けだものだけが恭しい

 
 





 夢を続けてみてしまった。夢を見て、数分間まどろみ起きて、また夢を見るのを繰り返していて、
「欲しくもない大き過ぎるベッドを注文してしまい困る話」
「自殺したあまり親しくない友人の父親と死生観について語る話」
「バスタブに裸になって体を丸くして、延々と唾を吐き続ける話」
、あと二つ位あったのだが、どうしても思い出せない。どうでもいい、気になってしまう夢。

 何度も書いているが、俺はスパンクハッピーというグループがとっても好きで、一応名義は違うが、彼らの曲でフロイドと夜桜という曲があって、これもマジで、すごく好きで、何度も聞いてしまう。

「夢から覚めても夢の 夢の中でまた夢の中
 さまようアタシは今日も
 コワイ夢やアマイ夢を見たの」

 そしてこの歌の中の少女(しかしこの曲で主に歌っているのは、プロデューサーである男、菊地成孔)は

 「恋するバカなアタシは 
 ワルイ人がワルイ人が好きなの」と歌う。そして、

「あいつの背中の刺青は 春の夜桜よ パっと散りそうな
 粋でいなせで艶っぽい 思い出すたびにね 気を失いそうになる」

 また、悪い癖で、二十日の誕生日だから今日予約で明日カウンセリングで当日に間に合うぜ、それにさ、知ってる? おしろい彫りって。身体の温度が上がるとタトゥーが浮かび上がるっていう奴で、マジ超かっこいい、全身おしろい彫りで、憎しみで花々だらけにしてほしいなあ、でも、これって現実には出来る人はいない伝説らしいんだ、残念だなあ、でも、技法名は失念したが、赤い墨を入れるんじゃなくて、肌の表皮を削って血の赤さをむき出しにしてくれる彫り方もあるらしくって、それで花々を掘られたらさあ、かなりカッコいいと思うんだよね、

 でもさ、今日メールでネット買取に用紙が不足していた、ってことでコンビニでFAXを送る羽目になって、Fax代損した、とか考えている俺はタトゥーを入れるようなノリかよ、って馬鹿らしく、少しだけATMでお金をおろそうとすると、予想以上の悲惨な残高に一瞬固まってしまって、でも、とりあえず二千円を引き出し、そう、キャッシングに余裕がまだあるんだって気分転換(は?)をして、その足で恵比寿ガーデンプレイスにある、東京都写真美術館に向かう。

 ブルーメンフェルドは、正直今のおれには新鮮味は薄いからと諦めがついたのだが、マリオ・ジャコメッリの写真はどうしても見たくて、でも、写真は写真集で見れてしまうのだし、それに何より、成すべきことをしていないからか、踏ん切りがつかずにいた。

 地下にある会場の、チケットを引き換えにするその前で、係の人の視線に入らないように中をじいと見る。メガネをかけてはいないが、年々視力が落ちている俺。眉に力を入れ、目を細め、朧で認識できない写真たち、その時に展示されていた写真のサイズが結構小さかったので、中身を見られていないくせに正直ちょっとがっかりして、こういうのは全部見てから感想を言うのがフェアだとは思うのだが、まあ、行かなくてもいいかなと言い訳をしてその場を後にした。

 そしてまたシャボン。もう通帳記帳とか一度もしたことが無いんだし、余計な買いものとかネットレンタルは止めなきゃとか思いながら、先日また届いてくれた、CDとDVD,その中でもRAM RIDER のAUDIO GALAXY-RAM RIDER vs STARS!!!- がかなりよかった。だってコラボしているメンツが中川翔子・MEG・野宮真貴フルカワミキ桃井はるこ・BOSEとか超豪華で、もう、最高にハッピーなハウスミュージックで、自分がそれを聞きながらシャボンをふかしているのが、バカみたいで、うん、馬鹿だなあと思っていて、

 個人的には中川翔子の曲というか、歌唱力の高さとキャラクターに驚かされた。筒見京平やソウルドアウトがプロデュースしたのはそこそこ好きだし、でも、歌手としての彼女に思い入れは全くなかったのだが、今回それを改めさせられた。いい曲で、いい声です。アイドルです。

 でも一番のお気に入りは、やっぱりクールでキュートな野宮麻貴が歌う「ユメデアエルヨ」のカヴァーで、

「ユメデアエルヨいつでも
 僕の魔法でFlyin' Drivin '
どんな暗闇も吹きけす 光をあげよう」

 なんて歌われると、全身に鳥肌がたった。魔法を信じるみたいなハウスミュージックを信じるみたいな、そんな気分にならないでもないでもね、夜桜みたくきっと、「恋しないバカな俺は ワルイ人がワルイ人が好きなの」


 菊地成孔は音楽活動だけではなく何冊も本を出していて、俺はその半数を、気分が悪くなりながら、そして楽しみながらも読んでいた。俺はいちいち「俺ってすごいでしょ」って言わなければ話ができない人が本当に苦手で、割と菊地もそういうタイプというか、かなり衒学的自己陶酔的な文章を書いていて、依頼された媒体によってその濃度を使い分けてはいるのだが、こんなにも読みたいのに、げんなりしてしまう。衒学が洒脱を生み出すならいいのに、言葉を矮小化するのには教雑物を生み出すのには耐えられない。以前もうんざりした著作の一部分、

「第六回を始めます。因みにこの講義は前期が全九回ですが、各トピック群は、切断されシャッフルされ、例えるならば地下茎的に、あるいはアクションペインティング的にまき散らし、各回のタイムアウトの段階でいったん終了とし、その後、前期の講義録を事後的にまとめてから――わたしが演奏家であることと、余りに密接過ぎる関係性をイメージしないで頂きたいのですが、言ってみればこれは、即興演奏を録音し、その後アナリーゼする行為と、ほとんど、というより、全く同じです――」

なんて文章、ここだけ切り出すのがフェアではないにしてもセンスが全くない、のに、もう、とってもいい歌詞を書いてしまう。

 フロイドと夜桜の歌詞をまた引く

「先生先生ジグムンド あなた博士でしょ? 心理学の?
 あたしの胸の夜桜を 二度と散らさずに忘れさせて

 クリスマス クリスマス御釈迦様
 あなた今夜はね? お暇でしょ?
 かなしき乙女世界中の アタシ達を皆叱ってほしいの」

 この歌詞を歌謡曲ガラージハウスみたいな曲調に乗せて歌われると、もう、たまらなくなってしまう。フロイドが好きな菊地は、自著で何度か、自分が「叱ってほしい」ということを口にしていて、でも、彼は自分に対する意見や中傷にかなり敏感で、お前らなんかに「叱られたくなんてないんだよ」ってことなんだと思うのだが、「偉大なる存在」だけに「叱ってほしい」なんて口に出せるなんて、少し、驚いてしまって、


 でも、思えば俺は彼(ら)にとても惹かれてしまう部分があって、それは彼(ら)が、

 セックスと自己愛に溺れ、十分な悦楽を味わいながらも、その「場、(ハウス)」において、彼らが同時に、「本当に」傷ついてしまっているように感じてしまうのだ。

 まあ、これは俺の勝手な決めつけ(菊地さんごめんなさい、今更?)でしかないのだが、幸福のためのミュージックを作れる人はきっと、うすら寒さを持ち合わせていなければならないのだと、俺は確信しているし、きっと、他の芸術でも。

 ペニスもピストルも持ち合わせていても聖剣エクスカリバーなんておしろい彫りなんて手に入れようがないから、どうやら去勢されたらしきけだものに小銭と祝福とを投げるのがこの国の習慣で、俺はずっとそれを憎んでいて、でも、どこかでその恩恵を味わってしまっているかもしれない俺は、憎む自分自身も恥じることになってしまって。

 でも、叱ってほしいだなんて、「蓮の葉の上で お説教して」だなんて、どうしても思えない。むかつくじゃんか、なあ、そうだろ? そうでもない? かな?

 そんなときに身体中に花が咲くような、肋骨の中で心臓が血を吐きだし続けているようなイマージュが何度も湧いてきて、何だかおれも、彼らのようにきっと、幸福なんだって、思うんだきっと