女性も好きだけど、要するにそれぞれに戦闘態勢な、プロ根性を持った役者には敬意を覚える。

 ブレッソンが美術館で「写真は短刀のひと刺し 絵画は瞑想だ」と答えていて、彼のスタイルそのまま、という感がして面白かった。写真家のドキュメンタリーもっと見たいなあと思った。美術ドキュメンタリー映画ならやっぱりレネのが一番だ。

 あと『赤い天使』がすごかった。日中戦争中の従軍看護婦の話なのだが開始で速攻暇を持て余した病棟の兵士たちに犯されたり、輸血(設備も資材も不足している)が十分に出来ないので医師がどんどん兵士の手足を切断して、自分を「踏切り番みたい」という医師もモルヒネ中毒で、本国に悲惨な容体の様子を見せられないから買い殺しにされるカ○ワの兵士、が看護婦に両手が無いので慰めてくれと懇願してそれに従ったり、かと思ったらその男が自殺したり、前半だけでこの内容で、モノクロの画面で中間色で並ぶ死体や兵士と白い白衣の看護婦、若尾文子との対比も美しく、思わず目頭が熱くなったのだ、

 けれど後半にいくにつれてちょっとこの女、男に都合が良すぎるというか、ジャンヌ・ダルク的というよりもテレサ・テン(彼女は最初ああいったオヤジの妄想愛人的な歌が嫌だったそうだ)的な、こっ恥ずかしいラブロマンスになっていって、あるシーンで正直声を上げて笑ってしまって、ちょっと自己嫌悪に陥った。だって、戦争映画で泣いたくせに(俺は体調が悪ければすぐ泣きますが)その後で声を上げて笑うって、どんだけだよ。

 いや、でも、そのシーンは前ふりというか、愛し合う二人は傍から見れば滑稽な物だから、不必要なシーンではないんだけどね。若尾文子の凛とした表情や演技も良かった。良かった。いい映画ですよ。笑ったけど。

 思い出すままだらだら書いても仕方が無いので最後に一本、俺は初めて見たのだけれど実相寺昭雄という監督の『悪徳の栄え』がかなり面白かった。面白いというか、テーマと撮り方が噛み合っていて楽しく鑑賞出来た。説明文コピーすると、

 昭和十年、不知火侯爵家で行われていた“悪徳の栄え”の芝居稽古中、殺人事件が発生した。その後、人間たちの愛と狂気が次第に明らかになっていく。サドの同名小説に材を採った作品。

 ということなのだが、サドの小説の大仰で粘着質で退屈させる部分が巧く表現されていて、犯罪演劇集団の日常と劇(稽古)の様子が交互に挿入される形式なのだが、日常編で芝居がかった大仰な言葉というかもはやまんま台詞を口にしてもそれが芝居の延長のようで雰囲気を崩さずに「日常」を描写しているし、光の使い方も日常ではかなり薄暗く、その代わり劇場ではかなり光を使った(劇場ってそういうものだから)シーンが多く目を飽きさせない。ご丁寧に劇場にある頭上のライトの群れをきちんと見せているシーンもある。

 胸をはだけて少しボディペイントをした数人のメイドに、顔があまりよろしくない身なりのいい女性が無理やり黒ナマコを食べさせるシーンとか、主人公の団長が妻を団員の男に犯させながら(当然のぞき見もする)やがて嫉妬に狂いだすのも良かった。

 ベルトルッチの『リトル・ブッダ』は俗世(米国のシアトル)を青みがとても強いトーンで撮影し、対照的にブータンの自然や寺院を鮮やかに撮ったのを想起したが、ベルトルッチは美しくやり過ぎ、という感がややしたのだが、こちらの「悪徳」では題材のせいもありそこまでやり過ぎだとは思わなかった、というか、単に悪徳の方が画面がくぐもっているというか、ちょっと「俗っぽい」美しさだった。最初に挙げたつまんなくて綺麗な『さらば夏の光』の方がずっと綺麗。

 でも下世話過ぎず綺麗過ぎないのが、サドの通俗的だけれど一定の品は保ってる作品と合致していた。監督の事を調べてみると、特撮やテレビドラマで活躍していたらしく、(早計な判断ではあるが)画面がテレビ的、といってもいいのかもしれない(テレビドラマで美しい、と感じた経験がないので偏見が入っているのだが)。とはいってもけなしているのではなく俺の美意識とは違う、でも惹かれる感性の監督だ、ということで別の映画も借りた、のだが他に期限が迫っているのがあるので他を片づけなければならない。

 たまりにたまった嫌なこと、のなかでもマシな物を片づけよう。映画をみると他に見なければいけない映画の候補が色々と上がるのが恐ろしい。一生こんな気分だな、と言うのが幸福か不幸かと自問すればきっと幸福なのかなと思う。